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系図でみる近現代 第18回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

平沼赳夫 平沼騏一郎 家系図 (※転載禁止)

第18回 閨閥は複雑怪奇!? 徳川慶喜家と天皇家。そして、平沼赳夫経済産業相と元首相・平沼騏一郎(03.6.14記)

「家系図画像」無断転載者に関して


去る5月末日、ある訃報記事がネット上及び新聞紙上に載りました。


徳川和子(かずこ)さん(平沼赳夫経済産業相の義母)29日死去。85歳。」

「平沼経済産業相の妻、真佐子さんの母。
夫は徳川慶喜の孫で貴族院議員を務めた故・徳川慶光氏。」
と、ありました。

すなわち、平沼大臣の奥さん(徳川慶喜ひ孫)の母上(元公爵夫人)が 亡くなったという記事でした。


ちなみに、徳川和子と書けば、家康の孫・秀忠の娘で、後水尾天皇(108代)に入内し中宮となり、 明正(めいしょう)天皇(109代・女帝)の母である東福門院和子が思い出されますが、 今回亡くなられた和子さんは、会津松平家のご出身。
あの京都守護職・松平容保(かたもり)の孫娘にあたります。


まず、一つ目の系図を描いてみると、

[系図1]

そらのる

●徳川慶喜・平沼赳夫家系図(宗家別家) [※関連:第22回系図1]
徳川慶久
徳川慶久
慶喜七男、慶喜公爵家を継ぐ/華族世襲財産審議会議長/公爵/
学習院、東大法学部を卒業し、華族中の逸材と将来を期待されたが早世
徳川慶光 慶久長男、10歳で家督を継ぐ/公爵/妻・和子は会津松平子爵家出身/
学習院、東大を卒業し戦前は宮内省に勤務、陸軍二等兵として出征
高松宮妃喜久子
高松宮妃喜久子
慶久次女/大正天皇第三皇子・高松宮宣仁親王妃/
宣仁親王と結婚後、昭和天皇の名代として14ヶ月に渡り、欧米24ヶ国を訪問。
済生会、藤楓協会等の名誉総裁を歴任。
世界的に評価の高い高松宮妃癌研究基金の名誉総裁として、
諸外国の学者を毎年招聘し、国際シンポジウムを開催、優れた研究者の育成・援助に努めた。
また、日仏会館の総裁として日仏両国の文化交流に尽力。
高松宮日記(全8巻)」を刊行。
平成16年12月18日逝去。
「菊と葵のものがたり」
榊原喜佐子 慶久三女/越後高田榊原子爵家に嫁ぐ/
「徳川慶喜家の子ども部屋」
「殿様と私」
井手久美子 慶久四女/
越前松平侯爵家に嫁ぐも、夫・松平康愛(やすよし/海軍少佐)は昭和20年6月戦死。
昭和22年12月、外科医・井手次郎と再婚。
邨田(むらた)丹陵から日本画を学ぶ。
徳川慶朝 フリーカメラマン/現当主/
次姉・真佐子は平沼赳夫の妻
徳川慶朝
徳川慶喜家の食卓
「将軍が撮った明治―徳川慶喜公撮影写真集」
●松平家(会津若松)
松平保男(もりお) 松平容保五男/海軍少将/子爵
●平沼家
平沼騏一郎
平沼騏一郎
首相(S14.1~14.8)・司法相・内務相・国務相/男爵/
M44.9司法次官、T1.12検事総長、T10.10大審院長、S11.3枢密院議長
S20.4~20.12枢密院議長
「平沼騏一郎伝―伝記・平沼騏一郎」(岩崎栄/著)
平沼淑郎(よしろう)
平沼淑郎
経済史学者、早大学長/平沼騏一郎の兄
大阪高等商業学校校長・大阪市助役などをへて、明治37年早稲田大学に迎えられ、
大正7年から3年間学長を務めた。
昭和5年以降、社会経済史学会初代代表理事。
著書に商業史・経済史の講義録の他、死後刊行の「近世寺院門前町の研究」がある。
著書・関連本
平沼恭四郎 大協石油常務/平沼赳夫の父
平沼赳夫
平沼赳夫
衆議院議員、経済産業相、運輸相/
■関連系図
平沼赳夫
「新国家論 - まっとうな日本を創るために」
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])



欧州情勢は複雑怪奇


平沼赳夫オフィシャルHPによると、平沼経済産業相は、生まれてすぐ、
母の祖父の弟であった平沼騏一郎の養子に父母と共に入ったとあります。
(上記系図点線で示す)
平沼騏一郎は終生、独身であり、子供はいなかった。


平沼騏一郎、戦前の司法界の大物であり、
太平洋戦争開戦2年前の昭和14年に首相を務めた人物。

しかし、元首相と聞いても、ピンとこられる方はあまり多くないかもしれません。
実際のところ、在任期間は、8ヶ月程でした。


かつて、山県有朋はこう語りました。
「出入りする若い者の中で将来あるのは、原敬平沼騏一郎だ」と。
その言葉どおり二人とも首相になりました。

平沼は早くから首相候補といわれ、「何かやる男」と見られていた。
だが、国本社(こくほんしゃ:国家主義団体)を組織するなどの右翼的傾向が
西園寺公望らに嫌われて遠ざけられていた。
しかし、第一次近衞文麿内閣が、日中戦争の解決策を見出せないまま政権を
投げ出したことにより、そのあとを受け昭和14年1月平沼内閣が発足。


ちょうど今、なぜか私の手元に高校日本史教科書(山川出版’91年発行)が、ありましたので
平沼騏一郎の名前が登場するページをひもといてみると、こうあります。

『1938(昭和13)年ドイツは、防共協定(※)の仮想敵国をソ連の他、
イギリス・フランスにも拡大した軍事同盟に強化するよう提案した。
翌1939(昭和14)年、近衞内閣に代わって成立した平沼騏一郎内閣は、
この問題をめぐって閣内の対立を生じたが、同年8月、ドイツがソ連と不可侵条約を
結んだため、責任を負って総辞職した。』



日独防共協定は反ソ・反共を軸として独と提携することにより、満州事変以来の 国際的孤立から脱却して大陸政策を有利に展開することを目的としていた。
(S11年11月調印、翌12年6月、伊参加で日独伊防共協定)
本文でコミンテルン(共産党の国際的組織)に関する情報交換や協力を取り決め、
秘密協定で一方の国がソ連と開戦の際には、 他方の国は敵国に有利な一切の行動を控える事などを協定していた。


すなわち、平沼内閣では、板垣征四郎陸相(陸軍)及び白鳥敏夫らの革新官僚が
独の提案に賛成したのに対し、米内光政海相(海軍)及び有田八郎外相らが
対象に英仏を加えるべきでないと主張、延々と論争を繰り返し、閣内対立が激化していた。

またその一方、ソ満国境では、関東軍がノモンハン事件を拡大し、ソ連と戦闘中であり、
その激闘で日本軍は大打撃を受けるなど、内閣は困難な情勢のもとにおかれていた。


そんな時、日本と対戦中であるソ連と、独が独ソ不可侵条約を調印(S14年8.23)したという
日本にとって衝撃的なニュースが伝わった。
敵対関係にあるとみられていたこの社会主義国とファシスト国家との握手は世界中を驚かせ、
独と同盟交渉中であった平沼内閣は「欧州情勢は複雑怪奇」と声明を発表し、
8月28日総辞職した。


そしてその後、阿部信行米内光政と短命内閣が続き、
第二次近衞日独伊三国同盟締結)、第三次近衞内閣を経て、
東条英機内閣で、太平洋戦争へ突入して行く・・・。


平沼内閣は「現状維持の内閣」とも評される。
当時、陸軍は「国内に陸軍という独立国がある」といわれる程、
強大な権力を持っており、独伊と軍事同盟を積極的に結ぼうとした。

平沼は、したたかに結論を先送りし、任期中の締結を防ぎ、そして、総辞職。
平沼の本心は、あまりの陸軍の横暴にやる気をなくし、
辞職のチャンスを狙っていたのでは、ともいわれる。
また、首相在任中に三国同盟を締結しなかった事が、東京裁判で平沼を救ったとも。
(A級戦犯ではあったが終身禁固刑、昭和27年84歳の生涯を閉じる)


平沼赳夫オフィシャルHPには、
平沼騏一郎が開戦時に開戦阻止と、
終戦時、ポツダム宣言受け入れ側にまわったことにより、
二度の暗殺未遂を受けた事などが、詳しく書かれてあります。

そして、A級戦犯として巣鴨拘置所に足を運ぶ日、
平沼赳夫氏の母に言い残した言葉が書き記してあります。

「俺は何も言わないよ」


かつての「朝敵」と天皇家が、がっちり握手!

[系図2]




歴代徳川将軍の中では、英明さにかけては一、ニを争うといわれた “最後の将軍”徳川慶喜は、大政奉還の後、一時お家断絶の危機に直面したが、 皇室の思し召しで許され、謹慎の身となり、隠居。

宗家は徳川御三卿・田安家から家達が入って養嗣子となり第16代を継いだ。
第8回参照)

慶喜は宗家を去り、静岡で隠居生活を始める。
またその30代半ばから子づくりに励み、20人を超える子供をもうけ、 そのうち、13人が成人した。

明治30年には東京に移住、31年、皇居に参内し明治天皇と初めて会見、 35年、公爵を授かり新しく別家を興した。
それが、徳川慶喜家(宗家別家)


よって、将軍家に伝わる“お宝”を保持しているのは、 宗家を継いだ家達の流れである現当主・徳川恒孝氏であり、 慶喜直系ではあるものの、徳川慶喜家現当主・徳川慶朝氏の方には、 “お宝”と呼べるものはほとんど残っていないらしい。

しいて挙げれば、静岡での隠居時代、趣味人であった慶喜が撮った写真や 父・徳川斉昭(なりあき・9代水戸藩主)からの手紙等が、 貴重な歴史的資料として保存されている。(松戸市戸定歴史館


現当主・慶朝氏がその著書「徳川慶喜家にようこそ―わが家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔」で、
最後に言を強くして言っておられる事は、
「徳川」は正式には、「德川」と、書くという事です。

「近衛」家が正式には「近衞」であるように、やはり、そうなんですね~。


また、德川一族の方とお話する機会があった時には、ぜひとも、 「慶喜公」と、敬称をつけてお話ししたいものです。


徳川慶喜家にようこそ―わが家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔 (文春文庫)





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