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第33回 皇室典範改正問題、「女性天皇」「女系天皇」とは?
そして、旧皇族復帰? 室町時代より600年続く伏見宮家の系統 (06.1.18記) |
小泉純一郎首相の私的諮問機関として2005年1月に発足した「皇室典範に関する有識者会議」が
ご存知のように、2005年11月24日、報告書を発表しました。
その最大の重要ポイントは、
「皇位継承資格は、女子や女系の皇族に拡大し、長子優先とする。」
つまり、女性天皇、女系天皇を認めるという事。
一般的には、
「愛子さまが天皇になれるようにするんだな。
昔は、女性天皇もいたことだし、
海外には、女王もいることだから、別にいいんじゃないの」
と単純に思いがちです。
しかし、最大の問題点は、「女系天皇」ということ。
すなわち、愛子さまが天皇になるのは、問題はない。
しかし、そのお子さまが天皇になるのは、
天皇家125代、万世一系の歴史と伝統を覆す大問題という。
[ その父親(愛子さまの婿)が、皇統に属する男系男子であれば問題はないが]
このことは、一体どういうことなのか?
(・・・しかし、弱冠、4歳にして将来の女性天皇がどうの、
婿やお子さまがどうのこうのと言われる愛子さまのお気持は・・)
■男系継承
日本の現在までの125代の天皇はすべて男系天皇であった。
男系天皇とは、どういう意味なのか。
天皇の父、祖父、曽祖父・・・・というふうに男親をさかのぼっていくと、
どこかで歴代天皇に行き着く天皇のこと。
■八方十代の女帝
かつて女性天皇は存在したが、女系天皇は存在しなかった。
推古(第33代)、皇極(第35代)・斉明(第37代)、持統(第41代)、元明(第43代)、
元正(第44代)、孝謙(第46代)・称徳(第48代)、明正(第109代)、後桜町(第117代)
上記、十代八名の女性天皇が、存在したが、
一人の例外もなく、すべて、歴代天皇の男系子孫であった。
■皇統に属する男系男子
例え、天皇の孫であっても、内親王(天皇の皇女)の子供は男系ではなく、
また、女性天皇の子供も、当然、男系ではない。
血統をさかのぼって天皇に辿りつくまでに女親が入った場合、
それは、「女系」の子孫ということになる。
その一方、 天皇から何十代離れていても、天皇の皇子、その息子・・・・というふうに
続いていれば、それは、「皇統に属する男系男子」ということになる。
それが、かつて四親王家と言われ、その中でも一番の歴史を誇る
南北朝時代から続く伏見宮家の系統。
すなわち、戦後(昭和22年)皇籍離脱した十一宮家である。
それは、
伏見宮家・梨本宮家・山階宮家・久邇宮家・北白川宮家・閑院宮家・
東伏見宮家・賀陽宮家・朝香宮家・東久邇宮家・竹田宮家
しかし、既に東伏見家(昭和30年)、山階家(昭和60年)、閑院家(昭和63年)は断絶。
伏見家、梨本家、北白川家は、現当主が高齢の上、継嗣がなく断絶の可能性。
(※普通、娘がいる家なら、娘婿あるいは、娘の息子に家を継がすところだが、
皇室血統予備軍である宮家は、男系男子がいなければ、存在意義がなくなり、断絶に到る。)
継続の可能性は、久邇家・賀陽家・朝香家・東久邇家・竹田家の五家。
こういった旧皇族を上記問題解決のために、
宮家に復帰させようという動きがあります。
以下には、伏見宮家600年の流れ、その系図
及びその系統である旧皇族・十一宮家を記しておきます。
(伏見宮家:紫色で表示) |
[系図1] 南北朝と伏見宮家
(参照:第24回)

[系図2] 天皇家と四親王家(伏見宮家・桂宮家・有栖川宮家・閑院宮家)
(参照:第22回・第24回)

[系図3] 伏見宮家歴代
(参照:第24回)

[系図4] 十一宮家
(参照:第24回)

■女系天皇論-皇族からの異議
最新の文藝春秋 2006年2月号 では、
「天皇さま その血の重み なぜ私は女系天皇に反対なのか」というタイトルで、
“ヒゲの殿下”三笠宮寛仁親王の独占会見が掲載されています。
「二千六百六十五年間も続いてきた世界でも類を見ないまことに希有な伝統と歴史を、
一年、わずか十七回、三十数時間の会議で大改革してしまうということが、
果たして認められるのでしょうか。あまりに拙速にすぎませんか、ということは強く申し上げたい。」
と、率直な意見をいろいろと述べられています。
また、旧皇族復帰に関しては、
「旧宮家とは、昭和天皇の親族の集まりである菊栄親睦会をベースとして
親しくつきあっており、正月や天皇誕生日には、皇族・旧皇族全員が皇居に集まり、
両陛下に拝賀という挨拶をするので、違和感は全く無い。」
実際、寛仁親王は、最近、旧皇族とは、親戚関係がより深まったといいます。
というのは、姉・ィ子さんの嫁ぎ先である近衞家の嫡男、
すなわち甥にあたる近衛忠大氏(参照:第6回)が、ご結婚、最近お子さんも誕生。
そのお相手というのが、旧皇族・久邇家のお嬢さんであり、香淳皇后の甥の娘にあたる。
■女系天皇論-旧皇族末裔の異議
そして、旧皇族からは、伏見宮家の流れを引く末裔であり、
皇族復帰候補者の一人ともいわれる人物が、
2005年12月に、ある本を出版しました。
『語られなかった皇族たちの真実―若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」』
この著者のお名前は、竹田恒泰。
第25回 「“スポーツの宮様”竹田宮家とJOC」では、あえて触れていませんでしたが、
竹田恒和JOC会長の長男にあたります。
すなわち、旧皇族・竹田宮家の血筋であり、明治天皇の玄孫(やしゃご)でもあります。
1975(昭和50)年生れの現在30歳。
2002年の横浜市長選挙に立候補を表明したものの、
親族たちに「我々は政治に係わるべきではない」と諭され出馬を断念。
また、2005年、開戦直前のイラクを訪問し、政府高官と開戦回避の
独自外交を展開したりもした。
行動家であり、かつ、読書家でもある人物で、
「竹の間」というHPを持ち、第121代・孝明天皇の研究家でもあります。
(※2/1ブログ開設 「竹田恒泰日記」)
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[系図5] 明治天皇皇女と竹田宮家、他・宮家
(参照:第25回)

竹田恒泰氏は、
皇統は絶対に男系によって継承されなくてはならないと断言し、
過去に女性天皇が誕生した状況や理由、
かつて三度あった皇統断絶の危機をいかに乗り切ったかを解説。
また、近現代における戦前・戦中・戦後に皇族が果たした役割、
竹田家をはじめとする旧皇族十一宮家の戦後及び現在の状況等、
わかりやすく、まとめて書いてくれているので重宝します。
(※しかし、残念な事に、P41の「後花園天皇に関する略系図」に一部間違いがあります。)
ちなみに、最初の男系皇統断絶の危機には、
十親等の遠縁である継体天皇(第26代)が継承した。
二度目の危機は、八親等の後花園天皇(第102代)が継承(参照:系図1)、
三度目の危機は、七親等の光格天皇(第119代)が継承した(参照:系図2)。
三度とも、遠縁である傍系から天皇となった。
そして、いずれも男系継承であった。
現在、旧皇族で、著者と同世代の未婚の男系男子は八名(うち竹田家五名)、
また、愛子さま世代には、三名いるといいます。
特に同世代の八名は、皇室の尊厳と存在意義を守り抜くために、
責任を感じなくてはならないと、著者は言います。
確かにその信念は、本を読めば読むほどひしひしと伝わってきます。
■近衞家・コ川家
最後に、
皇室2665年の歴史をもちだされると、はるかに及ばないのですが、
他に、日本の名門家系といえば、
明治以降の華族制度でも最高位の公爵であった、
公家の名門、五摂家筆頭近衞家、
武家の名門、将軍家コ川家
両家の近現代における系図及び、当主は、どうかというと、 |
[系図6] コ川家と近衞家
(参照:第6回・第8回・第10回・第14回・第17回)

コ川家は一見、女系のようであるが、父方・会津松平(保科)家により、
コ川家康の血をひく男系、
近衞家は、女系ということになるのでしょうか。
「皇統はなぜ男系により継承されなければならないのか。女系では、いけないのか」
という問いに対して竹田恒泰氏は、
「男系により継承されてきたものを天皇家というのであり、
皇統が女系により継承されたとしても、それは天皇家とはいえない」
思わぬ展開もありうるのが、世の常です。
天皇家及び天皇家周辺の動向から、今後とも目が離せません。
(06.1.18記)
※関連
第24回 皇室血統予備軍、四親王家。そして、戦後(昭和22年)、皇籍離脱した十一宮家とは?
第25回 “スポーツの宮様”竹田宮家とJOC
※秋篠宮妃紀子さまがご懐妊(2/7)
2006年年頭の「歌会始の儀」で、秋篠宮ご夫妻が
「笑み」をお題に詠まれた歌には、やはり、意味がありました・・。
秋篠宮殿下
「人々が 笑みを湛へて 見送りし こふのとり今 空に羽ばたく」
秋篠宮紀子妃殿下
「飛びたちて 大空にまふ こふのとり 仰ぎてをれば 笑み栄えくる」
※2006年9月6日 皇室に41年ぶり男児誕生
おめでとうございます。
近現代・天皇家(皇室)系図
秋篠宮紀子妃・系図
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