系図でみる近現代トップ

その時々の話題の人物
あるいは、旧華族・皇族や
近現代に活躍した人物を

家系図やリンク等を交えて
エピソード、系譜・閨閥などを
書き留めて行くページです。



系図でみる近現代 第25回
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンTM

■関連ページ
近現代・系図ワールド
      
参考文献 リンク&参考サイト 皇室関連本 旧皇族・華族関連本 書籍検索
 
  政治家系大事典
近現代家系図
第1回 中内功
第2回 オノヨーコ
    小野アンナ
第3回 鳩山家
第4回 松岡修造
第5回 与謝野晶子
    有島武郎
第6回 高円宮
    近衛忠大
第7回 安倍晋三
第8回 徳川恒孝
第9回 千宗室
第10回藤原氏
第11回正田家
第12回犬養毅
第13回原田熊雄
     西園寺公望
第14回酒井美意子
第15回小佐野賢治
第16回澤田美喜
第17回津軽家
第18回平沼赳夫
第19回マキノ正幸
第20回ケネディ家
第21回笹川良一
第22回有栖川宮家
第23回愛新覚羅浩
第24回四親王家
     十一宮家
第25回竹田宮家
第26回野間清治
     阿南惟幾
第27回小泉純一郎
     石原慎太郎
第28回武田長兵衛
第29回黒田慶樹
第30回岡田克也
第31回鹿内家
第32回扇千景
第33回伏見宮家
第34回岡崎財閥
第35回不二家藤井家
第36回山崎製パン
     飯島家
第37回武豊・幸四郎
第38回吉本興業林家
第39回親鸞・蓮如
     大谷家
第40回西本願寺
     大谷家
第41回東本願寺
     大谷家
第42回浄土真宗
     東本願寺派
第43回成毛滋・朝吹誠
第44回高田慎蔵・高田万由子
第45回郷誠之助・中島みゆき













テレビドラマ相関図


第25回 “スポーツの宮様”竹田宮家とJOC (04.4.29記)


今年、2004年はご存知の通り、オリンピックイヤー。
ギリシャのアテネで、8月にオリンピックが、開催されます。


日本でも代表選手やその出場決定の話題等で、日々、盛り上りを見せていますが、
今からちょうど、2ヶ月程前の3月4日、日本列島に衝撃が走りました。


長嶋五輪代表監督、倒れる!脳梗塞の疑いで緊急入院。


幸い大事には、至らず、現在、退院されて、リハビリ中との事ですが、
その時、インタビューに登場していた顔ぶれといえば、
王ダイエー監督、堀内巨人監督、星野前阪神監督など、お馴染みの面々の他に、
JOC(日本オリンピック委員会)からは、会長のコメントが。

「無理をしてもらっては困るが、チームを引っ張ってほしい」と複雑な表情。(日経新聞)

そのJOC会長のお名前といえば、竹田恒和氏。


自身もミュンヘンとモントリオールの二度のオリンピックで、
馬術競技の代表選手に選ばれた経歴を持ち、
平成13年10月に、第4代JOC会長に就任した。



そして、その竹田恒和JOC会長の父の名といえば、竹田恒徳(つねよし)

「竹田」と漢字で書く「たけだ」・・・、見覚えのある名前。そうです、

昭和22年の皇籍離脱前までは、竹田宮恒徳と呼ばれたその方。


「流転の王妃・最後の皇弟」で登場してきた竹田宮とは、この方の事であり、
父は、竹田宮家初代の恒久王、母は明治天皇の娘
妻は、明治の元勲・三條実美の孫娘・光子。


簡単な系図を描くと、

[系図]



竹田宮家は、北白川宮能久(よしひさ)親王の第1王子・恒久王が、
明治天皇第6皇女・昌子内親王との結婚に先立って明治39年創立した宮家。

天皇から賜った竹田の宮号は、皇室ゆかりの京都市南部・伏見の竹田に由来する。

恒久王は陸軍に入り、少将にまで昇進したが、
大正8年、スペイン風邪で37歳の若さで亡くなった。


ちなみに、明治天皇の皇女(大正天皇異母妹、母は園祥子[さちこ]は、


第6皇女・昌子内親王が、竹田宮恒久と、
第7皇女・房子内親王が、北白川宮成久(なるひさ)王
第8皇女・允子(のぶこ)内親王が、朝香宮鳩彦(やすひこ)王と、
第9皇女・聡子(としこ)内親王が、東久邇宮稔彦(なるひこ)王と結婚した。



竹田宮邸には、隣接して、北白川宮邸、朝香宮邸があった。

その三家は近しい姉妹関係でいつも往き来してテニスや、
お正月には羽根つき、かるた会をやり、
それには、秩父宮高松宮もよく加わったとの事。


現在、竹田宮邸は、高輪プリンスホテル(西武グループ)になっているが、
宮邸そのものは貴賓館(高輪プリンスホテル洋館)と呼ばれ、
結婚式場や宴会場として使われている。

歌手の松田聖子さんも二度目の結婚式をここで挙げた。



恒久王のあとを継いだ長男・恒徳は、陸軍大学卒業、馬術を得意とし、
陸軍騎兵学校の教官を務め、騎兵第十四連隊の第三中隊長となって、
中国戦線の最前線にも出動した。
太平洋戦争時には、大本営参謀として、ガダルカナル作戦に参加。


終戦時、天皇特使として、関東軍前線に停戦を報告すべく、満州に赴くが、
この帰国が一日遅れていたら、ソ連軍の侵攻によって恒徳王は
シベリアに抑留されていたかもしれなかった。


スポーツの宮様


戦後は、“スポーツの宮様”として、知られ、日本体育協会専務理事、JOC委員長を歴任。

東京及び札幌オリンピックの招致に尽力し、“体育の日”の創設を提案した。


日本にとって、札幌オリンピックでのハイライトは、何と言っても、
70m級ジャンプでの日本勢の金・銀・銅の独占。
表彰式で、笠谷・金野・青地にメダルを渡したのが、竹田恒徳氏。

『私はただただ感激で涙ぐみながら、一人一人の首にメダルを懸けて、
「おめでとう、本当によかったね。」と言って握手した。
そのあと、三本の日の丸が、紺碧の大空にくっきりと揚がった時の感激は、
永久に忘れ得ない思い出である。』


IOC(国際オリンピック委員会)理事を務め、国際スポーツ界で長く活躍、
海外でも“プリンス・タケダ”として有名だった。
平成4年に亡くなるまで、JOCの名誉委員を務めていた。



その三男にあたるのが、現JOC会長・竹田恒和氏。

アテネ五輪選手団長も務められますが、
これからオリンピック本番に向けて、益々、忙しくなり、
マスコミに登場の機会も増える事でしょう。



2代続けて、JOCの要職にあり、馬術を得意とする竹田家は、
やはり、JOCと馬が合っているのでしょうね。



ウマい!!?・・・






Google
 
Web 「系図でみる近現代」
「近現代・系図ワールド」


竹田恒徳
(つねよし)
元JOC委員長・日本馬術連盟会長・日本スケート連盟会長/
「私の肖像画―皇族からスポーツ大使へ」
「雲の上、下思い出話―元皇族の歩んだ明治・大正・昭和」
「馬よもやま話」
「日本の肖像―旧皇族・華族秘蔵アルバム」(第11巻)大久保利謙/監修
竹田恒和
(つねかず)
三男/JOC会長(平成13年10月〜)
「障害馬術」




日本で唯一の外交問題・国際関係論専門のオピニオン誌
外交フォーラム 最新号 バックナンバー






上へ戻る

     
●参考文献
「門閥」佐藤朝泰
「私の肖像画―皇族からスポーツ大使へ」竹田恒徳
「天皇家と宮家 激動の近代史」歴史と旅
「天皇家と日本の名族」別冊歴史読本
他、各種人名辞典・系図集
 
CopyRight (C) yumekandou.com. All Rights Reseved.