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あるいは、旧華族・皇族や
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系図でみる近現代 第10回
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テレビドラマ相関図


第10回 平安朝で栄華を極めた藤原氏は「いずこへ〜?」、そして、五摂家とは(03.1.13記)


「この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」


平安朝において、天皇の外戚(母方の親戚)として摂関政治を遂行し、
最高の栄華を極めた藤原一門道長は、こう詠いました。

大化の改新(645年)の立役者・藤原(中臣)鎌足を祖として、
その子・不比等のもうけた四人の男子、武智麻呂(むちまろ・長男)、房前(ふささき・次男)、
宇合(うまかい・三男)、麻呂(四男)が、それぞれ四つの系統に分かれ、
そして、その中でも隆盛を極めたのが、房前を初代とする藤原北家




しかし、平安後期になると武家が台頭し、保元・平治の乱、そして平氏の時代を経て
源氏による鎌倉幕府が開かれたことにより、藤原氏は完全に歴史の表舞台から
消え去ったかのように見えましたが、源氏の将軍が三代で途絶えた事により、
4代・5代に藤原将軍が迎えられました。しかし、それも皇族将軍に代わり、
それ以降、藤原氏の名前を耳にする事は、とんと、なくなりました。


そして、武家政権が終わりを告げる明治維新で、
表舞台に登場してきた公家といえば岩倉・三條 etc.。
しかも、明治の世で、公家は華族に列せられたはずなのにその華族一覧には
藤原と言う名前は一切、見当たらない。
これは一体、どういう事??


藤原氏よ、「いずこへ〜?」




実は、数世紀にわたって、大家族に膨れ上がった藤原氏は、日常生活を
するうえでの紛らわしさから、便宜的にその居住地に由来する家名を
名乗るようになり
、鎌倉時代あたりからそれは、次第に定着していった。

そして、例えばこの藤原北家のなかでも、道長・頼通の直系で、
摂政・関白になり得る最高の家柄を摂家と呼ぶが、
すなわち、それが、
近衞・九條・二條・一條・鷹司(たかつかさ)を名乗るようになる。
これが五摂家
(明治の華族制度においては、最高位の公爵を授けられる)


ちなみに、次に位置するのは、
大臣・大将を兼ね太政大臣になり得る家柄の清華家(せいがけ)で、
村上源氏の久我(こが)、藤原氏の三條・西園寺・徳大寺・
花山院(かざんいん)・大炊御門(おおいのみかど)・菊亭(今出川)

正親町(おおぎまち)源氏の広幡、藤原氏の醍醐の九家。 
(明治においては、侯爵を授けられる)           (参照:公家の家格と家系


※源氏:天皇の皇子皇孫が臣籍降下する時、源姓を賜る。
村上源氏は村上天皇、正親町源氏は正親町天皇の系統)








(上記系図に登場する人物は、藤原将軍の二人を除き、すべて摂政・関白についた)

五摂家 記(エピソード等)
近衞家 五摂家筆頭で皇室に次ぐ名門
★藤原良房に始まる摂関は幕末までの一千年の間、藤原北家の独占であったが、
  例外として、16世紀の終わりの10年ほどの間を豊臣秀吉と甥の秀次が関白をしめた。
  しかし、それは、前関白・近衞前久(さきひさ)の養子になることにより成立していた。
  さすがの秀吉も近衞姓を名乗るのは気後れしたのか、学識経験者に諮って
  「豊臣」姓を選び朝廷に奏聞して勅許を得て豊臣を名乗る。
★17代近衞前久の娘前子が後陽成天皇の女御として皇室に入り皇子・信尋(のぶひろ)を
  もうける。江戸時代初め、この皇子が18代近衞信尹(のぶただ)の養子となり、
  後を継ぎ、その流れが連綿と続く。(信尋は後陽成天皇の第四皇子)
  天皇家と近衞家は、表裏一体の関係。
九條家 公爵九條道孝の四女節子(さだこ)は大正天皇皇后(貞明皇后)、昭和天皇生母。
姉の三女籌子(かずこ)は元西本願寺門主・大谷光瑞夫人。etc.
二條家 公爵二條弼基の夫人は昭和天皇皇后(香淳皇后)のいとこ(久邇宮家)
一條家 幕末の当主・一條忠香の三女美子(はるこ)は明治天皇皇后(昭憲皇太后)
鷹司家 先代当主・鷹司平通(としみち)の夫人は昭和天皇第三皇女和子





現代を知る」には、やはり過去を知っておきたい、でおじゃる・・・。





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