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系図でみる近現代 第38回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

吉本せい 林正之助 家系図 (※転載禁止)

第38回 吉本興業創業者・吉本せいと林正之助。そして、お家騒動勃発!ワテほんまによう言わんわ~ (07.4.20記)

最近、週刊誌で、吉本興業が騒々しい。
元々、活躍するお笑い芸人・タレントが豊富なので、賑やかなのは周知の事実だが、今回は、少々事情が違うようである。

舞台には、林家(創業家)、経営陣、ベテラン漫才師が、登場する。
事の発端は、3/26発売の週刊現代4/7号、
先頃、「吉本興業の正体」を上梓した作家・増田晶文のスクープ記事、

創業家「排除」と「逆襲」の暗闘――お家騒動が始まった、と銘打ち、吉本の副社長が、創業家の意向を受けた元暴力団に脅迫されたと報じた事に始まる。

その後、週刊新潮で、創業家当主・林マサが、ベテラン漫才師・中田カウスこそが、暴力団との関係を吹聴し、それを笠に経営に介入していると告発、

それに反撃する形で、カウスが週刊現代で創業家と暴力団の癒着を主張、旧経営陣への爆弾発言も飛び出し、騒動は新旧経営陣を巻き込み拡大の様相を呈している。

吉本興業・お家騒動週刊誌バトル

ちなみに、ここで登場する創業家・林家とは、元々の創業者・吉本せいの実弟であり、戦前の一時期から戦後長年に渡り、経営を実質支配した林正之助家をあらわす。


吉本興業、吉本・林家の歴史


華麗なる一族」の作者・山崎豊子が昭和33年に、直木賞を受賞した作品といえば、「花のれん」。

実は、このモデルが吉本興業創業者・吉本せいである。

吉本せいは、「尼将軍」、「女小林一三」、「女今太閤」などと、マスコミからは、評された。

吉本興業は明治45(1912)年に吉本吉兵衛(泰三)と、吉本せいの夫妻が、大阪天満の第二文芸館の経営権を取得した事に始まる。
そして、これを足がかりに、次々と寄席を買収・拡大していった。

大正13年、夫・吉兵衛の早世後、既に片腕として働いていたせいの10歳下の弟・林正之助の他に、その8歳下の弟・林弘高を招き、東京吉本を担当させた。
この二人の実弟が車の両輪として脇を固め、その後の発展の礎を築いた。

戦後昭和23年、合名会社を吉本興業株式会社に改組し、吉本せいが会長、林正之助が社長に就任した。
既に戦前より、事業の実権は、林正之助にゆだねられていた。

平成3年、長年に渡り君臨した林正之助会長が、92歳で亡くなり、創業家出身でない実力者・中邨秀雄が社長に就任した。

その後、東京進出が成功し、経営が安定したところで、平成11年に社長の座は、正之助の娘婿・林裕章(マサの夫)に“大政奉還”された。

ところが、平成17年に62歳の若さで病死。
社長はまたも、創業家以外の吉野伊佐男の手に渡り、現在に至る。

吉本興業は、昭和24年に大証、36年に東証に上場、平成14年には経団連にも加盟し、全国区の総合エンターテインメント企業に脱皮していった。

どこかの小学生が、戦後一番発達した“工業”は何ですかと聞かれ、吉本興業やと答えたという逸話もあるぐらいである。

しかし、この過程において、創業家と経営陣との間の亀裂は徐々に深まって行き、この対立構図に、暴力団の存在が話を一層複雑にした。

歴史的に興行の世界では、ヤクザとの共存共栄は暗黙の了解・必要悪となっており、吉本せい、林正之助と山口組のつきあいは、周知の事実であった。


林家、猿丸家


◆現在、林家で役員に名を連ねているのは、取締役相談役林英之(元専務)。
東京吉本を担当した林弘高の長男、すなわち、正之助の甥にあたる。
妻は、新国劇俳優・島田正吾の長女・右子(ゆうこ)である。


◆また、正之助愛娘・林マサ未亡人は、吉本興業筆頭株主「大成土地」と、個人名義で吉本株の16%近くを保有しているという。

その夫で前社長の林裕章は、兵庫県芦屋市長や県会議員を務めた猿丸吉左衛門の四男。

◆裕章は同志社大学でアメフトの選手であったが、父・猿丸吉左衛門も、「同志社の猿丸といえば京都では知らない人はいない」と言われた程のスポーツ界の逸材。

同志社初の学生横綱(大正15年)や、ハンマー投げ・砲丸投げで、日本新記録を樹立。
他にも、ラグビーのフォワードで活躍したり、柔道も高段者であった。

◆また、その弟である猿丸元はプロ野球球団・東急フライヤーズの代表や、箱根強羅ホテルの支配人をつとめた。


猿丸家は百人一首で有名な三十六歌仙の一人、猿丸大夫の末裔といわれる芦屋の素封家であった。




吉本せい次男と笠置シヅ子


現在、創業家は林家となっているが、それでは、吉本せいに子どもはいなかったのか。

実は、戸籍上、夫・吉兵衛との間に、8人(女6人男2人)の子をもうけているのである。
しかし、5人までもが早世した。

期待をかけ、成長したたった一人の男児、次男・吉本穎右(えいすけ)は、成人してもなお、病弱気味であった。

そのうえ、母・せいの意にそぐわぬ恋愛に走る。

吉本御曹司の恋愛相手は、戦後、ブギの女王と呼ばれ、一世を風靡する、当時、大阪歌劇団(OSK)で活躍していた笠置シヅ子であった。

しかし、吉本せいは、溺愛する息子の恋愛を許さなかった。
既に、笠置シヅ子が穎右の子を身ごもっているという事実を知りながら。
許されぬまま、穎右はあっけなく、昭和22年5月、24歳で病死する。
妊娠中だった笠置シヅ子は、やがて女児を得て未婚の母となるが、父の顔を知らないこの女児に、父の名前を取って、エイ子と名付ける。

つまり、吉本せいの孫を笠置シヅ子が生んでいるのである。

その後、笠置シヅ子は、日本人ばなれした抜群のリズム感で舞台いっぱいに歌い踊り、咆哮のような叫び、そのエネルギッシュなステージは、 戦後の暗い世相を吹き飛ばし、日本に元気を与えた。

ブギウギは、1小節を8音で構成するジャズの一つで、戦後アメリカで流行し、日本へは「東京ブギウギ」によって紹介された。
「東京ブギウギ」「情熱娘」「買物ブギー」など服部良一作曲の名曲の数々は、今聞いても、ファンキーで新鮮である。
また、大阪弁の「買物ブギー」のワテほんまによう言わんわ~は、当時、流行語にもなった。


吉本せいは穎右が亡くなってから3年後の昭和25年3月、60年の生涯を閉じる。
息子の恋愛事件と死が、せい自身の生命を縮めたともいわれる。


吉本新喜劇


今回の騒動に関して、週刊現代、週刊新潮のみならず、 他の週刊誌でも、解説記事等、賑やかであるが、次から次へと飛び出す“ネタ”の豊富さには、 観客席側としても、さすがと、感心するところである。

そういえば、吉本新喜劇は、ヤクザが登場するのが定番であった。

“お笑いの殿堂”吉本らしく、新喜劇同様、随所にボケツッコミオチを入れながら、結局、ハッピーエンドで、幕引きはできるのであろうか。


創業家物語
創業家物語

創業家物語 (文庫)
創業家物語世襲企業は不況に強い (講談社プラスアルファ文庫)

そらのる

●吉本・林家系図
吉本せい
吉本せい
(1889~1950)大正・昭和期の興行師、吉本興業創業者/12人きょうだいの三女/
明治40年大阪上町の荒物商、吉本吉兵衛に嫁いだが、夫の芸人道楽から、45年大阪・天満天神裏の端席・第二文芸館(のち天満花月)の経営権を取得、吉本興行部の看板を掲げて格安の木戸銭で寄席経営に乗り出した。(大正2年)
これを足がかりに次々に夫・吉兵衛が寄席を買収・拡大、妻・せいが運営という形で発展、大正13年夫の死後も実弟の林正之助、林弘高を片腕に事業を拡大、京阪神に花月の名を冠した寄席30余を持つまでになる。
昭和7年、吉本興業合名会社を設立して社長に就任、東京、京都、横浜にも進出し、寄席は47軒を数えた。
エンタツ・アチャコによる近代的漫才を創始、また芸人の専属制をしき、家内工業的な寄席を近代的娯楽産業に成長させた。
また、出雲地方の安来節を寄席芸として衆知させた功績もある。
功なり名とげてからのせいは、各方面に多額の寄付をし、また、新聞や雑誌からは、「女小林一三」や「女今太閤」などと、呼ばれもした。
昭和10年には大阪脱税疑獄に連座して、脱税と贈賄の容疑で収監されるも、翌11年、元大阪府議会議長・辻阪信次郎の縊死により、うやむやのうちに処理された。
昭和13年には、大阪新世界の通天閣のオーナーになった。
「女だてらに」と「女ならでは」という両面をたくみに使いこなして、大阪の演藝界を席捲した偉大なプロデューサーであった。
山崎豊子の小説「花のれん」のモデルとなった。
女興行師 吉本せい―浪花演芸史譚
林正之助 吉本興業会長・社長/12人きょうだい8番目の三男/
関連本
笑売人 林正之助伝―吉本興業を創った男
わらわしたい―竹中版・正調よしもと林正之助伝
林弘高 吉本興業社長/12人きょうだい11番目の五男/
東京吉本を担当、モダン・ハイカラ路線を打ち出し邁進、戦後、吉本株式会社として分離独立するも、浅草の斜陽化により、会社更生法の適用を受ける。のち、吉本興業社長。
林裕章 吉本興業社長/正之助娘婿、妻・マサ/猿丸吉左衛門四男
林正樹 吉本興業東京制作部所属チーフプロデューサー
林英之 吉本興業相談役
猿丸吉左衛門
(猿丸吉雄)
1903~1983/芦屋市長、兵庫県会議員/
兵庫県芦屋に生まれる。1927年、同志社大学法学部卒。
吉雄と名付けられたが、のちに猿丸総本家61代の当主となり吉左衛門を襲名。
学生時代は陸上競技、相撲、ラグビーと三部かけもちで活躍。
同志社初の学生横綱、砲丸投げ・ハンマー投げでも日本新記録樹立。
1923年から1926年、ハンマー投げでは、早大の沖田芳夫と日本新記録の更新合戦を演じ、猿丸・沖田時代を築いた。卒業後、満鉄に勤務。
1934年、家業(矢満喜商事社長、三光汽船取締役)を継ぐ。
1948年戦後二代目の芦屋市長に就任(~1952年)、1964年兵庫県議会議員(~1967年)
猿丸元(はじめ) 東急フライヤーズ代表、箱根強羅ホテル支配人/
元毎日新聞記者
笠置シヅ子(シズ子)
笠置シヅ子
1914~1985/歌手、女優/本名・亀井静子、娘は亀井エイ子/祖父は漢学者、父は同じ香川県出身の南原繁元東大総長の後輩という関係で、後援会長は南原だった。
小学校を出ると同時に大阪松竹楽劇部(OSK、SKDの前身)に入り、昭和13年、東京に移って松竹楽劇団の旗揚げに参加、ジャズ歌手として売り出す。
戦後の22年に服部良一作曲「東京ブギウギ」を大声を張り上げて歌い踊りまくった彼女は、暗い世相を吹き飛ばし、ブギの女王として一世を風靡した。
横浜の一少女が笠置のまねをして「東京ブギウギ」を歌い、一躍名をあげた時、ブギの女王・笠置は少女に自分の持ち歌を唄うのを禁じた。
この少女がのちの美空ひばりである。
昭和25年の「買物ブギ」はレコード45万枚を売り尽くした。
しかし、ブギの流行はこの曲で終わりをつげた。生活が安定して来たことと、アメリカのポピュラーソングが続々と日本に流れ込んできたからである。
笠置の華々しい歌手生活は終わり、以降はテレビ、舞台で活躍、55年まで13年間TBS系の「家族そろって歌合戦」の審査員を続けた。
自伝「歌う自画像」がある。
関連CD
関連本
なつかしい芸人たち」色川武大
島田正吾
島田正吾
俳優、新国劇俳優/本名・服部喜久太郎/
大正12年、沢田正二郎が率いる新国劇に入団。
沢田の急死後、辰巳柳太郎とともに主役級に抜擢され、股旅物を得意とした。
昭和26年以降、映画にも進出し、舞台作品の映画化の他、「消えた中隊」「大利根の夜霧」「六人の暗殺者」などに主演。
テレビ出演作も数多い。劇団新国劇は昭和54年に一度倒産、その後再建したが、苦しい経営が続き、昭和62年に新橋演舞場で劇団創立70周年記念公演を機に劇団を解散するまで、新国劇の大黒柱として活躍した。
盟友辰巳柳太郎とは、「動の辰巳、静の島田」と好対照のライバルとして知られ、渋く独特なせりふ回しで観客を魅了した。
現役最高齢俳優として活躍したが、04年11月没
関連DVD
関連本
芝居ひとすじ
ふり蛙―新国劇70年あれこれ
関連人物
中邨秀雄
(なかむら)
吉本興業名誉会長(03年)・会長(99年)・社長(91年)/
関西学院大学時代はラグビー選手で鳴らす。
55年、吉本興業に入社。花菱アチャコらのマネージャーをつとめた後、うめだ花月や吉本新喜劇を立ち上げ、TV局と組んでバラエティー番組を制作する手法を編み出す。
「ヤングおー!おー!」などの人気番組を次々に成功させて多くの人気タレントを育て、舞台とTVの相乗効果で「吉本の笑い」を全国に広めた。
関連本
笑いに賭けろ! 私の履歴書
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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●参考文献
女興行師 吉本せい―浪花演芸史譚」矢野誠一
笑売人 林正之助伝―吉本興業を創った男」竹本浩三
同志社山脈―113人のプロフィール」同志社山脈編集委員会編
同志社からの道」同志社大学編
週刊現代
週刊新潮
週刊ポスト
週刊文春