| ●濱口・茂木・鈴木家 |
濱口吉右衛門
(9代) (容所) |
1862〜1913(大正2年)/衆議院議員3期(1896〜1902)・進歩党・憲政本党、
貴族院議員(1907〜13/多額納税者)/浩の母方祖父/
濱口家は紀州の有力家であり、代々、日本橋に老舗の醤油・塩・紀州物産の問屋を構えていた。
9代吉右衛門は慶応義塾を出て、醤油醸造販売業、植林事業を営む。
のち、衆議員議員となり財政整理国本培養論を建策して重視される。/
鐘淵紡績重役、富士瓦斯紡績・九州水力電気・高砂製糖社長、豊国銀行頭取、
朝鮮銀行幹事、濱口代表社員、猪苗代水力電気取締役等を歴任。 |
| 濱口吉兵衛 |
1868〜1940/衆議院議員2期(1920〜28)・立憲政友会/8代吉右衛門の三男・9代の弟/
東京帝国大学法科大学に学び中途退学して欧米視察。日露戦争に出征、殊勲を立て陸軍歩兵中尉。
実業界に転じ、名声衰えたるヒゲタ醤油を再興、品質の吟味醸造方法の改良につとめて
“ヒゲタ”をヤマサ印、亀甲萬印と共に醤油界におけるブランドとしての地位を確立させる。
明治後期、中央財界で活躍し、矢野恒太とともに第一生命を興した人物としても知られる。
大正9年より、衆議院議員をつとめ、銚子港整備大事業に取り組んだ。/
銚子醤油・千葉県水産社長、濱口理事、武総銀行取締役、
第一相互貯蓄銀行・東京護謨工業・第一生命・豊国銀行・利根織物監査役等歴任。 |
濱口吉右衛門
(10代)(乾太郎)
(無悶)? |
1883〜1946/銚子醤油・東濱植林社長/9代の長男、浩の伯父/
米国エール大学に留学、帰国後、濱口合名会社員、先代没後、代表社員を経て、濱口商事社長。
浩が生まれた時、母・尚子(ひさこ・1896生)は18歳の若さであり、続いて妹達が生まれたため
小学校入学前から上大崎の濱口邸に引き取られ、祖母・糸子や伯父夫妻と暮らしていた。
溥傑との見合いはその「ルイの間」で行われた。
※当時の浩の結婚を伝える新聞記事では、「吉左衛門」と書かれており、間違っているようです。 |
濱口吉兵衛
(麒蔵) |
1892生/銚子醤油会長、第一生命社長/
10代吉右衛門の弟、濱口吉兵衛(叔父)家に養子入り・妻はその娘/浩の伯父 |
濱口吉右衛門
(11代)(久常) |
1907生/S26年より銚子醤油社長/10代の長男、妻は野津侯爵家の長女 |
| 茂木新七 |
1914生/S49年より銚子醤油社長。社名をヒゲタ醤油に変更。/妻は濱口吉兵衛(麟蔵)の娘/
茂木家はキッコーマン一族。 |
濱口吉右衛門
(12代)(勝久) |
1936生/S62年よりヒゲタ醤油社長・現会長/11代の長男、妻は鈴木恭二の娘 |
| 鈴木恭二 |
元味の素会長・社長/鈴木家は味の素一族 |
| 濱口敏行 |
現ヒゲタ醤油社長/11代の次男 |
●野津・大原・正田家/ 関連:第11回・第12回
※正田家は元々、群馬・館林で米穀問屋を営んでいたが、美智子皇后の4代前に、醤油醸造業に参入した。
野田や銚子より遅い創業だが、「亀甲正」の商標で大いに隆盛をみた。(醸造法は茂木家から教わったという)
この時の当主の次男が分家して始めた製粉業が日清製粉に発展、「製粉王」と呼ばれるまでになった。 |