近現代・系図ワールド
系図でみる近現代~夢・感動・人間!~

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系図でみる近現代 第43回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

朝吹英二~朝吹家 家系図 (※転載禁止)

第43回(前編) 伝説のギタリスト・成毛滋と、ブリヂストン石橋家。そして、グループサウンズ「ザ・フィンガーズ」と朝吹誠 (08.3.29記)
第43回(後編) 三井財閥四天王・朝吹英二と朝吹家の人々。そして、ハリウッド化粧品、「八甲田山」と「国家の品格」 (08.4.20記)

日本のロックギタリストの草分け


今から、ちょうど1年前の2007年3月29日、
ギタリスト成毛滋(なるもしげる/Dr.シーゲル)が、がんのため亡くなりました。
60歳でした。

日本のロック黎明期を代表するギタリスト、 70年代前半、「ミュージックライフ」誌で人気投票No1を獲得したギタリスト。

80年代には、文化放送の深夜ラジオ番組「パープル・エクスプレス」で、DJをつとめ、 「Dr.シーゲルのギター講座」というコーナーを持っていた。


現在プロミュージシャンとして活躍し、70年代に青春時代を過ごしたある人物は、
高校時代、「グレコ」のエレキギターを買ったら、 「成毛滋のギターレッスン」というカセットテープが付いていた、と振り返る。

当時のギター少年は、そのカセットテープ及び教則本で、エレキギターを学び、 現在でも、成毛滋を師匠と慕う者も多い。

2007年、成毛滋が、亡くなるのと、ほぼ同時期、 伝説の三枚のアルバムが、格安価格で再発売された。

それは、70年結成の角田ヒロ(現・つのだ☆ひろ)との「ストロベリー・パス」での一枚
(名曲「メリー・ジェーン」初出、間奏のギターはもちろん成毛滋)、
及び、そこに、高中正義を加えたバンド「フライド・エッグ」での二枚。

まさに、日本のロック黎明期を代表するアルバムと言っても、 過言ではないアルバムであろう。

そして、成毛滋は、この、そうそうたるメンバーのバンド以前の60年代、 実は、グループサウンズ(GS)に所属していた。

その名はザ・フィンガーズ


フィンガーズ創始メンバー・朝吹誠


60年代(特に後半)に一世を風靡したグループサウンズと言えば、 「ザ・タイガース」「ザ・テンプターズ」「ザ・スパイダース」「オックス」 「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」「ザ・ワイルドワンズ」等、が有名であるが、

成毛滋が、60年代前半から、 慶応高校の仲間5人で結成していたバンドが、「ザ・フィンガーズ」。

その第1期創始メンバーの名は、

朝吹誠三野村清雄斎藤茂一高橋信之成毛滋


“近現代”に興味のある人間なら、このメンバーの名を見て、 少々、ピクンと来たのでは、なかろうか。

GS研究第一人者・黒沢進の著書、「熱狂! GS図鑑」によれば、
ザ・フィンガーズの項目には、「財閥御曹司GS」と銘打たれ、

「メンバーは代議士の孫、三井創設者の孫(※正確には玄孫)、 ブリヂストンタイヤの重役の息子などで、
『僕だけが普通のサラリーマンの子供』(高橋信之=弟は高橋幸宏)だったそうである。」

と記されている。

簡単にメンバーの出自を書けば、

朝吹誠は、三井財閥四天王・朝吹英二の曽孫、仏文学者・朝吹登水子の甥、
石井光次郎衆議院議長の孫、シャンソン歌手・石井好子の甥。

三野村清雄は、三井財閥中興の祖・三野村利左衛門の玄孫。

斎藤茂一は、斎藤茂吉の孫、斎藤茂太の息子、作家・北杜夫の甥。


そして、成毛滋は、ブリヂストン創業者石橋正二郎の孫、重役・成毛収一の息子。
すなわち、成毛滋の母方従兄弟には、鳩山由紀夫邦夫兄弟、(参照:「系図でみる近現代 第3回」)
2004年ル・マンで総合優勝した郷和道「チーム郷」レーシングチームオーナー等がいる。


また、メンバーで親友でもあった朝吹誠成毛滋は小学生の時より、親戚になっていた。
すなわち、朝吹の母方石井家と、成毛の母方石橋家が繋がっていた。

既に、小学校で友人同士であった二人は、結婚式で同席し、 「親戚になったんだ!」と、宴会場で手を繋いで走り回って喜んだという。

この二人、朝吹家と成毛家を中心とした系図を描くと、



その後、ザ・フィンガーズは5人のメンバーのうち、三野村が64年に病気で、 65年に斎藤が退学(2年続けて留年=強制退学)で、朝吹は留学で抜け、 残った成毛と高橋は、新たなメンバーを加えながら、 69年に解散するまでザ・フィンガーズは続いていく。
(参照:「ザ・フィンガーズ:バイオグラフィ」)


ちなみに、ユーミン(松任谷由実)は、フィンガーズの追っかけをやっていた。
また、のちにYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)等で活躍する高橋幸宏は、 朝吹誠からドラムの手ほどきを受けた。


成毛と朝吹の親友関係は、以後も続くが、 さかのぼると、中学の時には、8ミリ映画を共同制作・主演し、 大学1年の時は、日本スポーツカークラブ主催・箱根ヒルクライムに、 成毛は、プリンス自動車(大株主・石橋家)のスカイラインGTで、朝吹はボルボP-1800で出場した。

20代には太極拳老師・王樹金氏を台湾から招聘する委員会を組織し、 麻布慈眼山・光林寺で、太極拳・八卦拳道場を開催した。

30代には成毛家の近くの中華料理店「新北海園」で、 上海語や広東語で従業員と語らいながら食事を共にし、 40代では西式医学・断食療法の渡辺医院(東中野)に通い、 50代に入ってからは月1回「人生について学ぶ」定例的な朝食会を開催した。

晩年には、ライブハウス赤坂エルカミーノがオープンすると同時に、 偶然にも店でバッタリ出会い、、それ以来、成毛が他界するまで、 フィンガーズ時代の曲を共に演奏し、青春時代を再現していた。


昨年、成毛滋が亡くなった時、朝吹誠は、 死別した人々の中でも、最も悲しい出来事だったと、 文字通り、三日三晩泣き続けたという。


多士済々、近現代の名家・朝吹家


朝吹誠の曽祖父、三井財閥重鎮・朝吹英二は、 福沢諭吉に見込まれ、その姪を妻とした。

その朝吹英二から、現代に至る「朝吹家」は、まさに、多士済々である。

人事興信録や日本紳士録には、
現在、ジャパン・インフォメーション・ネットワーク社長を務める朝吹誠や、
その弟で、詩人・仏文学者、慶大教授朝吹亮二の名があり、
また、「20世紀日本人名事典」(日外アソシエーツ社)を合わせると、
ざっと、10名程の「朝吹」さんの名を目にする事ができる。

しかも、この全員が、単なる同姓の人物ではなく、 系図で繋がる一族であるという事実に、改めて驚く。

特に「20世紀日本人名事典」では、「朝吹」の姓のみで、 ほぼ1ページを、8名の「朝吹家」の方が占めている。

[さらに、朝吹家より新星登場!2011年1月、 朝吹亮二の娘・朝吹真理子が、「きことわ」で芥川賞受賞。]
きことわ (新潮文庫)


次回、第43回後編では、「朝吹家」の人々の話題と系図を。

そして、この朝吹家からは、旧華族や、 昨年12月に亡くなった美容家一族に繋がり、 そこから、また、“八甲田山”及び“国家の品格”が連なる・・・。


to be continued


第43回(後編) 三井財閥四天王・朝吹英二と朝吹家の人々。そして、ハリウッド化粧品、「八甲田山」と「国家の品格」 (08.4.20記)

三井の四天王、及び重鎮たち


朝吹英二は、明治・大正時代における財界巨頭の一人であった。
座談が巧みで愛嬌に富み、人脈・顔の広さは各界に及んだ。

三井においては、物産の益田孝、銀行の中上川彦次郎、 工業部の朝吹英二、鉱山の団琢磨、 この四人が、三井の四天王と呼ばれた。


朝吹英二が義弟となった、中上川(なかみがわ)彦次郎は、 井上馨に引き抜かれ、明治24年、三井銀行に入った。
そして、三井の工業化及び、改革を推進し、多くの巨星に育つ人材をスカウトした。
しかし、明治34年、48歳という若さで早世した。

そのスカウトされた人材には、朝吹をはじめとして、
藤山雷太和田豊治武藤山治藤原銀次郎日比翁助池田成彬などがおり、 彼らは、のちに、三井のみならず、日本の政治・経済を動かす巨木に成長した。

前述したように、朝吹英二は中上川の義弟、すなわち、妹の夫であり、 また、藤山雷太は、中上川の妻の妹の夫、池田成彬は、中上川の長女の夫となった。
系図2 参照)



三井財閥No2 朝吹英二


中上川彦次郎は、福沢諭吉の姉の子、すなわち甥であり、 福沢は、父親と早く死別した彦次郎と澄の兄妹を 手許に引き取り、澄が年頃になると、門下生の中でも 群を抜く働きものであった朝吹を婿に選んだ。
朝吹は、9歳の時、疱瘡にかかり、顔面には隙のないぐらい、アバタの凸凹があった。

美人で活発な澄は、「朝吹さんだけは、いや」と拒んだが、 福沢に、必ず実業界で頭角を現す男であり、 あのアバタ面では女にもてるはずがないと、説得されて結婚。

しかし、福沢の予言は、前者は、的中したが、後者は、大はずれとなった。
天性、あけっぴろげの朝吹は各地の花街で大いにもてたのである。


福沢の玄関番からスタートした朝吹は当初、三菱に入り、 2年後には、新たに設立された「貿易商会」の若き取締役・支配人となるが、 他人の借金まで背負って破産する辛酸をなめながらも、人柄や手腕により、 三井系企業、鐘紡・三越・王子製紙などの重役を歴任するに至った。


また、「商業資本主義・益田孝の物産」Vs.「工業資本主義・中上川彦次郎の銀行」といった、
時には、利害の相反する両巨頭の間で、自らは、あくまで脇役に徹し、 常に円滑なる調整、運営に腐心し、大三井を舞台裏から支えた。


後年、製紙王と呼ばれる藤原銀次郎は、三井物産台北支店長時代の ある失敗により、辞表を胸にしていたが、朝吹の尽力・調整により救われた。

藤原は、「朝吹さんは大恩人です。今日あるは朝吹さんのおかげです。」
と言ってはばからず、英二の嗣子・朝吹常吉の経営する千代田組を 生涯、引き立て後援した。


一方、英二は後年、三田系の後輩たちに述懐した。
「わしの一生は、失敗のし通しで何一つ成功と言えるようなものはなかったが、 部下から三人の大実業家を出したのだけは、少し自慢できるかな」

三人とは、藤原銀次郎の他、鐘紡社長武藤山治、富士紡績社長和田豊治だった。


中上川亡きあと、三井財閥の実権者No1が益田孝、No2が朝吹英二であった。
明治40年代に入り総元締の管理部に君臨していた鈍翁(どんのう)・益田孝が 引退を決意し、朝吹を後継に指名した。
しかし、朝吹は任にあらずと固辞し、団琢磨を推して引退した。


余談であるが、大番頭・益田孝(男爵)の玄孫と結婚していたのが、 一時期、益田宏美を名乗っていた歌手・岩崎宏美である。


芸術・文化の分野に開花、朝吹家の人々


朝吹英二の嗣子・朝吹常吉は、父親に似ぬ堅物で、 三越や帝国生命(現・朝日生命)の社長を務め、日本庭球協会の初代会長も務めた。

妻・朝吹磯子の父は、日本の航空界の開拓者、スキーの紹介者として知られ、 プロペラひげで有名な長岡外史将軍で、 磯子は、ママさんテニスの草分けとなり、42歳の時、全日本ダブルスに優勝した。


夫妻に、独立自尊の精神を植えつけられた5人の子供たちは、
長男・朝吹英一が、木琴奏者、次男・朝吹正二も音楽、 三男・朝吹三吉はフランス文学者(妻・朝吹京はピアニスト、義妹・石井好子はシャンソン歌手)、 四男・朝吹四郎は建築家と、それぞれ独自の道に進んだ。

また、末っ子の朝吹登水子は、サガンやボーヴォワールの翻訳者、仏文学者・作家として知られ、 晩年には、自伝三部作・「私の軽井沢物語」「私の巴里物語」「私の東京物語」を上梓した。

特に「私の軽井沢物語」では、朝吹家など新興実力者家系や、 華族・皇族階級との交流、多数の人物の名が登場するので、 当時の上流階級を垣間見ることができ、非常に興味深い。


日本の情報を海外に発信


そしてまた、その下の世代、それぞれの子息たちも、 俳句、詩、仏文学、建築等の分野で活躍している。

とりわけ、現代の最先端・インターネット分野に大きく関わっているのが、 前編でも紹介したフィンガーズ創始メンバーである、三吉の長男・朝吹誠である。


留学経験を数多く持つ国際人であり、 学生時代より、「日本」を海外に正しく伝える事に尽力していた。

1984年には、日本で初めて、全米CATVネットワークに、 日本の番組を英語で放送する番組を制作・総指揮し、 (最初の番組には、当時の中曽根首相が英語で登場) 85年からは、CNNのテッド・ターナー会長と直接交渉し、 6年間に渡り、毎週30分番組「This week in Japan」を放送した。

また、インターネットが始まる10年前の1985年、 コンピューターに、日本に関するデータを英文で蓄積し、 世界のコンピューター・ユーザーがVAN(付加価値通信網)を使用して 日本に関する情報を取得できる試みをおこなった。
このシステムは、国の情報文化発信を目的とする試みとしては、世界初であった。

90年には、コンピューターによる日本の英文情報を 世界に発信するシステム「Japan Information Network」を企画考案、 日本で初めて国家予算化され、そのコンテ ンツが、 現在の外務省のコンテンツ「Web Japan」(ウェブ・ジャパン/外務省HP内)に発展した。

現在、自身でも、ジャパン・インフォメーション・ネットワークを運営、 代表を務め、「日本」の広報にあたっているが、 このサイトは、グーグル(英語版)で、「japan」と検索すると、 トップページにランクされるサイトである。


上記、朝吹家を中心とした系図を描くと



朝吹家より連なる「ノーベル賞」、旧華族、「ハリウッド化粧品」


朝吹英二の実弟は、野依(のより)家に養子に行き、野依範治となった。
その曽孫にあたるのが、2001年ノーベル化学賞を受賞した野依良治である。

また、朝吹家は、旧華族である山本伯爵家・尾崎男爵家・東園子爵家などに繋がる。

朝吹四郎の長女・登志子がその東園家に嫁ぎ、そして、次女・雅子が嫁いだのが、 昨年12月に96歳で亡くなった美容家・ハリウッド(化粧品)代表メイ牛山の子息で、 現・ハリウッド社長牛山勝利である。



そして、「八甲田山」、「国家の品格」


「メイ牛山を偲ぶ会」に、親戚代表として、思い出を語ったのは、
2006年ベストセラー「国家の品格」の著者である、数学者・藤原正彦であった。

その父は、「八甲田山死の彷徨」等で有名な作家・新田次郎であり、 実は、その従兄にあたるのが、メイ牛山の夫で、 ハリウッド化粧品創業者・牛山清人であった。
系図3 参照)


ジャパン・インフォメーション・ネットワーク代表である朝吹誠は、現在、 米・CNNや仏・フランス24のようなメディアのネットワーク構築に向けて、 鋭意奮闘中であるという。

国際化という大きな流れの中、“国家の品格”を保った、 グローバル・コミュニケーション・メディアの構築が、大いに待たれる。


そらのる

朝吹・石井・石橋・成毛家系図
石橋正二郎
石橋正二郎
ブリヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)創業者・会長・社長、石橋財団初代理事長
石橋幹一郎 ブリヂストンタイヤ会長・社長、石橋財団第3代理事長/妻は団伊玖磨の妹
石橋寛 ブリヂストン監査役、石橋財団第4代理事長
団琢磨
団琢磨
三井合名理事長、日本工業倶楽部初代理事長/男爵
団琢磨/三井史を彩る人々
団琢磨|近代日本人の肖像
団伊能
団伊能
プリンス自動車社長/団琢磨長男/男爵
団伊玖磨
団伊玖磨
作曲家
鳩山和夫
鳩山和夫
衆議院議長
鳩山一郎
鳩山一郎
首相
鳩山威一郎
鳩山威一郎
外相、大蔵次官/妻・安子は石橋正二郎の長女
鳩山由紀夫
鳩山由紀夫
首相、衆議院議員(民主党)
鳩山邦夫
鳩山邦夫
衆議院議員(自民党)
成毛収一
(なるも)
ブリヂストンタイヤ副社長/妻・典子は石橋正二郎の次女/
昭和16年東大卒、三菱銀行勤務ののち、25年ブリヂストンタイヤ入社。
歌舞伎や食にも造詣が深い趣味人でもあった。
成毛収一
「成毛収一遺稿と追悼」成毛典子
成毛滋
成毛滋
ギタリスト/
日本のロック黎明期を代表するギタリストであり、
70年代前半、「ミュージックライフ」誌人気投票No1ギタリスト。
60年代、ザ・フィンガーズ(GS)を経て、70年代前半、ストロベリー・パス、フライド・エッグを結成・活動した。
■「Dr. Siegel's Archives 成毛滋のレア音源
成毛滋関連CD
大烏が地球にやってきた日」ストロベリー・パス
ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン」フライド・エッグ
グッバイ・フライド・エッグ」フライド・エッグ
サウンド・オブ・ザ・フィンガーズ」ザ・フィンガーズ
成毛厚子 漫画家/成毛滋の妹/
昭和49年、「殺人ゲーム」(別冊少女フレンド)でデビュー。
怪奇・ホラーものに定評があり、代表作に「白昼夢」「恐怖招待席」などがある。
成毛厚子
郷隆三郎 日清製粉専務/
渋沢栄一に見込まれ、品川白煉瓦を経営し、日清製粉専務を務めたが、
太平洋戦争中に、乗船した船が魚雷攻撃を受け死去。
郷裕弘(やすひろ) 三井液化ガス(旧・ブリヂストン液化ガス)相談役、日本オートガス会長、石橋財団理事/
妻・啓子(ひろこ)は石橋正二郎の三女/
通産官僚、経団連国際部長を経てブリヂストンタイヤ入社、
昭和35年ブリヂストン液化ガス創立、常務に就任。
ダグラス社とグラマン社の「秘密代理人」でもあった。
郷和道 レーシングチーム「チーム郷」オーナー/
2004年度ル・マン24時間レース総合優勝
勝利のルール~ル・マンを制した男 郷和道」高桐唯詩
宮沢喜一
宮沢喜一
首相、財務相・蔵相、外相
宮沢裕夫 建築事務所長/妻・悦子は郷和道の姉
石井光次郎(みつじろう)
石井光次郎
1889~1981/衆議院議員、衆議院議長、副総理、通産相、石橋財団第2代理事長/
東京高商(現・一橋大学)専攻科卒/
警視庁、台湾総督府などを経て、朝日新聞社に入ったが、昭和20年専務で退社して政界に転じ、
21年日本自由党に入党し4月の衆院選で福岡1区から当選。
以後、衆院選で10回当選。
吉田茂内閣の商工相と運輸相、岸内閣の副総理、池田内閣の通産相、
佐藤内閣の法相を歴任し、42~44年衆議院議長を務めた。
自由党内では、30年の民主党との“保守合同”を幹事長としてまとめ、合同後は自民党総務会長。
31年、緒方竹虎の死後、緒方派を継いだが、同年と35年の2度の総裁選に敗れ、
47年暮れの総選挙を前に政界を退いた。
37~50年、日本体育協会会長、51年から横綱審議会委員長を務めた。
石井光次郎
石井好子
石井好子
シャンソン歌手、石井好子音楽事務所主宰、日本シャンソン協会会長/石井光次郎次女/
東京音楽学校(現・東京芸術大学)声楽専科卒/
結婚、離婚を経て、昭和20年ジャズ歌手としてデビュー。
25年アメリカ留学。その後フランスに渡り、27年シャンソン歌手としてパリの名門パスドックでデビュー。
ドイツ、スペインなど各地で歌い、モンマルトルのキャバレー、ナチュリスト専属を経て、30年帰国。
36年石井音楽事務所を設立し、52年に閉鎖するまで岸洋子、加藤登紀子らを育て、
外国人歌手を多数招聘した。
63年12月には、日本人シャンソン歌手として初めて、パリ・オランピア劇場に出演。
平成2年同劇場で、日本人初のリサイタルを開く。
昭和38年以来、毎年7月14日に日比谷野外音楽堂で開催しているパリ祭に出演し、
プロデューサーを務める。
また、エッセイストとしても知られ、「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる
装歌―マイ・ソング マイ・コスチューム」、半生記「すべて歌にこめて―シャンソンと私」、
自伝「私は私」など著書多数。
石井好子
限りない想いを歌に―私の履歴書
日本の貴婦人」稲木紫織
石井好子関連CD
石井公一郎 ブリヂストンサイクル会長・社長、ブリヂストンタイヤ専務/石井光次郎長男/
古典芸能やカメラが好きな趣味人でもあった。
石井公一郎
石井荘太郎 石井事務所
石井大二郎 昭和海運会長・社長/石井光次郎次男
福沢諭吉
福沢諭吉
慶応義塾大学創立者、啓蒙思想家、教育者
福沢諭吉|近代日本人の肖像
中上川才蔵 豊前中津藩士
中上川彦次郎
(なかみがわ)
中上川彦次郎
三井銀行理事、山陽鉄道社長、慶応義塾出版社社長/福沢諭吉の甥/
明治7年から英国に留学、井上馨の知遇をえて帰国後、工部省・外務省に勤務したが、
明治14年の政変で辞職、慶応義塾出版社社長となり、「時事新報」を発行した。
21年山陽鉄道社長となったが、24年井上馨の推薦で経営危機に陥っていた三井銀行に入行、
学卒の人材を採用するなど、同行の立て直しに尽力した。
鐘淵紡績・王子製紙・芝浦製作所など三井の工業部門の拡充にも力を注いだ。
中上川彦次郎/三井史を彩る人々
朝吹英二
朝吹英二
1849~1918/三井呉服店専務理事、王子製紙会長、三井工業部専務理事/
妻・澄は中上川彦次郎の妹で福沢諭吉の姪/
村上姑南に漢学を学び、のち咸宜園で学ぶ。
明治3年福沢諭吉の暗殺を企てたが失敗、慶応義塾の玄関番となる。
5年同塾出版部主任となり、11年三菱商会に入社。13年貿易商会に転じ、取締役。
以後、鐘紡専務、三井呉服店専務理事などを経て、42年王子製紙会長、
三井銀行監査役に就任するなど、三井系諸会社の要人として財界に重きをなした。
44年引退。自邸に茶室柴庵を設けるなど、茶人としても知られ、茶道、香道、
国文学の蔵書1700点を母校慶応義塾に寄贈した。
朝吹英二君伝―伝記・朝吹英二」大西理平
朝吹常吉
朝吹常吉
1878~1955/三越社長、帝国生命保険社長、千代田組(電気機器商社)相談役/英二の長男/
イギリスに留学ののち、明治34年日本銀行に入ったが、39年退社。
三井物産、鐘紡などに勤めた後、大正2年三越呉服店常務となり、
14年帝国生命(朝日生命の前身)社長に就任。
その間、東京芝浦電気、王子製紙、台湾製糖など三井系の重役を兼務した。
昭和18年帝国生命社長を辞任、三越の社長、会長を一時務めた。
日本ロータリークラブや銀座交洵社の創設メンバーでもある。
磯子夫人とテニス普及にも尽力、大正11年には、日本庭球協会を創立した。
回想朝吹常吉」朝吹磯子
長岡外史(がいし)
長岡外史
1858~1933/陸軍中将、陸軍省軍務局長、衆議院議員(新正倶楽部)/
陸大1期卒後、参謀本部に入り、明治14年に尉官11人で兵術研究の月曜会を結成したが、
6年後には会員が1678人にも増え、反山県・桂勢力として解散させられた。
日清戦争時は、大島混成旅団参謀、日露戦争時は参謀本部次長。
その後、41年軍務局長、42年中将、43年第13師団長、大正2年第16師団長を歴任し、5年予備役編入。
この間、新潟県高田の第13師団長時代、来日中のオーストリアのヒル少佐を招いてスキーの普及に努めた。
6年帝国飛行協会副会長となり、航空省の設置や羽田飛行場の建設などを提案して
草創期のわが国、民間航空界に尽くす。
13年に衆院選に出馬して当選。また、名物のカイゼルひげは、安全カミソリの商標にもなった。
長岡外史
朝吹磯子
朝吹磯子
1889~1985/歌人、テニス選手/スキーを日本に初めて取り入れた長岡外史陸軍中将の長女/
佐佐木信綱の竹柏会に入門して歌人として出発。
藤波会会員、「心の花」同人、十一日会会長として活躍。
また、大正15年に全関東庭球選手権大会の女子シングルス、同ダブルスに優勝するなど、
日本女子テニス会の草分け的存在としても活躍した。
朝吹磯子
朝吹英一 1909~1993/木琴奏者(マリンバ、ビブラフォン)、作曲家、日本木琴協会会長/
昭和8年三井信託入社、16年千代田組入社。
一方、中学生の時から木琴にひかれ、17歳の時JOAK(現・NHK)で木琴初放送。
6年米国に留学。12年ビブラフォン独奏を本邦初放送。
戦時中スチールギターを習い、カルア・カマアイナスという楽団を組織、戦時下にあって
日比谷公会堂で7回の単独リサイタルを行い、コロムビアレコードに吹き込むなど華々しい活動を展開した。
戦後、25年に東京木琴クラブ(のち日本木琴協会)を創設し会長となる。
門下生は3000人以上を数え、平成元年現役引退。
また、ウェルクマイスターに作曲を師事。作品に「軽井沢の美人」「マリンバ名曲30選」
「ファンタスティック・サウンド」などがある。
朝吹英一
朝吹英和 俳人/英一の長男/
朝吹英和
句集 青きサーベル
光の槍―朝吹英和句集
朝吹正二 万寿企業取締役/
朝吹正行 一級建築士、アサブキ・アンド・アーキテクツ代表取締役/正二の長男
朝吹三吉
朝吹三吉
1914~2001/フランス文学者、翻訳家、慶應義塾大学名誉教授、ユネスコ事務局次長/
フランスに留学し、フランス象徴詩、特にランボーを研究する。
昭和28年、ジュネの「泥棒日記」を翻訳刊行した他、
ボーヴォワールの「レ・マンダラン」「老い」などを翻訳。
日本が戦後初めて生んだ国際公務員の一人として、
ユネスコ本部の文化部長としてパリに6年間勤務し活躍。
また、慶応義塾大学法学部教授も務めた。
朝吹三吉
朝吹京 ピアニスト(現・東京芸大出身)/石井光次郎長女
朝吹誠
朝吹誠
ジャパン・インフォメーション・ネットワーク(JIN)社長、日本ヘルスケア総研顧問、コンバージョン特別顧問、
(社)コンピュータエンターテインメント協会理事、海外広報協会代表理事、慶応義塾大学法学部訪問教授/
ザ・フィンガーズ創始メンバー(ドラムス)/朝吹三吉長男/
9歳・12歳・15歳の時、渡仏しベルギー万博を見学し、スイスの夏期学校に学ぶ。
米国の大学留学中はNYやモントリオール万博を見学し、日本からの発信力の脆弱さを痛感。
一方、「宇宙船地球号」の著者であるバックミンスター・フラー教授に学び、
同教授が発刊し地球規模問題を扱っていた「アースカタログ」を愛読、この事により、
グローバル・コミュニケーションの重要性に目覚め、日本からの発信力の強化に携わるようになる。
朝吹亮二
朝吹亮二
詩人、フランス文学者、慶応義塾大学法学部教授/朝吹三吉次男/
平成2年、慶応義塾大学法学部助教授を経て、のち教授。
詩集に「終焉と王国―詩集」「封印せよその額に」「Opus」「密室論」「朝吹亮二詩集」「明るい箱」がある。
朝吹亮二
朝吹真理子
朝吹真理子
作家・小説家、第144回芥川賞受賞/亮二の一人娘/
文芸誌「新潮」2009年10月号に掲載されたデビュー作「流跡(りゅうせき)」で、
2010年、第20回Bunkamura ドゥ マゴ文学賞を受賞。
次いで、「家路」(「群像」2010年4月号)、「きことわ」(「新潮」2010年9月号)を発表。
2011年1月、「きことわ」で芥川賞を受賞。
・デビュー作「流跡」発表後、2009年11/8の日経新聞「活字の海で」のコーナーに、
朝吹真理子の紹介記事が載った(一部抜粋)。その見出しは、
「言葉が音楽みたいに鳴る」 期待の新人、朝吹真理子”。
「他の日本の現代作家とは言葉の格が違う」、単語や文章ひとつひとつのたたずまいが目をひく。
「聴覚や触覚を呼び覚ます新鮮な響きにあふれている」等、称賛の声。
その言語感覚の根幹をなすのは豊かな芸術体験。
何しろ「幼いころから落語や歌舞伎を鑑賞し、声まねしていた」というほどだ。
一方でジョイスやベケットにカルヴィーノら先鋭的な方法意識で
小説の地平を広げた世界文学の巨匠たちを読みふけり、
宇治拾遺物語や御伽草子など日本の古典にもおぼれた。
「過去に書かれたすべてのものへの応答として、新しい作品は書かれるべき」
と言ってのける作家は、実はかの文学一家の出。
父は詩人の亮二、祖父はジュネの翻訳で知られる仏文学者の三吉。
当人は現在、慶応大で近世の歌舞伎などを研究する大学院生だ。
朝吹剛 ストーンウェル(広告代理店)社長[会長は石井好子]/朝吹三吉三男
朝吹四郎
朝吹四郎
1915~1988/建築家/
昭和14年千代田設計事務所を開設。26年朝吹一級建築士事務所を創設し、代表。
ニュージーランド、ベルギー、フィンランド、カンボジアなどの在日大使館を設計した。
朝吹登水子
朝吹登水子
1917~2005/翻訳家、作家、フランス文学者/
昭和11~14年ブッフェモン女学校(フランス)とパリ大学留学。
25年再渡仏、27年パリ・オートクチュールデザイナー資格をとる。
29年サガンの「悲しみよこんにちは」、ボーヴォワールやディオールなどの本を翻訳。
52年小説「愛のむこう側」を発表。他に「ボーヴォワールとサガン」「もうひとつの愛」「パリの男たち」などがある。
「愛のむこう側」は中国語とフランス語訳でも出版。
朝吹登水子
私の東京物語―蘇る日々―わが家のアルバムから
日本の貴婦人」稲木紫織
アルベール・アルゴー 絵画やアンティークを扱う美術商会を経営/朝吹登水子三番目の夫/
パリの国立理工科大学出身の研究者
朝吹由紀子 翻訳家/朝吹登水子二人目の夫との間の娘/
朝吹由紀子
由利公正
由利公正
財政家、東京府知事、元老院議官、貴族院議員/子爵
維新前の名は、三岡八郎。五箇条の御誓文の原案を起草
藤山雷太
藤山雷太
大日本製糖社長、東京商業会議所会頭、貴族院議員、藤山コンツェルン創始者
藤山雷太|近代日本人の肖像
藤山愛一郎
藤山愛一郎
衆議院議員(自民党)、外相、大日本製糖社長
池田成彬(しげあき)
池田成彬
1867~1950/三井合名常務理事、日本銀行総裁/妻・艶子は中上川彦次郎の長女/
慶応義塾を経て、明治28年ハーバード大学を卒業。
帰国後、福沢諭吉の「時事新報」に入社するが、福沢と合わず退社。
同年三井銀行に入り、30年足利支店長、本店営業部長を経て、42年常務、
大正8年以降、筆頭常務として君臨、同行を金融界のトップに押し上げた。
ドイツの金融コンツェルンを研究し、三井財閥の基礎を固めた。
昭和8年、団琢磨暗殺の後をうけて三井合名常務理事となり、持株公開、
三井一族の引退など三井改革を推進。
11年定年制を設け、自ら退いた。12年日銀総裁に就任。
13年には、第1次近衛内閣の蔵相兼商工相を務め、16年枢密顧問官となる。
戦前、財界人のトップリーダーであり、また大御所的存在でもあった。
敗戦後、A級戦犯容疑者となり、また公職追放の指定を受け、第一線から退いたが、
なお政財界に一定の影響力を保っていた。
池田成彬/三井史を彩る人々
池田成彬|近代日本の肖像
池田成彬
財界回顧
我、弁明せず。」江上剛
藤原あき
藤原あき
タレント、参議院議員、資生堂美容室顧問/中上川彦次郎三女
山本権兵衛
山本権兵衛
首相、海軍大将/伯爵
山本清 海軍中佐/伯爵
園田孝吉
園田孝吉
横浜正金銀行頭取、第十五銀行頭取、ロンドン総領事/男爵
園田武彦 国際トーキー重役、帝国内燃機重役、貴族院議員/男爵
名取和作
名取和作
富士電機製造社長、貴族院議員/息子に写真家・名取洋之助
尾崎三良(さぶろう)
尾崎三良
宮中顧問官、貴族院議員/男爵
■近現代・系図ワールド「土佐宿毛人脈
尾崎洵盛(のぶもり) 外交官、外務参事官、陶器研究家/男爵
陶説注解
東園基文 宮内庁掌典長/子爵/
仙台・伊達家より養子入り、妻は北白川宮成久王第二王女・佐和子(明治天皇孫/第25回系図 参照
東園基政 いすゞ自動車理事/
牛山清人 ハリウッド化粧品創業者・社長/別名・ハリーウシヤマ
メイ牛山
(メイウシヤマ)
メイ牛山
ハリウッドグループ代表、ハリウッド会長、美容家・美容研究家/本名・牛山マサコ/
昭和14年牛山清人と結婚。
平成19年12月13日死去。享年96
メイ牛山
牛山勝利 ハリウッド(旧ハリウッド化粧品)社長
ジェニー牛山 ハリウッド美容専門学校校長/
ジェニー牛山
山中祥弘 ハリウッド美容専門学校理事長
藤原咲平(さくへい)
藤原咲平
気象学者、中央気象台長、東京帝大教授/
“お天気博士”として一般にも親しまれ、独創的な渦巻きに関する研究が有名。
藤原咲平
新田次郎
新田次郎
作家・小説家/本名・藤原寛人/
信州の角間新田(かくましんでん)で育ち、ペンネームは“角間新田の次男坊”という意味。
新田次郎
八甲田山死の彷徨
藤原てい
藤原てい
作家、エッセイスト/
昭和14年、新田次郎と結婚し、夫の転勤で18年満州に渡る。
終戦後、夫を残して3児と共に北朝鮮から引揚げ、
その時の体験記「流れる星は生きている」を24年に刊行し、当時のベストセラーとなる。
藤原てい
藤原正彦 数学者、文筆家/新田次郎次男
藤原正彦
藤原美子 エッセイスト、翻訳家/正彦の妻/
藤原美子
藤原咲子 エッセイスト/正彦の妹/
藤原咲子
父への恋文―新田次郎の娘に生まれて
母への詫び状 - 新田次郎、藤原ていの娘に生まれて
牛場大蔵
牛場大蔵
細菌学者、慶応大学医学部教授、国家公安委員
牛場暁夫 慶応大学文学部教授/息子に慶応大学理工学部専任講師(生命情報学科)・牛場潤一/
牛場暁夫
野依範治 山国川揚水事業組合長/朝吹英二実弟、野依家に養子入り
野依辰治 三井生命保険社長/妻は資生堂創業者・福原有信の娘・信/
野依次郎 樺太鉄道常務
塩川三四郎 芸備銀行頭取/
塩川三四郎 (「歴史が眠る多摩霊園」)
野依金城(かねき) 鐘淵化学工業専務
野依良治
野依良治
ノーベル化学賞受賞者(平成13年)、理化学研究所理事長、名古屋大学特任教授/
■参照:「野依良治 系図
大隈重信
大隈重信
首相、早稲田大学創立者/侯爵
松浦詮(まつら あきら)
松浦詮
最後の平戸藩主、宮内省御用掛、貴族院議員/伯爵
大隈信常
大隈信常
早稲田大学名誉総長、衆議院議員/松浦詮五男、大隈家に養子入り/侯爵
大隈信幸 参議院議員、早稲田高等学校理事長
藤田伝三郎
藤田伝三郎
藤田組創業者/男爵
久原庄三郎
久原庄三郎
藤田組総代、北浜銀行初代頭取/藤田伝三郎の兄
久原房之助
久原房之助
日立製作所創業、久原鉱業所(のちの日産グループ)創業者、政友会総裁、逓信相
五島慶太
五島慶太
東急創業者
五島昇
五島昇
東急会長・社長、日本商工会議所会頭
濱口梧洞 ヤマサ醤油会長
濱口慎七郎 浜屋商事監査役
ヒュー・パトリック コロンビア大学経済学部教授/
ヒュー・パトリック
ポスト平成不況の日本経済―政策志向アプローチによる分析
日本金融システムの危機と変貌
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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