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系図でみる近現代 第27回


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第27回 政治家家系小泉家3代、
      そして、小泉純一郎首相と石原慎太郎都知事 (04.7.13記)


小泉又次郎 小泉純也
激動の日本政治史―明治・大正・昭和歴代国会議員史録」より


SHISHIRO
        SHISHIRO(自民党)



平成に入ってからの総理大臣といえば、昭和からまたいだ竹下首相、
そして、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森首相と続き、
平成13年4月成立の現在の小泉純一郎首相に至るまで、
わずか14年程の間に、11人の総理が誕生しました。


以前なら、「現在、日本の総理大臣は誰?」と聞かれても、
若年層では、答えられない人も多かったようですが、
現在は、そんな事は、間違いなくないでしょう。


「変人」「思い込んだら一直線」「政界一の異端児」などと、揶揄され、
逆風をものともせず、強烈な自己主張をためらわない。
まさに、一匹狼の論客という観のあった小泉純一郎

「改革なくして成長なし」、自身では「変人」を「変革の人」と呼び変える。
また、簡潔なフレーズで、人に分かり易く訴える。

現在、規制緩和・民営化の構造改革路線を看板に掲げ、
北朝鮮、イラク・自衛隊の多国籍軍参加、年金制度改革等の問題に、鋭意取り組んでいる。


父は防衛庁長官を務めた小泉純也(じゅんや)、
祖父は逓信大臣(以前の郵政大臣に相当)を務めた小泉又次郎(またじろう)。
政治家3代にわたる家系で現在で約85年間、国政に携わっている。

簡単な家系図を描くとこうなります。



小泉純一郎 系図



小泉又次郎(祖父)

度胸があり、人情に厚く、任侠政治家、人情大臣といわれた人物。
背中から二の腕、足首まで見事な龍の刺青を彫っていたので、
いれずみ大臣、いれずみの又さんとも呼ばれた。

彼の政治家人生は、一貫して反・政友会の立場を取り続け、
また、党人派として、官僚と戦うために費やされた。


その小泉又次郎が、登場してくる有名なノンフィクション・小説といえば、
NHKでも’81年にドラマ化された
言わずと知れた城山三郎・著「男子の本懐」

浜口雄幸首相と井上準之助蔵相を中心に描いた作品ですが、
その浜口内閣の逓信大臣を務めた又次郎も、ところどころに登場してきます。
以下、一部抜粋すると、


“最後の段階で、閣僚予定者の間からも、反対が出た。

[党員(民政党)でもなく、官僚臭があり(日銀出身)、しかも
勅撰の貴族院議員である井上準之助の入閣に対して]

最も強硬な反対者は、小泉又次郎
日比谷焼き打ち山王台で暴れ回った普選運動の闘士である。
請負業者の家に生まれ、小学校助教から政党入りし、「又さん」の愛称のある民衆政治家。
四十円の家賃を滞納して借家を追い立てられたというエピソードを書かれたりしたところであった。

小泉自身は、はじめ入閣するとは思っていなかった。

「野人に名誉は要らん。おれは大臣などにはならん。
今度の内閣は、よほどうまくやってくれんと困る。
だから、おれは大久保彦左衛門になって、悪いことでもあったら、すぐねじこんでやる。
もう年寄りだから、いくら憎まれても、いいからな」

などと、記者たちにたんかを切っていたが、その小泉に大臣のポストが出された。
だが、同時に、井上も渡辺千冬子爵(貴族院)も入閣すると知って、
小泉は浜口にねじこんだ。

「約束違反ではないか。遺憾千万だ。自分は入閣を辞退する」

とまでいいはったが、延々一時間、浜口に誠意をこめて説かれて、折れた。
そして、又さんもまた大臣を受けた。頭をかきながら、前言を取り消し、


「どうも仕様がなくて、大臣にされてしまった。
野人の歴史をけがして残念だが、山王台のように、どなってばかりもいられねえからな」

この又さん大臣、参内するにしても、御車寄せの位置がわからないからと、
内務大臣安達謙蔵の邸まで行き、そこから安達の車に同乗して宮中へ入ったが、
だれも大臣と思わず、安達の従者として扱われる有様であった。”




山王台
日比谷焼き打ち事件以来、大衆煽動の経験を持つ大竹貫一・小泉又次郎ら
憲政会有志が中核となった全国普選連合会が大正11年2月、芝公園や赤坂山王台に、
多数の民衆を集め、普選(普通選挙)断行民衆大会を開催した。警官が多数出動する中、
普選歌を唄い、「普選を阻止する現内閣は国民の敵である」と喝破して、
若槻礼次郎、尾崎行雄、河野広中、永井柳太郎、島田三郎ら、「内閣弾劾、普選断行」と、
舌端火を吐かんばかりの熱弁をふるって民衆の血を湧き立たせる熱狂的な大集会を行った。



又次郎は、時の権力や官に抗い、民意を尊重し、普通選挙法成立に邁進した。


“四十円の家賃を滞納して・・・”云々というのは、
又次郎自身はカネがあると、身辺の困窮者から院外団までに気前よく渡していたために、
結果的に、いつもフトコロには残っていなかった、という事だったようだ。


国史大辞典によれば、この浜口内閣閣僚メンバー出身校の欄は、
ほとんど皆、帝国大学ないしは陸軍大学、海軍大学出身となっているが、
小泉又次郎ただ一人が空欄であった。


なお、この浜口内閣で商工大臣を務めていたのが俵孫一(まごいち)という人物。
実は、その孫一さんのまさに、孫に当たるのが、ニュースキャスター、政治評論家で、
一時期よくモノマネのネタにされていた「こんばんは〜、俵孝太郎です」その方です。

俵孝太郎(小泉純一郎より10歳以上年長)によれば、
祖父・俵孫一と小泉又次郎は、政治的にも個人的にも盟友以上の親しい仲であり、
よく、又次郎が祖父の家を訪ね、茶の間に直行、
押し入れから、決まったところに置いてある又さん専用の浴衣に着替え、
風呂に入ったり、座敷の真ん中で昼寝をしたり、客と会っている祖父には構わずに、
“奥さん、めし”と祖母に言って食事をしたり、自宅同然に過ごしていた。

そんな又次郎と茶の間でしょっちゅう顔を合わせていた俵孝太郎氏は、
家長として、どっしり構えていなければならない自宅よりも
気の置けない友人宅のほうが、湯上りに縁側で肌脱ぎになって
ゆっくりくつろげるというような事があったかもしれない、と。

小泉純一郎が9歳の時、祖父・又次郎は永眠したが、

「あなたより私のほうがよっぽど、お祖父さんの背中の"絵”を見ているかもしれないよ」

と言ったら、彼は苦笑していたとの事。


※ちなみに、俵孫一の妻は三菱財閥の金庫番・三村君平の娘・マツ、
弟は、冶金工学の権威・俵国一(くにいち)。
そして、浜口が凶弾に倒れたあとを引き継いだ第二次若槻礼次郎内閣で、
又次郎は留任したが、新たに商工大臣に就任したのが、
民政党初代幹事長を務めた桜内幸雄
その孫娘(桜内義雄元衆議院議長の姪)が、福田康夫前官房長官の妻
・貴代子。



小泉又次郎は、晩年になって、自身の大臣就任を
「党人として生きてきた自分の人生のなかの汚点」と、述べている。
すなわち、この栄誉を契機に、自分もまた官主導の政治体制に
取り込まれてしまった事への反省の弁という事でしょうか。




小泉純也(父)

又次郎の娘婿であり、旧姓・鮫島。
小泉首相は容貌からすると、まさに父親似。
ただし、母親に言わせれば、「お父さん(純也)のほうがずっとハンサム」。

鹿児島出身で上京して勉学の傍ら民政党の職員をしていたが、
当時、幹事長となっていた又次郎のもとに出入りするうち、
長女・芳江と、恋仲になり、駆け落ち同然に結婚。

昭和12年、衆議院議員に二度目の挑戦で、鹿児島選出で当選。
戦後、岳父同様、公職追放されていたが、昭和27年の総選挙で、
神奈川県の地盤を次いで旧・立憲民政党の流れをくむ改進党より、
出馬し当選、政界復帰を果たした。

2年後の昭和29年には、官僚派閥である吉田茂の一派に対抗して、
戦前派の党人が多く集まった自由党鳩山派・岸派、日本自由党(三木武吉ら8名)と
合同して日本民主党、そして、昭和30年(’55年)保守合同で自由民主党。


保守合同後は、岸信介(安倍晋三祖父)内閣の政策、
すなわち、日米安保条約改定を一貫して支持した。
"60年安保”で岸首相が退陣した後、
岸派が福田赳夫、川島正次郎、藤山愛一郎の三派に
分裂した際には、岸派より藤山派に加わった。

藤山が総裁選で苦杯をなめ、「カネの切れ目が縁の切れ目」と、ばかりに
人々が去っていき不遇になっていく姿を見ても、
藤山の側近として、離れず信念を貫き通した。


昭和37年の参議院選挙では、タレント候補第1号・藤原あきの選挙参謀として、
空前の116万票という大得票で全国区トップ当選を勝ちとり、名をあげた。

温厚な人柄だが、一本気な性格で、政治的姿勢にもブレが少なく、
演説が非常にうまかった。

小泉首相の指南役といわれる松野頼三元自民党総務会長(90年政界引退)は、
「実に立派な演説でね。内容、リズムがいい。当時演説のうまさでは、
一に三木武夫(元首相)、二に小泉純也といえたな」と、回想する。

また、党内きっての日米安全保障、防衛問題の第一人者・論客であったが、
政策についての主張はいろいろするが、
自分自身の地位についての宣伝や売り込みは一切しない。
ある意味では、決して派手な存在の政治家では、なかった。


池田・佐藤内閣で防衛庁長官を務め、70年安保改定時期を目前にした
昭和44年、志半ばにして肺ガンのために死去。
享年65歳、生粋の党人政治家であった。


かくして、長男・純一郎が、留学中のロンドンから、急遽呼び戻され、
昭和44年12月の総選挙に立候補したが、
田川誠一に四千票弱の差で、次点(5位)に泣き、落選。
その後は、福田赳夫(元首相・福田康夫前官房長官の父)の元に通い、
秘書兼書生のようなかたちで、2年半修行した。

福田赳夫は純也が健在のころ、
「俺が首相になった時には、官房長官になってもらう」と伝えていたという。
また、純也が亡くなった時の党葬では、友人総代をつとめた。



父は政治家、子は俳優・タレント


タレント議員第1号・藤原あきがトップ当選を果たした6年後、昭和43年、
参議院全国区で300万票の大量得票でトップ当選したのが、
作家から、政治家に転身した現東京都知事・石原慎太郎

少々前に、TVで、東京都知事の息子・石原良純と首相の息子・小泉孝太郎が
石原家と小泉家は遠い親戚になるという事を話していた、と、
メールで教えていただきました。

こういう感じだったのでしょうか

良純:「コウタローく〜ん、僕たちって、実は遠い親戚なんだよね〜」
孝太郎:「そうなんですね、ヨシズミさん。僕の叔父さんの奥さんがヨシズミさんと、
      またいとこの関係になるんですよね。」


小泉首相の実弟である正也夫婦の仲人は、当時、
同じ派閥に所属していた事から、石原夫妻がつとめた。


石原慎太郎は小泉が首相就任以前のインタビューでは、こう言っていたが・・
「小泉君は女房と同じ横須賀の出身で、親戚筋なんだ。
血がつながってないんで、ほっとしているけど(笑)」








小泉家三代の血


小泉純一郎は、「」の政治家である父親の背中を見て育った。

また、幼少の頃は、「」の政治家である祖父の背中・・・、

遠山の金さんの“桜吹雪”など、“足元にも及ばない”、
個性的な背中を見て育った。

その「」と「」、二つを併せ持つ小泉首相は、
これからも、「年金改革」、及び“北朝鮮の金さん”に対する「“金”改革」ともども、
力を発揮していただきたい。


がんばれ!こいれずみ総理・・・いや、こいずみ総理!!








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「近現代・系図ワールド」


追記2007年6月


小泉政権―非情の歳月」佐野眞一/著、
セラピストがいかに生きるか―直観と共感」近藤章久/著、などを参考に新たな系図を描くと、

小泉又次郎の正妻は、綾部ナヲと言った。
しかし、二人の間に子どもはなく、石川(のち山口)ハツとの間に生まれたのが、
一粒種の芳江(小泉純一郎の母)であった。

また、精神科医・近藤章久の妻・近藤寿子は、血の繋がりはないが、
「小泉又次郎の甥の娘」にあたる。

寿子は又次郎をおじいさん、11歳年上の芳江をお姉さんと呼び親しみ、
又次郎は寿子(長姉)たち三人姉妹をよくかわいがり、
姉妹は、いつも小泉家に遊びに行き、過ごしていたという。

また、結婚前に箔をつけておいた方がいいという親類のはからいで又次郎の養女となり、
結婚にあたっては、小泉純也・芳江夫妻が万事取り仕切ってくれたという。
(関連:第42回





小泉又次郎
小泉又次郎(1865〜1951)
(またじろう/祖父)
衆議院当選12回
(M41.5〜S20.12)
貴族院(勅撰・S20.12〜21.3)
経歴
小学校代用教員、横浜毎日新聞記者
神奈川県議、横須賀市議(市議会議長)、衆議院議員
憲政会幹事長、
衆議院副議長(T13〜S2・党籍離脱の先例を作る)、
立憲民政党幹事長(S3〜4、12〜13)、
浜口内閣第二次若槻内閣逓信大臣(S4.7〜6.12)、
横須賀市長、内閣参議、内閣顧問、貴族院議員
昭和26年死去
■所属政党歴
M41.12.又新(ゆうしん)会、M43.12.無所属、T元.12.亦楽会
T2.12.立憲同志会、T5.10.憲政会、T13.12.無所属、
S2.5.新党倶楽部、S2.6.立憲民政党、
S15.12.衆院議員倶楽部、S16.9.翼賛議員同盟、
S17.5.翼賛政治会、S20.3.大日本政治会、
S20.11.日本進歩党
小泉純也
小泉純也(1904〜1969)
(じゅんや/父)
衆議院当選9回
(S12.4〜20.12、27.10〜44.8)
■経歴
逓信大臣秘書、内務参与官
衆議院議員
第2次鳩山内閣法務政務次官(S30)
外務委員会委員長、
公選法改正特別委員会委員長(S38、S42〜43)
第3次池田改造内閣第1次佐藤内閣防衛庁長官
(S39.7〜40.6)
昭和44年衆議院議員現職のまま死去
■所属政党歴
S12.7.立憲民政党、S15.12.衆院議員倶楽部
S16.9.翼賛議員同盟、S17.5.翼賛政治会、
S20.3.大日本政治会、S20.11.日本進歩党、S27.10.改進党、
S29.11日本民主党、S30.11.自由民主党
小泉純一郎 純也長男/内閣総理大臣(平成13〜18年)、自民党衆議院議員
著書・関連本
小泉信子 三女/政策秘書
小泉正也 次男/秘書
豊島格(とおる) 元通産官僚・資源エネルギー庁長官/
妻は純也の次女・隆子
鍋倉正樹 第一秘書/妻は純也の長女・道子の娘・純子
道子は離婚後、純子を父・純也の籍に入れ父の養女とした
(四女扱い)
小泉孝太郎 小泉純一郎長男/俳優・タレント/
三兄弟で、長男次男小泉姓、三男は元妻の宮本姓
小泉孝太郎 関連DVD
小泉進次郎 小泉純一郎次男/
関東学院大学卒業後、コロンビア大学に留学。
ワシントンのシンクタンク「CSIS」(戦略国際問題研究所)に就職。2007年6月帰国。
泰道照山(たいどうしょうざん) 元エスエス製薬会長
泰道三八(さんぱち) 旧名・彰良/元エスエス製薬会長・コスモ信組理事長、
元自民党衆議院議員(1期)
石原慎太郎 東京都知事、元自民党衆議院議員
著書・関連本
石原伸晃(のぶてる) 自民党衆議院議員、国土交通大臣(小泉内閣)/長男/
妻は元女優・タレント田中理佐(TBSテレビ小説「朝の夢」ヒロインデビュー、NHK「連想ゲーム」レギュラー出演等)
石原のぶてるホームページ
著書
石原良純 俳優・タレント/次男/
著書
「石原家の人びと」
石原宏高 自民党衆議院議員(平成17年〜)/三男/
石原ひろたか公式ウェブサイト
◆関連本
UBUDAS(うぶだす) 自民党1年生議員83会 代議士名鑑
石原延啓 画家/四男







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●参考文献
激動の日本政治史―明治・大正・昭和歴代国会議員史録
閨閥(改訂新版)〜特権階級の盛衰の系譜」神一行
人間 小泉純一郎〜三代にわたる「変革」の血」浅川博忠
男子の本懐」城山三郎
日本の政治家 父と子の肖像」俵孝太郎
歴史読本2001年9月号「小泉家の血脈」長山靖生
検証・石原政権待望論〜小泉政治との徹底比較」石原慎太郎研究会
文藝春秋2004年4月号「小泉信子〜すべては弟・純一郎のために」佐野眞一
月刊現代2004年8月号「岸信介と小泉家」歳川隆雄/「新人・小泉を支えた同窓生たちはなぜ消えたか」阿部崇
 
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