近現代・系図ワールド
系図でみる近現代~夢・感動・人間!~

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系図でみる近現代 第37回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

武豊 家系図 (※転載禁止)

第37回 武家の血をひくサラブレット、武豊・武幸四郎兄弟。薩摩藩士の家系・武家と園田家、そして、大西郷 (07.4.3記)

武豊と言えば、競馬に興味のない人でも、名前は知っているであろう、
競馬界の有名人中の有名人である。

そして、もう少し詳しい人なら、
その弟の武幸四郎も有力騎手であり、
父は往年の名騎手・武邦彦(調教師、2009年引退)、
少々、ミーハー?であれば、妻は元タレントの佐野量子というのもご存知であろう。


武邦彦三男・四男


武豊は1969年3月、武邦彦の三男に生まれた。

長男・が1966年、次男・克己が1968年に生まれ、
そして、豊から10年近く離れて、1978年11月に四男・武幸四郎が誕生した。

母・洋子は、1979年の福永洋一騎手の落馬事故を引き合いに出すまでもなく、
騎手が危険な職業である事を熟知していたので、
息子たちには、騎手以外の道を進んでもらいたいと願い、
長男次男はその通り、別の道に進んだ。


しかし、豊は騎手の道を歩み、
父・邦彦が1985年引退時には、既に、競馬学校の一年生として在籍していた。

武邦彦は、引退直後のインタビューでこの三男の事を聞かれ、

「騎手の場合は跡取りといっても何も財産がない。
まあ、でも体が小さかったなら一人ぐらいは、という気持ちはあった。
(豊、幸四郎ともに長身)
好きなのなら反対する理由もなかったし」

と答えている。


単なる偶然か、血液型は長男・次男がA型、
父および、騎手になった三男・四男はO型であるという。


武彦七と園田実徳


武親子のルーツは、薩摩藩士に、さかのぼる。

武豊の曽祖父は、武彦七といい薩摩藩士であった。
元の姓は園田であり、薩摩藩士・武(たけ)家の養子に入った。
[父・園田彦右衛門は元々、武(たけ)家の出/参照:eHAKO 函館地域ニュース]
のち、鹿児島から函館に移り住んだ。

その兄である園田実徳は「北海共同競馬会」の設立発起人に名を連ね、
牧場を開設し、その経営を弟・彦七に任せた。

武彦七は、日本における西洋馬術の始祖といわれる函館大経の弟子として、
馬術を学び、彦七自身も数多くの弟子(騎手・調教師)を育てた。

彦七の長男・武芳彦によると、
父は、夜になると自分の部屋へ若い者たちを呼び、
馬を覚えさすために、四つんばいになって自分の背中に乗せ、
わざと落としては、
「ほらおまえのは、脚が悪いんだ、気をつけい」

などと、厳しく指導していたという。
こんな時代もあった。

彦七には7人の子がいたが、長男・芳彦が牧場を継ぎ、 後年、北海道馬主協会理事を務めた。

芳彦には男6人女1人の子があり、 その三男が武邦彦である。
(武彦七から豊・幸四郎兄弟までに至る四代は、 皆さん、細面のお顔のようです。)

武彦七
武彦七「優駿増刊号 TURF」より


◆そして、前述した武彦七の兄が、北海道の海運・鉄道開拓の功労者であり、 函館の近代化に大きな功績を残した実業家園田実徳(さねのり)である。


園田実徳は幼くして、薩摩藩主・島津忠義(久光息子)の小姓に抜擢され、
のち西郷隆盛の知遇を受け、維新の際、各地に転戦し功をあげた。

次いで、開拓使次官(のち長官)黒田清隆に従い北海道に仕官、
西南戦争時には、官軍に投じ、負傷するも功により、勲六等に叙せられた。


明治14年、実業界に身を転じ、海運・鉄道や、北海道銀行の創業など、
起業家・実業家として活躍した。

また、北海道に牧場を作り、競走馬の育成、改良に力を尽くしたほか、
競馬界の実力者としても、東京馬匹(ばひつ)改良株式会社の監査役等を務め、
目黒競馬場の経営にも関わった

その息子・園田清彦も、畜産業を営み、
東京競馬倶楽部、日本レース倶楽部の常務理事を務めた。

園田実徳に娘は6人いて、それぞれ有力者あるいはその息子に嫁いだが、
当時の人事興信録等によれば、五女・つるは「武千代 方に入家せり」とあるので、
こちら側からも、武家とは新たな繋がりがあったのでしょう。


そして、その長姉であるノブ(のぶ子)の嫁ぎ先が、
あの大西郷の嫡男、西郷隆盛遺児・西郷寅太郎であった。




西郷寅太郎披露宴


明治29年、西郷従道の目黒の別荘にて、 当時、歩兵中尉であった西郷寅太郎と、 園田実徳長女・ノブの披露宴が催された。

勝海舟が、往年の西郷隆盛との関係や、 今日に至る寅太郎へのひとかたならぬ世話等から、主賓の座に座った。

出席者には、当日の主人たる西郷従道を始め、 時の総理松方正義や、川村純義樺山資紀高島鞆之助等、
薩摩の錚々たるメンバーの他、 寅太郎友人の薩摩の青年も数多く参加していた。

酒が入るにしたがい、勝海舟の話は、佳境に入り 西郷隆盛の思い出話から、維新当時の談に及んだ。
その機微をとらえた巧みな話術もあって、 一同話に聞き入り、披露宴ではあるが、思いがけない 勝海舟の追憶談に皆、酔いしれたという。

西郷隆盛を慕い、行動をともにし、 命がけで維新を導いた薩摩のお歴々にとっては、 はからずも、西南戦争で敵対し、追いやってしまったという自責の念を含め、 さまざまな想いが去来したことでしょうか。

また、薩摩の青年たちにとっては、 今や伝説となった維新の立役者・郷土の英雄である自分の友人の父、 しかし政府からは賊徒のレッテルをはられた大西郷の話を 維新の一方の雄・当事者である勝海舟その人から聞けて、 感激、まさに夢・感動の境地だったのではないでしょうか。

当然のことながら、この場には、花嫁の父である園田実徳は、いた事でしょう。
花嫁の叔父である武彦七はどうだったのでしょうか。


妻・ノブ(園田実徳長女)


その後、明治35年に、勝海舟の尽力等もあり、 維新の元勲西郷隆盛の功績で、 西郷寅太郎は侯爵に叙される。

ところが、実のところ、妻・ノブには、少々、問題があった。
父が馬主、競馬に大金を投じたりする豪奢の聞こえあって その血を受継いだか、万事に派手好みであったのである。
元・日銀総裁の邸宅を購入、女中を13人雇い、豪華な衣装、芝居、遊山にも浪費。

この頃、寅太郎は歩兵大佐に昇進していたが、 とうてい、軍人の給与で賄える「派手」ではなかった。
ノブの実家の援助があって、どうにか維持していた。

しかし、大正6年に、ノブの父・園田実徳が死去すると、
援助者を失って、西郷侯爵家の家財政は窮乏の一途を辿る。
大正8年正月に、寅太郎が死去した際には、負債は多額に達していた。

邸宅の売却も余儀なくされ、 大正8年に嗣子隆輝が侯爵を継いだが、翌9年11月に20歳で死去する。
そこで、寅太郎三男の西郷吉之助が大正10年4月に18歳で襲爵する。

そして、この年に、西郷家はノブを離縁する。


その後、西郷吉之助は、 資産家の名古屋の侯爵徳川義親二女春子をめとり(のち離婚)、 貴族院議員、参議院議員を務め、昭和43年、第二次佐藤栄作内閣の法相を務めた。
(参照:「明治・大正・昭和華族事件録」)


競馬一家・武一族


武家は、まさに競馬一族である。

武彦七の長男芳彦が牧場を継ぎ、 次男房彦は、函館で酪農を営み、 三男輔彦、四男平三、五男富三は騎手となり、 このうち輔彦、平三が調教師となった。

そして、長男芳彦の息子武邦彦は、叔父・平三のもとに弟子入りして騎手となった。

平三の長男宏平は麻布獣医大学に学び、 父の厩舎の厩務員、調教助手を経て調教師となった。

宏平の5歳下の弟永祥は騎手を経て調教助手。
その息子が1999年デビューの騎手・武英智(ひでのり)である。
(豊・幸四郎兄弟のはとこ)

永祥の姉由美は永祥と同期に騎手となった現調教師作田誠二に嫁いでいる。
(参照:「武豊・武幸四郎徹底分析―天才騎手の系譜」)

他にも、競馬関係者は多数いると思われる。


今回の系図は、競馬関連という事で、 競馬ファンにとれば、馬の血統・系図の方が、良いのかもしれませんが、 あくまで、「系図でみる近現代~夢・感動・人間!」がタイトルですので・・。

人間だけで、せいいっぱいで、とうてい、そこまで描く“馬力”は、ありません。
まあ、しかし、馬主にでもなれば、話は別ですが(^^;)

その時のサブタイトルは、「夢・感動・人参!」ですね・・・。


薩摩藩士・武家(ぶけ)の血をひく武(たけ)家の活躍に、これからも目が離せません。


そらのる

●武家・園田家系図
園田実徳(さねのり) 1848~1917/実業家、北海道の海運・鉄道開拓功労者、衆議院議員当選1回(立憲政友会)/
日本郵船会社函館支店長、北海道銀行頭取、北海道炭鉱会社理事、函館船渠社長、
函館水電会長、小樽電気社長、日本煉炭・朝鮮水産・北海道瓦斯・
東洋精糖各取締役、武蔵電気鉄道監査役。牧場を経営す/
薩摩藩士として鹿児島に生まれる。
明治7年に開拓使函館電信局会計主任として初めて北海道に渡り、
15年には当時、独占企業だった郵便汽船三菱会社に対抗して、
地元資本家らが創立した北海道運輸会社に参画して同社幹事となった。
実徳は自ら船に乗り組み、冬季間航海が行われていなかった根室、花咲両港を
現地調査し、函館~根室間の航路を開いた。
また、北海道炭鉱鉄道会社の設立にも初めから関係、35年に監査役を辞任するまで
13年に渡って経営に参画し、早くから函館~小樽間の鉄道開通に尽力した。
北海道初の電車を函館・東川町~湯の川間に走らせたり、
北海道セメント、函館船渠、北海道銀行を創立するなど、
函館を中心とした北海道の経済界に貢献した。
大正6年2月18日死去。
園田清彦 畜産業、馬主、東京競馬倶楽部・日本レース倶楽部各常務理事
園田実彦 馬主
武彦七 牧場経営/園田実徳実弟、武豊・幸四郎曽祖父/
函館大経の弟子となり、馬術を学び、自身も多くの弟子(騎手・調教師)を育てる。
西郷隆盛
西郷隆盛
維新の三傑、陸軍大将/
西郷隆盛関連本
西郷寅太郎
西郷寅太郎
陸軍歩兵大佐、習志野俘虜収容所長/西郷隆盛次男・嫡男/侯爵、貴族院議員
西郷吉之助
西郷吉之助
第2次佐藤栄作内閣法相、参議院議員、貴族院議員
西郷菊次郎
西郷菊次郎
京都市長/西郷隆盛長男
西郷従道
西郷従道
元帥海軍大将/西郷隆盛弟/侯爵/
西郷従道関連本
関連人物
函館大経(たいけい) 近代競馬の祖。調教師の草分け的存在/
明治末期に函館で活躍、「絹糸一本で馬を御す」いわれた名手であり、
その系譜は現在まで連綿と続いている。門下からは数多くの名騎手・名調教師が生まれ、
今なお日本の競馬界に大きな影響を与えている。
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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内容は基本的に書籍、新聞・雑誌等の文献、ネット上の新聞社・出版社、人物に関する公式サイト等、TV番組なども、参考に描いております。また、家系図に登場される方からの情報の場合もあります。

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●参考文献
明治・大正・昭和華族事件録」千田稔
明治維新 英傑の秘話」田部井昌子
西郷家の女たち」阿井景子
武豊・武幸四郎徹底分析―天才騎手の系譜」四條たか子
「武豊」の瞬間」島田明宏
日本競馬を創った男―エドウィン・ダンの生涯」赤木駿介
北海道歴史人物事典
「優駿増刊号 TURF」日本中央競馬会
「明治ニュース事典」