| ●賀陽宮・町尻・野間・阿南(あなみ)家 |
賀陽宮邦憲
(くにのり) |
久邇宮朝彦親王第二王子/伊勢神宮祭主/長女・由紀子は町尻子爵家に嫁ぐ/
賀陽宮は明治33年に創立。その宮号は父・朝彦親王が一時、称していたことによるという。
(参照:第24回、第25回) |
町尻量基
(かずもと) |
陸軍中将/子爵/壬生(みぶ)伯爵家より養子入り/
長女・登喜子は野間家に嫁ぐ、その弟・町尻量光(かずみつ)は元キングレコード社長/
侍従武官、陸軍省軍務局長、仏印駐屯軍司令官を歴任。 |
野間清治
(せいじ) |
講談社創業者・初代社長/
教師としてスタートし、学生の弁論を筆記し活字化する企画を立て、明治42年大日本雄弁会を設立、
翌年「雄弁」を創刊。さらに44年講談社を起こし、同年講談落語などの寄席芸能を筆記活字化した雑誌
「講談倶楽部」を創刊し大きな成功をおさめた。以後「少年倶楽部」「少女倶楽部」「婦人倶楽部」などを
創刊し、雑誌王国を築いた。なかでも「キング」は「おもしろくて、ためになる」の
キャッチフレーズ通り娯楽と修養を兼備した大衆雑誌として100万部を突破する部数を誇った。
「講談社文化」という言葉も生まれたほど、その出版物が大衆の意識に与えた影響は大きい。
◆「奇蹟の出版王―野間清治とヘンリー・ルース」 (出川沙美雄/著)
『「仕事の達人」の哲学―野間清治に学ぶ運命好転の法則』 (渡部昇一/著) |
| 阿南惟幾 |
陸軍大臣(鈴木貫太郎内閣)、陸軍大将/妻は竹下平作陸軍中将の娘・綾子/
陸軍士官学校(18期)・陸軍大学卒。参謀本部部員・侍従武官・東京陸軍幼年学校長・
陸軍省人事局長など歴任。昭和14年陸軍次官、のち第二方面軍司令官・航空総監などを経て、
昭和20年4月陸相として入閣。ポツダム宣言の受諾をめぐっては、無条件降伏とはいえ、
国体は護持される確約の照会を実現させた。終戦の詔書の原案「・・・・・・戦勢日々非ナリ」を
「・・・・・戦局必ズシモ好転セズ」に修正する事を強く主張、結局、阿南の修正案が通った。
8月15日早朝自決。
◆関連本 |
阿南惟敬
(これひろ) |
次男(第一子早世のため、事実上の長男)/次弟・惟晟(これあきら)は、昭和18年戦死/
元防衛大学教授 |
阿南惟正
(これまさ) |
四男/北九州産業学術推進機構副理事長、太平工業元会長・社長、元新日鉄副社長 |
野間惟道
(阿南) |
五男/講談社第5代社長/野間家に養子入り、妻は野間佐和子、一男四女有り |
| 阿南惟茂 |
六男/駐中国大使、外務官僚/妻は歴史家・阿南 ヴァージニア 史代 |