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系図でみる近現代 第36回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

山崎製パン創業・飯島家 家系図 (※転載禁止)

第36回 山崎製パン創業一族・飯島家、そして、ヤマザキの“華麗ぱん”(カレーパン) (07.3.9、3.18記)

日本一のパンメーカー


山崎製パン(ヤマザキ/山パン)のパンと言えば、 日常生活において、非常に身近な存在。

ふと、日頃何気なく食べている菓子パンを、改めてまじまじ眺めると、 やはり、「太陽マーク」とともに「ヤマザキ」という文字が目に飛び込んでくる。

それもそのはず、パンメーカー2位以下から10位までの売り上げを足しても、 ヤマザキの売り上げには、及ばないという断トツのトップメーカーである。


そのヤマザキが不二家を支援する。(第35回参照)

ヤマザキの強みは、本業のパン事業以外にも、 和菓子、餅、ケーキと、どれも断トツの首位で、 ケーキなどの洋菓子一つとっても、ヤマザキの730億円に対し、 不二家は270億円の売り上げである。
[もっとも、ヤマザキの主力は、ショートケーキ(パック入り)やロールケーキでしょうか。]


山崎製パンの創業沿革


かつて、ヤマザキは昭和37年、東証2部への株式上場後、 最新鋭の武蔵野工場建設への投資が、年間売上高にほぼ匹敵し、 過剰投資とみなされ、「資金難から倒産寸前」との噂が流れた。

株価は低落し、噂が噂を呼び、
「危機に追い込まれて山崎社長から飯島社長に交替した」

などという流言も、まことしやかに流れた。

しかし、何のことはない、元々、社長の名前は飯島である。

飯島藤十郎が創業者であり、社長であった。

山崎製パンの創業は、昭和23年。

体育教師だった藤十郎が、戦後、千葉県でパン事業を始めたが、 創業当時、別のパン事業にも関わっていたため、 飯島名義では、開業許可がおりなかったため山崎とした。

山崎」は、妹・裕代の嫁ぎ先の姓。
夫・山崎要太郎は藤十郎が若かりし頃修行した 中村屋新宿中村屋)時代の仲間だったが、 既に死別して、山崎裕代は二人の子どもを抱えて苦労していた。

山崎という社名をそのまま使い続けた理由の一つには、
中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻が 元々、中村屋屋号のパン屋を譲り受けて業を興し、 そのまま屋号を変えず、これを守り育てた事に、倣ったものでもあるという。

その後、藤十郎は妻・弟妹・一族、従業員とともに、 一丸となって会社を大きくして行った。


大阪進出と大ロシア


関東での地盤を固めたヤマザキは、 昭和40年代前半、関西侵攻?を開始した。

今から思うと、あの当時が、その時期に当たったのでしょうか。
まさに、大阪では新興勢力のイメージでした。

近所に、ヤマザキを扱うパン屋さんができ、 食パンの「みみ」のギザギザが、目新しく印象深かった。

また、「アメリカパン」と書かれていて、 外国人の女の子がパンを口にした写真(スージーちゃんマーク)が、 今までのパンとは違う、異国ムード漂うハイカラな雰囲気を醸し出していた。

そして、確か、白く解けた砂糖が乗っかった「大ロシア」という巨大パンがあった。
実は、このモスラの幼虫のようなグロテスクな商品が、大ヒットした。


飯島藤十郎と大ロシア
関東・関西合同ヤマザキパン販売店研修会を実施、大阪(第一)工場で「大ロシア」を説明する飯島藤十郎 (山崎製パン創業35周年記念誌「ひとつぶの麦から」より)




お家騒動


幼少より仲の良い兄弟で、切磋琢磨して会社を発展させていったが、 お決まりのように、兄弟間の確執もあった。
それは、昭和51年、火を噴いた。
飯島藤十郎と、6歳下の弟・飯島一郎(当時専務)の抗争。

しかし、その火種は前述の武蔵野工場建設の頃よりというのが通説。
簡単に言えば、 消費者のコメ離れ等、将来を見越して、
行け行け「攻めの経営」の兄と、「守り」の弟
という兄弟の方針・性格の違い、そして、 取り巻きの役員陣等がからんで、事が大きくなった。

この紛争の関係者の一人は、 藤十郎VS一郎の骨肉の争いをこう言った。

「弟の一郎氏の方へ日清製粉(大株主)側の役員がつき、 藤十郎氏を社長の座から追放したことから事態が深刻になった。
藤十郎氏側は、初めから“これは弟と手を組んだ日清製粉の乗っ取りだ”
と叫び、徹底抗戦の構えを見せていた事でもわかる。
兄弟げんかがいつしか役員陣、大株主を巻き込んでの暗闘になったということでしょう。」

前社長・藤十郎の日清製粉憎しは相当なもので、笹川良一の支援をあおぎ、 突然、日清製粉の株を430万株(30%)も買って、 正田英三郎(日清製粉会長)を抜いて個人筆頭株主に躍り出るなど、 揺さぶりをかけ、日清製粉側を大いにあわてさせた。

だが、ここでお家騒動に終止符をうった裏には、 「騒動がこれ以上こじれる事で火の粉が正田家へ波及するのを恐れた」 為だとも言われる。

当然ながら、正田(しょうだ)家と言えば言わずと知れた、 美智子皇后(当時・皇太子妃殿下)の実家であり、 正田英三郎はその父である。


そして、ほぼ、調停案の線にそって、藤十郎が社主、一郎が代表権のない会長、 飯島延浩常務が社長に昇格する事で、いわば“けんか両成敗”の形で収拾された。

岩佐凱実富士銀行相談役の仲裁がなかったら、騒動はまだまだ イースト菌のように、どんどん膨らんでいたであろうと言われる。

ただ、こういった状況下でも、ヤマザキの業績は二桁増益を続けていた。

なお、この時の名残か、一時期、笹川良一子息・笹川陽平日本財団会長が、 山崎製パンの役員を務めていた。

最近の不二家問題に関しては、1月に、ブログでこんなコメントも。


ヤマザキ・飯島一族


ヤマザキの現在の社長は、飯島延浩。 既に28年間社長の座にある。創業者・藤十郎の長男である。

専務には、三女の夫・吉田輝久

孫にあたる延浩長男・飯島幹雄が常務、また、昨年買収した東ハトの社長も務める。

延浩次男・飯島佐知彦は、
スーパーヤマザキ(CGCグループ/本部府中市 10店舗)社長。


そして、Jリーグナビスコカップでもお馴染みの
ヤマザキナビスコの社長が飯島茂彰
藤十郎次男である。


なお、今回の不二家支援、及び、昨年の東ハト買収は、
米ナビスコ社が、M&Aの波に飲み込まれて、 クラフトの一部門となり、今年11月期限のナビスコブランド使用契約が 更新できるかどうか、まだ未定というところからもきている。


他にも、ヤマザキで、現在、常勤監査役(元常務)の山崎晶男や、 取締役を務め平成16年顧問となった飯島英行は、 現社長のいとこにあたる方であろうか。


一つ間違えば、不二家の二の舞になりかねないのが、同族経営。
何か起きると、その実態が、白日の下にさらされ、同族企業は悪だと喧伝される。

しかし、同族の優良な大企業も数多く存在する。
また、同族に限らず、どこの企業でも、多かれ少なかれ、 いわゆる派閥争いというものはあるであろう。


華麗なる一族 “華麗ぱん”


創業者・飯島藤十郎は、前述のように、10代後半、 昭和2年より2年半、新宿中村屋で修行し、 そこで多くの得がたい商売に対する考え方、店の方針・ 「安くて良い品を自分でつくって売る」という基本を学んだ。

ヤマザキ創業後にも、何度も中村屋に足を運び、 相馬愛蔵をはじめ、当時の先輩、同僚に指導を仰ぎ、意見を求めている。

新宿中村屋は元々、パン屋として創業したが、カリー(カレー)でも有名
インドカリーは昭和2(1927)年以来、販売され続けている。


華麗なる一族」TV放映と、原作者・山崎豊子にかけて
売り出されたヤマザキの華麗パンには、
カレーの他にも、
こうういった愛着、歴史的思いも詰まっているのではないでしょうか。

そして、その実、
製造元も、まさに、“華麗なる一族”であったのである。


華麗ぱん



創業家物語
創業家物語
創業家物語 (文庫)
創業家物語世襲企業は不況に強い (講談社プラスアルファ文庫)


そらのる

●山崎製パン・飯島家系図
飯島藤十郎 山崎製パン創業者・初代社長、社主/四男一女の長兄
「ヤマザキパン王国への道 飯島藤十郎伝」
飯島和
[希和子]
山崎製パン名誉顧問、スーパーヤマザキ社長/藤十郎の妻、二男四女の母
武蔵野の野辺に立ちて
飯島正男
[将吉]
山崎製パン取締役、監査役、スーパー山崎鮮魚部長/藤十郎次弟/
戦後、鮮魚店を手広く経営
飯島一郎 山崎製パン2代社長(S52~54)、ヤマザキナビスコ社長(S54~61)/藤十郎三弟
山崎裕代 山崎製パン取締役、監査役/藤十郎妹
飯島良男
[秀浩]
山崎製パン常務、監査役、山崎ナビスコ社長/藤十郎末弟
尾森雄
(たけし)
山崎製パン取締役、常勤監査役/飯島和の弟
飯島延浩 山崎製パン3代社長(S54~)/藤十郎長男
飯島茂彰 ヤマザキナビスコ社長(S61~)/藤十郎次男
吉田輝久 山崎製パン専務/藤十郎娘婿[三女・章代(ふみよ)の夫]
飯島幹雄 山崎製パン常務、東ハト社長/延浩長男
飯島佐知彦 スーパーヤマザキ社長/延浩次男
関連人物
相馬愛蔵(あいぞう)
相馬愛蔵
1870~1954/明治~昭和期の実業家、中村屋創業者/
東京専門学校(早稲田大学)卒。郷里で蚕種製造に携わり、「蚕種製造論」を著す。
明治34年妻・良(黒光)と共に上京し、東京・本郷のパン屋「中村屋」を譲り受け開業。
40年新宿に移転、インテリ・パン屋として評判となる。
大正12年会社組織として会長。昭和3年欧州を巡遊。
妻と共にロシアの亡命詩人エロシェンコ、インドの独立運動家ラス・ビハリ・ボース、
画家中村彝(つね)ら芸術家を保護援助した。
ボースからインドのカレーの製法を直伝され、「カリー(カレー)ライス」として店に出し
有名となる。20年の戦災で焼失したが再建。
著書に「一商人として」「続・一商人として」「商店経営三十年」などがある。
著書・関連本
相馬黒光(こっこう)
相馬黒光
1876~1955/明治~昭和期の実業家、中村屋創業者/本名・相馬良/
明治女学校卒業後、信州で養蚕指導者になろうとしていた相馬愛蔵と結婚。
明治34年夫と共に上京し、パン屋「中村屋」を開業。
大正時代の中村屋は欧州なみのサロンで、高村光太郎、木下尚江、エロシェンコ、
中村彝、中原悌二郎など芸術家と交遊し、“中村屋文化サロン”と呼ばれた。
随筆家としても活躍し、なかでも「黙移」は島崎藤村、星野天知、北村透谷らの
文学界同人や国木田独歩の青年時代の姿を伝え、文壇史、文学史上の
貴重な資料となっている。
著書・関連本
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンクコトバンク:/amazon[名前で検索])





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●参考文献
武蔵野の野辺に立ちて」飯島和
ひとつぶの麦から―山崎製パン株式会社創業三十五周年記念誌 (1984年)
月刊 BOSS(ボス) 2007年 04月号 [雑誌]
「不二家救済に名乗りを上げた山崎製パン・飯島延浩の本音」
財界閻魔帖―この企業の”触れられたくない部分”」東京スポーツ新聞社
中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義」中島岳志
「役員四季報」
「人事興信録」
「日本紳士録」