| ●吉本・林家系図 |
| 吉本せい |
(1889〜1950)大正・昭和期の興行師、吉本興業創業者/12人きょうだいの三女
明治40年大阪上町の荒物商、吉本吉兵衛に嫁いだが、夫の芸人道楽から、
45年大阪・天満天神裏の端席・第二文芸館(のち天満花月)の経営権を取得、
吉本興行部の看板を掲げて格安の木戸銭で寄席経営に乗り出した。(大正2年)
これを足がかりに次々に夫・吉兵衛が寄席を買収・拡大、妻・せいが運営という形で発展、
大正13年夫の死後も実弟の林正之助、林弘高を片腕に事業を拡大、
京阪神に花月の名を冠した寄席30余を持つまでになる。
昭和7年、吉本興業合名会社を設立して社長に就任、
東京、京都、横浜にも進出し、寄席は47軒を数えた。
エンタツ・アチャコによる近代的漫才を創始、また芸人の専属制をしき、
家内工業的な寄席を近代的娯楽産業に成長させた。
また、出雲地方の安来節を寄席芸として衆知させた功績もある。
功なり名とげてからのせいは、各方面に多額の寄付をし、
また、新聞や雑誌からは、「女小林一三」や「女今太閤」などと、呼ばれもした。
昭和10年には大阪脱税疑獄に連座して、脱税と贈賄の容疑で収監されるも、
翌11年、元大阪府議会議長・辻阪信次郎の縊死により、うやむやのうちに処理された。
昭和13年には、大阪新世界の通天閣のオーナーになった。
「女だてらに」と「女ならでは」という両面をたくみに使いこなして、
大阪の演藝界を席捲した偉大なプロデューサーであった。
山崎豊子の小説「花のれん 」のモデルとなった。
◆「女興行師 吉本せい―浪花演芸史譚」 |
| 林正之助 |
吉本興業会長・社長/12人きょうだい8番目の三男/
■吉本歴代名物社長“林正之助”
◆関連本
「笑売人 林正之助伝―吉本興業を創った男 」
「わらわしたい―竹中版・正調よしもと林正之助伝 」 |
| 林弘高 |
吉本興業社長/12人きょうだい11番目の五男/
東京吉本を担当、モダン・ハイカラ路線を打ち出し邁進、
戦後、吉本株式会社として分離独立するも、浅草の斜陽化により、
会社更生法の適用を受ける。のち、吉本興業社長。 |
| 林裕章 |
吉本興業社長/正之助娘婿、妻・マサ/猿丸吉左衛門四男
■トップに聞く |
| 林正樹 |
吉本興業東京制作部所属チーフプロデューサー |
| 林英之 |
吉本興業相談役 |
猿丸吉左衛門
(猿丸吉雄) |
1903〜1983/芦屋市長、兵庫県会議員/
兵庫県芦屋に生まれる。1927年、同志社大学法学部卒。
吉雄と名付けられたが、のちに猿丸総本家61代の当主となり吉左衛門を襲名。
学生時代は陸上競技、相撲、ラグビーと三部かけもちで活躍。
同志社初の学生横綱、砲丸投げ・ハンマー投げでも日本新記録樹立。
1923年から1926年、ハンマー投げでは、早大の沖田芳夫と日本新記録の更新合戦を演じ、
猿丸・沖田時代を築いた。卒業後、満鉄に勤務。
1934年、家業(矢満喜商事社長、三光汽船取締役)を継ぐ。
1948年戦後二代目の芦屋市長に就任(〜1952年)、1964年兵庫県議会議員(〜1967年) |
猿丸元
(はじめ) |
東急フライヤーズ代表、箱根強羅ホテル支配人/
元毎日新聞記者をつとめた |
笠置シヅ子
(シズ子) |
1914〜1985/歌手、女優/本名・亀井静子、娘は亀井エイ子/祖父は漢学者、
父は同じ香川県出身の南原繁元東大総長の後輩という関係で、後援会長は南原だった。
小学校を出ると同時に大阪松竹楽劇部(OSK、SKDの前身)に入り、
昭和13年、東京に移って松竹楽劇団の旗揚げに参加、ジャズ歌手として売り出す。
戦後の22年に服部良一作曲「東京ブギウギ」を大声を張り上げて歌い踊りまくった彼女は、
暗い世相を吹き飛ばし、ブギの女王として一世を風靡した。
横浜の一少女が笠置のまねをして「東京ブギウギ」を歌い、一躍名をあげた時、
ブギの女王・笠置は少女に自分の持ち歌を唄うのを禁じた。
この少女がのちの美空ひばりである。
昭和25年の「買物ブギ」はレコード45万枚を売り尽くした。
しかし、ブギの流行はこの曲で終わりをつげた。生活が安定して来たことと、
アメリカのポピュラーソングが続々と日本に流れ込んできたからである。
笠置の華々しい歌手生活は終わり、以降はテレビ、舞台で活躍、
55年まで13年間TBS系の「家族そろって歌合戦」の審査員を続けた。
自伝「歌う自画像」がある。
◆関連CD
◆関連本
「なつかしい芸人たち 」色川武大 |
| 島田正吾 |
俳優、新国劇俳優/本名・服部喜久太郎/
大正12年、沢田正二郎が率いる新国劇に入団。
沢田の急死後、辰巳柳太郎とともに主役級に抜擢され、股旅物を得意とした。
昭和26年以降、映画にも進出し、舞台作品の映画化の他、
「消えた中隊」「大利根の夜霧」「六人の暗殺者」などに主演。
テレビ出演作も数多い。劇団新国劇は昭和54年に一度倒産、その後再建したが、
苦しい経営が続き、昭和62年に新橋演舞場で劇団創立70周年記念公演を機に
劇団を解散するまで、新国劇の大黒柱として活躍した。
盟友辰巳柳太郎とは、「動の辰巳、静の島田」と好対照のライバルとして知られ、
渋く独特なせりふ回しで観客を魅了した。
現役最高齢俳優として活躍したが、04年11月没
◆関連DVD
◆関連本
「芝居ひとすじ 」
「ふり蛙―新国劇70年あれこれ 」 |