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系図でみる近現代 第39回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

親鸞、蓮如、大谷家 家系図  (※転載禁止)

第39回 浄土真宗、宗祖・親鸞、中興の祖・蓮如、そして、東西本願寺・大谷家(07.5.13記/のち加筆)

[系図]



東西本願寺


現代人にとって、仏教と言っても、葬式や法事の時のみ接するもの、
いわゆる“葬式仏教”というのが、一般的であるかもしれません。

しかし、それは、それで、家の宗教・宗派を知る事により、
自身の家の歴史、ルーツなどに触れる良い機会なのかもしれない。


JR京都駅を出て、左手に京都タワーを見て、
まっすぐ通りを進むとすぐ、烏丸七条交差点の向こうに大きな寺が見える。
これが、いわゆる東本願寺真宗大谷派/お東さん)である。

そして、その交差点を左折、西にまっすぐ、600~700メートルも行って、
堀川七条交差点を右折すると、堀川通西側に、
西本願寺浄土真宗本願寺派/お西さん)がある。


両本願寺とも、うれしい事に、拝観料は無料であり、
京都の中心部の目と鼻の先に、二つの本願寺が相対している。


東西両本願寺は、親鸞を宗祖と仰ぐ浄土真宗・「真宗10派」の最大勢力である。

真宗10派真宗教団連合
本山 本山所在地
浄土真宗本願寺派 西本願寺 京都
真宗大谷派 東本願寺 京都
真宗高田派 専修寺 三重
真宗仏光寺派 仏光寺 京都
真宗興正派 興正寺 京都
真宗木辺派 錦織寺 滋賀
真宗出雲路派 毫摂寺 福井
真宗誠照寺派 誠照寺 福井
真宗三門徒派 専照寺 福井
真宗山元派 証誠寺 福井

ちなみに、浄土真宗と呼ぶようになったのは、明治になってからで、
それまでは、一向宗と呼ばれていた。

また、そのトップである東本願寺の法主(ほっす/1981年より門首)、
及び、西本願寺の法主(または門跡/1946年より門主)は、
親鸞の血を引く末裔たちによって、継承されてきた。


本願寺の歴史


本願寺は、元々、京都・鳥野辺の地、大谷に葬られた親鸞の墓所が発展していったもの。

親鸞の末娘覚信尼(かくしんに)が1272年、遺骨を納める廟堂を京都・東山大谷に建て、
当初、「大谷御影堂」と呼ばれ、親鸞の子孫らによって守られていた。

その後、親鸞の曽孫である覚如(かくにょ)が「本願寺」と名付け、自らを3世と定めた。


浄土真宗本願寺教団も、はじめは、それほど信徒は多くなかった。

しかし、室町時代、8世蓮如(れんにょ)の時代に、
熱心な布教活動と末寺(まつじ)・門徒の組織化が
活発に行われ、大きく発展した。

そして、各地で一向一揆を起こすまでになった。

11世顕如(けんにょ)の代、織田信長と、教団の命運をかけて対峙した、
大阪の石山本願寺戦争は10年間にも及んだ。
(参照:NHK「その時歴史が動いた」 信長 執念の天下統一~大坂本願寺との十年戦争~


その後、豊臣秀吉は本願寺に対して融和政策をとり、
1591年、京都堀川に土地を寄進した。

これが、現在の西本願寺であり、
本願寺は大阪から京都に戻ってきた。しかし、その翌年、顕如が死去。
長男教如(きょうにょ)が継承するが、豊臣秀吉の命によって引退に追い込まれ、
弟で三男准如(じゅんにょ)が12世となる。


ところが、関が原合戦後の1602年、教如徳川家康から
現在の烏丸七条に、寺地を与えられ、
別に本願寺(東本願寺)を建てたことにより、
東・西二つの本願寺が並立することとなった。

本願寺勢力が巨大化するのを恐れた家康の巧妙な分断作戦であった。


以後、東西本願寺は、徳川幕府の庇護のもとで、
本来の宗教活動の世界に引き戻っていく。

西本願寺 東本願寺
配置 阿弥陀堂が右、御影堂が左 阿弥陀堂が左、御影堂が右
両堂の柱 真四角 円柱
畳の敷き方
幕末 勤王派 佐幕派
宗門大学 龍谷大学 大谷大学
南無阿弥陀仏 南無(なも)と発音 南無(なむ)と発音
燭台(しょくだい /ろうそく立て) 銅に漆塗りの宣徳製燭台 亀の背中に乗った鶴が 口に蓮軸をくわえた姿の鶴亀燭台
焼香 おしいただかず1回 おしいただかず2回
大谷家 門主 門首
大阪別院 北御堂 (津村別院) 南御堂 (難波別院)
(大阪市内中心部を南北に走る御堂筋の名は、北御堂と南御堂に由来する)


近現代の歴代宗主


東西本願寺は、徳川幕藩体制のもとでは、
十万石の大名と同じ格式だったが、実力は百万石ともいわれた。

明治天皇の即位の式典に際しては、費用三千両のうち、
二千両を両本願寺が折半して用立てたという。


いずれの本願寺でも、歴代宗主の名は、
下に「如」の字を使った二文字であるが、
これは、法名(ほうみょう)であり、本名(諱/いみな)は別にある。

例えば、中興の祖・8世蓮如は、兼寿であり、11世顕如は光佐である。


この両本願寺の一族は、皇室と同様に無姓だったが、
明治以降、大谷姓を名乗る。
これは、親鸞の墓所・京都東山大谷の地名に由来する。


明治29年、東西本願寺の大谷家は政府から、伯爵を授けられた。

西本願寺 東本願寺
21世 明如 大谷光尊(こうそん/伯爵) 厳如 大谷光勝(こうしょう)
22世 鏡如 大谷光瑞(こうずい/伯爵) 現如 大谷光瑩(こうえい/伯爵)
23世 勝如 大谷光照(こうしょう/伯爵) 彰如 大谷光演(こうえん/伯爵)
24世 即如 大谷光真(こうしん/前・門主) 闡如 大谷光暢(こうちょう/伯爵)
25世 専如 大谷光淳(こうじゅん/現・門主) 浄如 大谷暢顕(ちょうけん/現・門首)

近現代の東西両本願寺・大谷家に関しては、
次回、第40回に西本願寺、第41回に東本願寺へと続く。

「東本願寺」と一言で言っても、一筋縄ではいかないのである・・・。

そらのる





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