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系図でみる近現代 第17回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

常陸宮華子妃 津軽家 家系図 (※転載禁止)

第17回 常陸宮華子妃の実家、津軽家。“哲学の道”は津軽に通ず!? そして、香淳皇后の実家、久邇宮家と細川護熙元首相、細川侯爵家(03.6.1記)

常陸宮正仁(まさひと)親王殿下は昭和天皇第二皇子として昭和10年に生まれ、 現・平成の天皇陛下の2歳違いの弟です。
幼名を義宮(よしのみや)と言いました。

典型的な学者肌で、昭和天皇生き写しのような方と、いわれますが、
昭和天皇が海洋微生物と植物の学者であったように、 常陸宮さまも癌研の客員研究員として、魚類等の腫瘍に取り組み、 その成果の多くを論文に著されています。

華子妃との結婚は皇太子(現・天皇)ご成婚の5年後の昭和39年。
華子妃は旧津軽藩主の津軽伯爵家出身で、学習院短大英文科卒。

当初、美智子さまが“民間“出身なので、兄上に合わせるのがご夫婦兄弟円満の ために良いのではないかと、一時は学習院以外の妃候補が真剣に考えられたらしい。
しかし、香淳皇后や常磐会(学習院女子高等科OG会)の強い希望から、 旧華族出身者より、華子さまに白羽の矢が立てられた。

そして、23歳の時、伯父の侍従・徳川義寛家で手料理を差し上げるとの名目で、 殿下が研究室の帰りに立ち寄り、初顔合わせ。
その一度の見合いで婚約、そして結婚。


ちなみに、津軽家とは、
初め、大浦と称し、大浦為信のとき津軽地方を統一し、 天正18年に豊臣秀吉より本領を安堵された。
以後、津軽と称して四万五千石を領し、次いで徳川氏に仕えて四万七千石。
その後、代を重ねるごとに高直しされ、十万石で明治維新。
津軽承昭は戊辰戦争に軍功があり、明治2年、賞典禄一万石を与えられた。

以下は、近現代における津軽家の系図です。



そらのる

●津軽家(陸奥弘前) etc.
津軽順承(ゆきつぐ)
津軽順承
第11代/三河吉田・松平家(明治以降は大河内家を名乗る)出身/
当初支藩・陸奥黒石藩に順徳(ゆきのり)として養子入り。その後、本家を継ぐ
津軽承昭(つぐあきら)
津軽承昭
第12代/肥後熊本藩主細川斉護の四男、婿養子に入る
後妻に近衞家より尹子(ただこ)を迎える/陸奥弘前藩最後の藩主/伯爵/
戊辰戦争では当初、奥羽越列藩同盟に加わるも近衞家の奔走により
官軍方となり、奥州触頭(ふれがしら)に任ぜられ新政府軍として活躍
津軽英麿(ふさまろ)
津軽英麿
第13代/近衞忠房次男、養子入り/伯爵
津軽義孝
津軽義孝
第14代/尾張徳川家分家より養子入り、母・寛子(のりこ)は承昭の娘、
妻は長門長府藩主家・毛利元雄(もとかつ)子爵の長女/
元日本中央競馬界名誉顧問・(財)馬事文化財団理事長/伯爵/
徳川義恕(よしくみ)
徳川義恕
尾張徳川家分家/元侍従/男爵/次男・義孝が津軽家へ
徳川義寛
徳川義寛
尾張徳川家分家、義恕長男/S11年より侍従、侍従次長を経てS60年、
入江相政侍従長の没後、侍従長に就任、3年務める/男爵/
終戦直前、戦争終結に反対する反乱兵士から、顔を殴られながらも
体を張って「玉音放送」の録音盤を守り抜く。 映画「日本の一番長い日」
著書
西田幾多郎
西田幾多郎
哲学者、元京都大学教授/西田哲学、「善の研究」/
京都市左京区にある「哲学の道」は、西田幾多郎が思索にふけり
よく散策した事から命名されたといわれる。
三女静子は洋画家。長女弥生は上田操(大審院判事)に、
六女梅子は哲学者金子武蔵(東大教授/鈴木商店大番頭・金子直吉次男)に嫁す。
著書・関連本
西田外彦 甲南高校教授/西田幾多郎次男
西田幾久彦 (財)日本ゴルフ協会理事、元東京銀行常務/西田幾多郎の孫、妻は津軽家の長女
山田三郎太
山田三郎太
凸版印刷社長
山田英夫 凸版印刷常務/妻は津軽家の次女、娘婿に中内正
中内正 福岡ダイエーホークスオーナー/ダイエーファウンダー中内功次男
常陸宮正仁
常陸宮正仁親王
昭和天皇第ニ皇男子/(財)癌研究会名誉総裁 etc.
常陸宮妃華子
正仁親王妃華子
津軽義孝四女/(社)日本動物福祉協会名誉総裁 etc.
著書・関連本
●近衞家 (参照:第6回 第8回 第9回 第10回 第14回
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])



しかし、香淳皇后も当初、華子さまに対して、 旧華族の出ではあるものの、あまりいい顔はされなかったという。
それは、なぜなら、華子さまの母・久子が長州の一門毛利元雄子爵の娘であったから。

明治・大正史は裏面に熾烈な薩長の藩閥争いを抱えていた。


薩摩派であった香淳皇后の実家・久邇宮(くにのみや)家は、維新後、 二度に渡り長州の手ひどい報復を受けている。


祖父・久邇宮朝彦(あさひこ)親王は幕末、孝明天皇の最高政治ブレーンであり、 公武合体派の大立者であり、当時、中川宮と称した。
文久3年、薩摩・会津と結び、宮廷クーデターを起こし、
三條実美尊王攘夷派の公卿を追放し(七卿落ち)
バックに付いていた長州藩勢力を京都から駆逐した。(8月18日の政変)
これが、池田屋騒動、禁門の変そして長州征伐を引き起こし、長州派の恨みを買うに至る。

そのため朝彦親王は維新後、皇族の身分を剥奪され、 一庶民として数年間、広島に幽閉されるという憂き目に遭った。


第二に、大正中期の宮中某重大事件

皇太子(昭和天皇)と婚約中の良子(ながこ)女王(香淳皇后)に、 母方の実家である島津家に、色盲の血統ありと、 長州閥の総帥であり、枢密院議長として宮中に勢力を誇る山県有朋公爵が、 当時の原敬首相、中村雄次郎宮内大臣らと共に 強く婚約の返上を迫り、一年余りも久邇宮家を窮地に立たせた。

「久邇宮家の方から婚約をご辞退せよ」の勧告に父の邦彦(くによし)王は激怒し、 「綸言(りんげん)汗の如く(天皇の言は一度口から出れば取り消しがたい事) 今さら変更なされたら国民はどう思うであろう!」と叫び、 この結婚をあくまで実現すべく猛運動を展開する。

結局、大正10年2月10日宮内省は、内定に変更なしと発表、 内務省からも「御婚約変更の如き全然無しと確聞す」と、あり 山県閥直系の中村宮内大臣は辞職、結末を迎えた。

山県としては皇統の純血を憂えての事だったにせよ、 久邇宮家への憎しみと薩摩閥との抗争と、受け取られるだけの背景があった。


すなわち、華子妃は香淳皇后からみると、仇敵筋の娘ではないか、 という事であったが、明るくしとやかな華子妃の人柄が皇后のしこりを 解きほぐし、以来お二人の関係は極めて良かったらしい。


下記にもう一つ、その久邇宮家も登場し、津軽家(陸奥弘前分家・男爵家)を含む系図を描きました。
元首相・細川さんの簡単な流れも見えます。




●津軽家(陸奥弘前)分家
津軽楢麿 津軽承昭次男/分家して男爵
津軽行雅 肥後宇土藩主・細川行眞の四男で養子入り/妻は承昭の長女/男爵
●細川家
細川行眞(ゆきざね) 肥後宇土(うと)藩最後の藩主/子爵/
肥後宇土藩は熊本藩の支藩であり、細川忠興四男・立孝の子・行孝が初代
細川斉護(なりもり)
細川斉護
肥後熊本細川家第10代(忠興の三男・忠利が初代)/
当初、細川立政(たつまさ)として、肥後宇土藩主、
のち、本家・肥後熊本藩を継承し、斉護に
細川韶邦(よしくに)
細川韶邦
第11代/肥後熊本藩最後の藩主/
戊辰戦争で軍功をあげる
細川護久
細川護久
第12代/元侍従・海軍少将/侯爵/
細川護成(もりしげ)
細川護成
第13代/元済生会評議員/侯爵
細川護立
細川護立
第14代/元国宝保存会会長/侯爵
細川護貞
細川護貞
第15代/元近衞首相秘書官、永青文庫理事長/侯爵/
先妻は近衞文麿の次女、ロマンスは細川家のテニスコートから/
S19年には、東条内閣打倒に奔走したり、ポツダム宣言受諾に際しても、
無条件受諾を熱心に説いて回るリベラルぶりを発揮した。  「細川日記」
永青文庫は、細川家所蔵の武具、絵画、調度品、茶道具、能道具や文書等のコレクション。
著書・関連本
「細川家十七代目―私の履歴書」
細川護熙(もりひろ)
細川護熙
第16代[細川幽斎(藤孝)からは18代]/元首相・熊本県知事/
朝日新聞記者を経て政界入りし、参議院議員(自民党)・熊本県知事など歴任。
H4年日本新党を結成。H5年7月の総選挙で衆議院議員に初当選、
8月、細川内閣を組閣し、長期自民党一党支配に終止符を打ち、38年ぶりに
非自民連立政権を発足させた。小選挙区制・政治腐敗防止法などを成立させたが、
翌年退陣。H10年議員辞職。
著書・関連本
●久邇宮家・島津家(薩摩鹿児島)・池田家(備前岡山)
久邇宮朝彦
久邇宮朝彦親王
旧皇族/元神宮祭主/伏見宮邦家(くにいえ)親王第四男子/香淳皇后祖父
維新後、広島での幽閉はM3年10月に終わったものの謹慎期間は続き、
M5年正月に宮号を復されM8年、久邇宮と称した
久邇宮邦彦
久邇宮邦彦王
旧皇族/元元帥・陸軍大将/妻・俔子(ちかこ)は島津忠義公爵の七女/
長女・良子(ながこ)が香淳皇后
島津忠義
島津忠義
薩摩鹿児島藩最後の藩主/公爵/
父・久光とともに王政復古に主導的役割を果たす
池田詮政(のりまさ) 旧備前岡山藩主家/妻は久邇宮朝彦親王の娘/侯爵/
池田詮政|近代日本人の肖像
池田宣政(のぶまさ)
池田宣政
旧備前岡山藩主家/妻は津軽男爵家の娘/侯爵
池田隆政 池田牧場経営/妻は昭和天皇第四皇女・厚子(現・天皇の姉)
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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