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系図でみる近現代 第26回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

講談社・野間家 家系図 (※転載禁止)

第26回 賀陽宮家、町尻子爵家に連なる講談社・野間一族。そして、最後の陸軍大臣・阿南惟幾 (04.5.3記)


(講談社創業者・野間清治)(最後の陸軍大臣・阿南惟幾)


本をよく読まれる方なら、大手出版社・講談社の本を手にした時、 あるいは、読み終えた時、 何気なく、巻末のページを見て、目に飛び込んでくる女性の名前、 それが印象に残っているのではないでしょうか。

それは、

発行者--野間佐和子

少々以前に、出版された本であれば、

発行者--野間惟道

となっています。

また、文庫本の場合、その裏のページに

講談社文庫刊行の辞”とあり、1ページをまるまる使って、 20行程の刊行の辞が書かれています。そして、その最後は、
“一九七一年七月   野間省一

としめくくっています。

その“刊行の辞”の中身を見てみると

“創業の人野間清治”という文字を見つける事ができます。


ここで、野間姓の4人の名前が登場しましたが、
もちろん、これらの方々は、講談社のオーナー一族であり、 そして、歴代の社長を務めた方、あるいは、 現在(2004年)務めている野間の人々であります。


まずは、簡単な系図を描いてみると、こうなります。



講談社、社長変遷の歴史


創業者・初代社長野間清治は、明治42年、大日本雄弁会を設立、翌年「雄弁」を創刊した。
さらに44年講談社を創立し「講談倶楽部」「少年倶楽部」「キング」などを発行し、
一代にして、講談社を大出版社に育て上げたが、昭和13年10月に59歳で急逝した。

即日、一子・野間恒(ひさし)が2代目社長に就任した。
しかし、既にこの時、直腸癌に侵され病床に臥したままの身だった恒は
その22日後、30歳の若さで、父の後を追うように亡くなった。

新婚1年に満たない町尻子爵家から迎えた登喜子(母は賀陽宮邦憲王長女・由紀子)は、 21歳にして、未亡人となってしまった。

また、いちどきに、初代・2代社長である夫と息子を失った左衛であったが、 直ちに自ら3代目社長に就任、社を株式会社に改め、再スタートを切った。

そして、昭和16年、左衛の姪と結婚していた講談社社員・高木三吉(のち取締役)の弟で、 東大を出て、満鉄に勤めていた高木省一を登喜子の婿に迎えた。
これが、戦後の大ピンチを乗り切って講談社を再興復活させ、 今日の隆盛に導いた中興の祖・4代目社長野間省一であった。

昭和40年、その一粒種であった野間佐和子(現社長)の婿に迎えたのが、 終戦時の陸軍大臣・阿南惟幾(あなみこれちか)の五男、 東大を出て、三菱電機に勤めていた阿南惟道(野間惟道)であった。

野間省一が、昭和46年、脳血栓により倒れ、 急遽、副社長の服部敏幸(左衛の姪の婿・旧姓馬淵、のち会長)が社長代行に就任。

昭和56年には、野間惟道が、5代目社長に就任、新雑誌を次々と創刊し、 新しいタネを蒔き、これから花を咲かそうという時期の昭和62年に、 49歳の若さで急性硬膜下血腫のため急逝してしまった。
写真週刊誌「FRIDAY」の過激な撮影姿勢から“たけし事件”を引き起こすことになり、 心労をつのらせた事も、その死の要因の一つとの見方もあった。

6代目社長には、未亡人となった野間佐和子が就任、 服部敏幸会長が全面的にバックアップする体制となった。
彼女は新分野へのチャレンジに意欲的で、世界に通じる「コーダンシャ」を 目指した出版戦略を展開している。

今年2004年には、息子である野間省伸(よしのぶ)が、常務から副社長に昇格し、 7代目社長への地歩を着々と固めつつある。(2011年3月、母・野間佐和子が死去。前倒しで社長に就任。)


大手出版社である講談社は、まさに、オーナー一族・野間家の世襲による体制を 維持し、発展してきた企業であり、実をいうと、 他の大手出版社である小学館(相賀[おおが]一族)、新潮社(佐藤一族)なども然りです。

ちなみに、出版界といえば、
講談社を中心とする音羽グループ(講談社・光文社)、
小学館を中心とする一ツ橋グループ(小学館・集英社祥伝社白泉社プレジデント社
という呼び方がされ、この二つのグループが、両横綱と言われています。


光文社は敗戦直後に、講談社の子会社として、元々スタートし 戦時下における講談社の国策一辺倒による反動を恐れ、
親会社が万が一の時の生き残り手段で創業されたと言われる。

集英社は小学館が、学習的傾向が強い雑誌であるのに対して 娯楽雑誌部門の子会社としてスタートした。



「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣阿南惟幾 
   神州不滅ヲ確信シツツ」



上記遺書をしたためて、終戦時の陸軍大臣・阿南惟幾は、 昭和20年8月15日早朝、割腹自決した。

宮城(きゅうじょう)事件に一部参画し、また阿南大臣の自決の直前に部屋を訪ねた、 生き証人でもある岩田正孝(旧姓井田)陸軍元中佐は、その時の模様をこう語っています。

最後にお目にかかった時、もう、死の準備をされていましたが、

「今、おれは死のうと思うが、おまえはどう思うか」と、いきなり問われるのです。

即座に「結構です」と答えると、大臣は喜ばれましてね。

ところが、「私も閣下のあとを参ります」と言ったら怒られまして、 私の頬を両手でバンバンと叩き

「死ぬのはおれ一人でいい。みんな死なずに国家再建のために尽くしてくれ」と。

そう言って私がハイというまで、いつまでもいつまでも私を抱きしめられました。



阿南惟幾陸軍大臣は、介錯を拒み、苦しめるだけ苦しみ、15日朝7時10分絶命した。

当時、五男・阿南(野間)惟道は7歳であり、六男・阿南惟茂は、4歳であった。
長兄・阿南惟敬は、手記により、父の思い出を

「父の生き方には、理想はあくまでも求めるが、 “平凡なもの”に満足するという点があって・・・・・、要するに父は戦争がなかったら、 “他愛ない父”として終わったであろうと思います。」

また、陸軍幼年学校長時代(昭和10年前後)の家庭生活については、
「子供たちとよく遊んでくれるとても良い父親で、 寝ころんで「キング」「少年倶楽部」を読んでいる時が多かった。」



講談社の本は、やはり、人気があったようです。


(ちなみに、六男・阿南惟茂氏は、2002年に起きた、 瀋陽総領事事件の時に話題になった駐中国大使。)


そらのる

●賀陽宮・町尻・野間・阿南(あなみ)家
賀陽宮邦憲(くにのり)
賀陽宮邦憲王
久邇宮朝彦親王第二王子/伊勢神宮祭主/長女・由紀子は町尻子爵家に嫁ぐ/
賀陽宮は明治33年に創立。その宮号は父・朝彦親王が一時、称していたことによるという。
(参照:第24回第25回
町尻量基(かずもと)
町尻量基
陸軍中将/子爵/壬生(みぶ)伯爵家より養子入り/
長女・登喜子は野間家に嫁ぐ、その弟・町尻量光(かずみつ)は元キングレコード社長/
侍従武官、陸軍省軍務局長、仏印駐屯軍司令官を歴任。
野間清治(せいじ)
野間清治
講談社創業者・初代社長/
教師としてスタートし、学生の弁論を筆記し活字化する企画を立て、明治42年大日本雄弁会を設立、
翌年「雄弁」を創刊。さらに44年講談社を起こし、同年講談落語などの寄席芸能を筆記活字化した雑誌
「講談倶楽部」を創刊し大きな成功をおさめた。以後「少年倶楽部」「少女倶楽部」「婦人倶楽部」などを
創刊し、雑誌王国を築いた。なかでも「キング」は「おもしろくて、ためになる」の
キャッチフレーズ通り娯楽と修養を兼備した大衆雑誌として100万部を突破する部数を誇った。
「講談社文化」という言葉も生まれたほど、その出版物が大衆の意識に与えた影響は大きい。
「奇蹟の出版王―野間清治とヘンリー・ルース」出川沙美雄
『「仕事の達人」の哲学―野間清治に学ぶ運命好転の法則』渡部昇一
阿南惟幾(これちか)
阿南惟幾
陸軍大臣(鈴木貫太郎内閣)、陸軍大将/妻は竹下平作陸軍中将の娘・綾子/
陸軍士官学校(18期)・陸軍大学卒。参謀本部部員・侍従武官・東京陸軍幼年学校長・
陸軍省人事局長など歴任。昭和14年陸軍次官、のち第二方面軍司令官・航空総監などを経て、
昭和20年4月陸相として入閣。ポツダム宣言の受諾をめぐっては、無条件降伏とはいえ、
国体は護持される確約の照会を実現させた。終戦の詔書の原案「・・・・・・戦勢日々非ナリ」を
「・・・・・戦局必ズシモ好転セズ」に修正する事を強く主張、結局、阿南の修正案が通った。
8月15日早朝自決。
阿南惟幾
阿南惟敬(これひろ) 次男(第一子早世のため、事実上の長男)/長弟・惟晟(これあきら)は、昭和18年戦死/
防衛大学教授
阿南惟敬 [歴史が眠る多摩霊園]
阿南惟正(これまさ) 四男/北九州産業学術推進機構副理事長、太平工業元会長・社長、元新日鉄副社長
野間惟道
野間惟道
五男/講談社第5代社長/
旧姓・阿南。野間家に養子入り、妻は野間佐和子、一男四女の父
阿南惟茂 六男/駐中国大使、外務官僚/
妻は歴史家・阿南ヴァージニア史代
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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●参考文献
門閥」佐藤朝泰
出版王国[講談社]」伊藤友八郎
出版界の華麗なる一族」塩澤実信
比較日本の会社 出版社」塩澤実信
出版社大全」塩澤実信
出版その世界~志と決断に生きた人たち」塩澤実信
一死、大罪を謝す~陸軍大臣阿南惟幾」角田房子
昭和史が面白い」半藤一利
武人(もののふ)の大義 最後の陸軍大臣阿南惟幾の自決」甲斐克彦
他、各種人名辞典・系図集