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テレビドラマ相関図 |
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第25回 “スポーツの宮様”竹田宮家とJOC (04.4.29記)
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今年、2004年はご存知の通り、オリンピックイヤー。
ギリシャのアテネで、8月にオリンピックが、開催されます。
日本でも代表選手やその出場決定の話題等で、日々、盛り上りを見せていますが、
今からちょうど、2ヶ月程前の3月4日、日本列島に衝撃が走りました。
“長嶋五輪代表監督、倒れる!脳梗塞の疑いで緊急入院。”
幸い大事には、至らず、現在、退院されて、リハビリ中との事ですが、
その時、インタビューに登場していた顔ぶれといえば、
王ダイエー監督、堀内巨人監督、星野前阪神監督など、お馴染みの面々の他に、
JOC(日本オリンピック委員会)からは、会長のコメントが。
「無理をしてもらっては困るが、チームを引っ張ってほしい」と複雑な表情。(日経新聞)
そのJOC会長のお名前といえば、竹田恒和氏。
自身もミュンヘンとモントリオールの二度のオリンピックで、
馬術競技の代表選手に選ばれた経歴を持ち、
平成13年10月に、第4代JOC会長に就任した。
そして、その竹田恒和JOC会長の父の名といえば、竹田恒徳(つねよし)。
「竹田」と漢字で書く「たけだ」・・・、見覚えのある名前。そうです、
昭和22年の皇籍離脱前までは、竹田宮恒徳王と呼ばれたその方。
「流転の王妃・最後の皇弟」で登場してきた竹田宮とは、この方の事であり、
父は、竹田宮家初代の恒久王、母は明治天皇の娘、
妻は、明治の元勲・三條実美の孫娘・光子。
簡単な系図を描くと、 |
[系図]

■竹田宮家は、北白川宮能久(よしひさ)親王の第1王子・恒久王が、
明治天皇第6皇女・昌子内親王との結婚に先立って明治39年創立した宮家。
天皇から賜った竹田の宮号は、皇室ゆかりの京都市南部・伏見の竹田に由来する。
恒久王は陸軍に入り、少将にまで昇進したが、
大正8年、スペイン風邪で37歳の若さで亡くなった。
ちなみに、明治天皇の皇女(大正天皇異母妹、母は園祥子[さちこ])は、
第6皇女・昌子内親王が、竹田宮恒久王と、
第7皇女・房子内親王が、北白川宮成久(なるひさ)王と
第8皇女・允子(のぶこ)内親王が、朝香宮鳩彦(やすひこ)王と、
第9皇女・聡子(としこ)内親王が、東久邇宮稔彦(なるひこ)王と結婚した。
竹田宮邸には、隣接して、北白川宮邸、朝香宮邸があった。
その三家は近しい姉妹関係でいつも往き来してテニスや、
お正月には羽根つき、かるた会をやり、
それには、秩父宮、高松宮もよく加わったとの事。
現在、竹田宮邸は、高輪プリンスホテル(西武グループ)になっているが、
宮邸そのものは貴賓館(高輪プリンスホテル洋館)と呼ばれ、
結婚式場や宴会場として使われている。
歌手の松田聖子さんも二度目の結婚式をここで挙げた。
恒久王のあとを継いだ長男・恒徳王は、陸軍大学卒業、馬術を得意とし、
陸軍騎兵学校の教官を務め、騎兵第十四連隊の第三中隊長となって、
中国戦線の最前線にも出動した。
太平洋戦争時には、大本営参謀として、ガダルカナル作戦に参加。
終戦時、天皇特使として、関東軍前線に停戦を報告すべく、満州に赴くが、
この帰国が一日遅れていたら、ソ連軍の侵攻によって恒徳王は
シベリアに抑留されていたかもしれなかった。
■スポーツの宮様
戦後は、“スポーツの宮様”として、知られ、日本体育協会専務理事、JOC委員長を歴任。
東京及び札幌オリンピックの招致に尽力し、“体育の日”の創設を提案した。
日本にとって、札幌オリンピックでのハイライトは、何と言っても、
70m級ジャンプでの日本勢の金・銀・銅の独占。
表彰式で、笠谷・金野・青地にメダルを渡したのが、竹田恒徳氏。
『私はただただ感激で涙ぐみながら、一人一人の首にメダルを懸けて、
「おめでとう、本当によかったね。」と言って握手した。
そのあと、三本の日の丸が、紺碧の大空にくっきりと揚がった時の感激は、
永久に忘れ得ない思い出である。』
IOC(国際オリンピック委員会)理事を務め、国際スポーツ界で長く活躍、
海外でも“プリンス・タケダ”として有名だった。
平成4年に亡くなるまで、JOCの名誉委員を務めていた。
その三男にあたるのが、現JOC会長・竹田恒和氏。
アテネ五輪選手団長も務められますが、
これからオリンピック本番に向けて、益々、忙しくなり、
マスコミに登場の機会も増える事でしょう。
2代続けて、JOCの要職にあり、馬術を得意とする竹田家は、
やはり、JOCと馬が合っているのでしょうね。
ウマい!!?・・・
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