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系図でみる近現代 第13回
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第13回 「話せばわかる」の真実!?原田熊雄日記「西園寺公と政局」(03.2.10記)


犬養道子女史の「花々と星々と」の続編「ある歴史の娘」(5.15事件後から終戦前までを描く)
において、「話せばわかる」に関する事項が、新たに付け加えられています。


「花々と星々と」で「ここに記したものだけが正確であり、
彼はそれ以外言わなかったのである」と
公式記録にもとづき彼女は書いていたものの、やはり疑問点も長年残っていたらしく、
それに明快な答えを与えてくれたのが「原田日記」

「西園寺公と政局」として世に出ているそれは、
“最後の元老”西園寺公望公の秘書・原田熊雄男爵の
予備的メモを土台とし、数日もしくは数週をひと区切りとして改めて口述筆記させたもの。


その中の「5.15事件と斎藤内閣の成立」の項に問題の五行が。

「・・・・・(犬養総理の暗殺事件に関しては)遠因は、もとより政党に対する反感、
・・・・・といふやうなものだらうが、噂によると、張学良の倉庫の中から日本の政党の領袖や
大官連の署名ある金円の領収書が現れた中に、犬養総理のものも混じっていたとかで、
・・・・・先頭第一に侵入して来た青年士官が・・・・・張学良から金をもらった一件を
難詰しようとした時に、総理はこれに対して、

『その話なら、話せば判るからこっちに来い』と言って・・・・・」


これを読んで彼女は思わず釈然と膝を叩いた。

彼女のある記憶が、忘却の彼方から浮かび上がって来た。
それは父・健とともに、祖父の遺品を整理していた時の事。
差出人が張学良とある西洋風の上等な便箋に書かれた手紙を父は読んでいた。
内容を尋ねると、父は、「お祖父ちゃんに甘えたのさ」とそそくさとたたんでしまった。


のち、父の遺稿メモからその手紙にまつわる一文を見出した。

犬養内閣成立(1931年12月中旬)後まもなく、父木堂は
「閣下の中国理解の深さに信を置き、ここに私信を送って、敢えてお願いしたきことあり」
と始まる抗日の先鋒、張学良からの密書を受け取った。

満州で関東軍により掠奪された財産一切
(財産と言っても、亡父
張作霖遺品他、書物・古美術・書・拓本といった民族的文化遺産の類)
を何とか手元に返るようご尽力願えないかといった内容であった。


父は愛する孫娘から少々厄介な頼みごとをされた時のような顔をしながらも
張に信を置かれたことを喜び、少しでも対日感情の良化につながればと考えた。
そして、現地に指令を出したが、関東軍天下の折り、何ら返事が帰ってこなかった。



ここからは、犬養道子女史の推測になるが、

関東軍が眼を光らせている中、密書は、一度は成功するが、
二度は、難しいと張学良は考えた。ゆえに前もって、私財捜索・返却輸送に
必要と思われる金子小切手を信を置くただ一人の日本人のため、
ひそかに封の奥深くにおさめたのでは、なかったか。
中国の人は義理と礼を欠くことを決してしない。
同時に、金銭出納をゆるがせにせぬ中国人らしく、覚え書を
必ず残したのである。「犬養毅木堂大人にいくら、いくら」と。
その後、それをしまい込んでいた倉庫が音に聞こえた関東軍に捜索された・・・




そして、彼女は結論づけています。

「原田日記」「噂によれば」と、条件はつけているが
噂ですませるにしてはあまりにも論理が通っている。
この「噂」こそ「事実」と思う。


「話せばわかる」は独立したそれだけで成立する言葉ではなかった。

それはまず、「その話なら」と限定し、その限定を受けて続く
「第二の言葉」であったのである。






原田熊雄と言っても一般的には、あまり馴染みはないでしょうが、
彼は、戦前期、近衞文麿、木戸幸一、有馬頼寧ら、宮中グループが組織した
「十一会」に参加、革新華族の一人として宮中で活躍した。

西園寺公望の秘書だった彼は住友本社4階に部屋を持ち、
報酬等は住友財閥から出ていた。

そして、木戸幸一は西園寺の信任厚く、S15年内大臣となり、
西園寺に代わって天皇側近ナンバーワンとして重臣会議や後任首相の奏薦に
大きな影響力を終戦まで持ち続けた。

「原田日記」「木戸日記」を歴史学者は“昭和史文献の双璧”と評する。
その「原田日記」を校正したのが、有島武郎の弟で作家の里見ク、他。


これらの人物を系図上に描いてみると




西園寺公望・原田熊雄 系図



なお、原田熊雄の母、すなわち、原田豊吉の妻・照子は、ドイツ人と日本人のハーフであった。
  この件に関しては、「系図でみる近現代第44回」を参照。


●原田家・木戸家・有島家 etc.
原田熊雄 加藤高明内閣首相秘書官、その後、西園寺公望秘書/祖父・一道が亡後、23歳で男爵を継ぐ/
妻は西園寺公望妹福子(とみこ)の孫(吉川重吉長女)/通称原熊、4分の1ドイツ人/
木戸幸一や近衞文麿と政治的関係を保ちながら親英米の立場で政界情報の収集、
西園寺公の意思伝達のため奔走。
「原田日記」は、「陛下のために真相を書き残す事が必要」と、大正8年から昭和15年、
西園寺公死去まで続けられた昭和前期政治史の重要資料。
極東国際軍事裁判にも検事側証拠とされた。
「西園寺公と政局」(原田日記)
原田一道(いちどう) 原熊の祖父/岡山藩士で、維新後、陸軍に入り陸軍少将。
砲兵工廠提理、元老院議員、貴族院議員を歴任、明治33年に男爵。
原田豊吉 地質学者・理学博士、東京帝国大学理科大学教授/原熊の父/
13歳でドイツに留学し、ザクセン鉱山学校、ハイデルベルヒ大学、ミュンヘン大学などで、当時世界的に優れたドイツ地質学の最新の知識を学びとって、10年後に帰国。
23歳で日本人としてはじめて東京帝国大学の地質学教授になった。
日本地質学の父ともいうべきゴッチェ、ナウマンと精力的な論争を繰り広げるなど、活躍は華々しかったが、明治27年、熊雄が6歳の時、結核のため33歳の若さで早世。
妻・照子はドイツ人貿易商ミカエル・ベアと日本女性・荒井ろくとの間に生まれたハーフであった。
原田直次郎 洋画家/原熊の叔父/
明治17年、ドイツへ留学し、ミュンヘンでガブリエル・マックスに師事した。
滞独3年のうち、最後の1年は、森鴎外と親しくなり、鴎外の帰国第2作である「うたかたの記」の主人公画家・巨勢のモデルという。
■「美の巨人たち:原田直次郎
吉川重吉
(きっかわちょうきち)
周防岩国藩吉川家分家/
妻は伊予大洲(おおず)藩最後の藩主加藤泰秋(子爵)と西園寺公望妹の間の娘/
米国に留学し帰朝後、外務省に入る。
明治24年分家し父吉川経幹(つねまさ)の勲功により男爵。のち貴族院議員
和田小六 日本の航空工学の第一人者、元東京工大学長/木戸幸一の弟、和田家の養子/
妻は原熊夫人の妹
岩田豊雄 作家獅子文六/妻は原熊夫人の妹
◆獅子文六著書・関連本
木戸幸一 内務大臣・内大臣/侯爵/木戸孝允の養嗣子孝正の長男(木戸孝允の甥の子)
40年内大臣に就任、重臣会議の幹事役として首班選考にたずさわり、陸軍軍人による
陸軍制御を期待して東条内閣の成立に関与。昭和天皇の秘書長役として活動。
戦中は東条内閣を支えたが、戦争末期には終戦促進に動いた。
「木戸日記」はS5年1月1日〜20年12月9日まで一日も欠かさず毛筆で記録したもの。
戦後A級戦犯として終身判決、55年仮釈放。
著書・関連本
木戸孝允(たかよし) 明治の元勲/最初は和田姓(生家)、7歳の時、桂家に養子に入り桂小五郎。
木戸姓は慶応元年32歳の時、長州藩に帰藩した時に藩主からもらったもの。
著書・関連本
木戸孝正 東宮侍従長・宮中顧問官/侯爵/
木戸孝允の妹と長州藩士・勤王派の来原(くるはら)良蔵の間の長男
児玉源太郎 陸軍大将、日露戦争時、満州軍総参謀長/木戸幸一は女婿
関連本
有島生馬 洋画家、作家/妻は原田熊雄の妹
有島武郎 作家/生馬の兄
里見ク(とん) 作家/生馬の弟/原田日記の整理・校訂に当たる
勝田主計
(しょうだかずえ)
蔵相(寺内正毅・清浦奎吾内閣)・文相(田中義一内閣)、元大蔵次官/
大正6年、寺内内閣蔵相時、金輸出禁止
勝田龍夫 日本債券信用銀行会長/勝田主計の四男、妻は原熊の長女/
「重臣たちの昭和史」(勝田龍夫・著/原田熊雄を中心に描く)
著書
都留重人(しげと) 経済学者、一橋大学学長(72〜75)、朝日新聞社論説顧問(75〜85)/
妻は和田小六の娘/
戦後、片山内閣のもとで経済安定本部副長官となり、第一回経済白書を執筆。
近代経済学とマルクス経済学を統合する立場から数多くの論策を執筆した。
著書・関連本
徳大寺家 :公卿華族、五摂家に次ぐ清華家の一つ(徳大寺公純は摂家・鷹司家出身)
徳大寺実則(さねつね) 公爵/右大臣徳大寺公純(きんいと)の長男/
1891年内大臣兼侍従長となり、明治天皇の側近としてその死去まで補佐した。
西園寺公望(きんもち) 首相、「最後の元老」/初の公卿宰相/公爵/
徳大寺公純の次男に生まれ同じ清華家の西園寺家の養子に入る/
1903年立憲政友会総裁に就任、伊藤博文の後継者格となり、06年首相。
桂太郎ら山県有朋系と協調して桂園時代を築く。
12年元老優遇を受け24年以降唯一の元老として第一次近衞内閣まで
首班候補選定に主導的役割を果たした。天皇の最高政治顧問。
政党政治の擁護者、協調外交論者として知られる。
著書・関連本
住友吉左衛門
(きちざえもん)
住友家15代当主、住友本社社長/男爵/
13代当主・友忠が早世したため、一時その母・登久が14代を継いだ後、
西園寺公望末弟・隆麿が住友家に婿養子に入る。友純/
明治政府の富国強兵政策に乗って事業を多角化、近代・住友財閥中興の祖。
兄公望にしばしば政治資金を提供、平和主義者西園寺の活動を陰で支える。







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