| ●朝吹・石井・石橋・成毛家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア) |
| 石橋正二郎 |
ブリヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)創業者・会長・社長、石橋財団初代理事長 |
| 石橋幹一郎 |
ブリヂストンタイヤ会長・社長、石橋財団第3代理事長/妻は団伊玖磨の妹 |
| 石橋寛 |
ブリヂストン監査役、石橋財団第4代理事長 |
| 団琢磨 |
三井合名理事長、日本工業倶楽部初代理事長/男爵
■団琢磨/三井史を彩る人々
■団琢磨|近代日本人の肖像 |
| 団伊能 |
プリンス自動車社長/団琢磨長男/男爵 |
| 団伊玖磨 |
作曲家 |
| 鳩山和夫 |
衆議院議長 |
| 鳩山一郎 |
首相 |
| 鳩山威一郎 |
外相、大蔵次官/妻・安子は石橋正二郎の長女 |
| 鳩山由紀夫 |
衆議院議員(民主党) |
| 鳩山邦夫 |
衆議院議員(自民党) |
成毛収一
(なるも) |
ブリヂストンタイヤ副社長/妻・典子は石橋正二郎の次女/
昭和16年東大卒、三菱銀行勤務ののち、25年ブリヂストンタイヤ入社。
歌舞伎や食にも造詣が深い趣味人でもあった。
◆成毛収一
「成毛収一遺稿と追悼」成毛典子 |
| 成毛滋 |
ギタリスト/
日本のロック黎明期を代表するギタリストであり、70年代前半、「ミュージックライフ」誌人気投票No1ギタリスト。
60年代、ザ・フィンガーズ(GS)を経て、70年代前半、ストロベリー・パス、フライド・エッグを結成・活動した。
■「Dr. Siegel's Archives 成毛滋のレア音源」
◆成毛滋関連CD
「大烏が地球にやってきた日 」ストロベリー・パス
「ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン 」フライド・エッグ
「グッバイ・フライド・エッグ 」フライド・エッグ
「サウンド・オブ・ザ・フィンガーズ」ザ・フィンガーズ |
| 成毛厚子 |
漫画家/成毛滋の妹/
昭和49年、「殺人ゲーム」(別冊少女フレンド)でデビュー。
怪奇・ホラーものに定評があり、代表作に「白昼夢」「恐怖招待席」などがある。
◆成毛厚子 |
郷裕弘
(やすひろ) |
三井液化ガス(旧・ブリヂストン液化ガス)相談役、日本オートガス会長、石橋財団理事/
父・郷隆三郎は渋沢栄一に見込まれ、品川白煉瓦を経営し、日清製粉専務を務めたが、太平洋戦争中に、乗船した船が魚雷攻撃を受け死去。
妻・啓子(ひろこ)は石橋正二郎の三女/
通産官僚、経団連国際部長を経てブリヂストンタイヤ入社、昭和35年ブリヂストン液化ガス創立、常務に就任。
ダグラス社とグラマン社の「秘密代理人」でもあった。 |
| 郷和道 |
レーシングチーム「チーム郷」オーナー/
2004年度ル・マン24時間レース総合優勝
◆「勝利のルール〜ル・マンを制した男 郷和道 」高桐唯詩 |
| 宮沢喜一 |
首相 |
| 宮沢裕夫 |
建築事務所長/妻・悦子は郷和道の姉 |
石井光次郎
(みつじろう) |
1889〜1981/衆議院議員、衆議院議長、副総理、通産相、石橋財団第2代理事長/
東京高商(現・一橋大学)専攻科卒/
警視庁、台湾総督府などを経て、朝日新聞社に入ったが、昭和20年専務で退社して政界に転じ、21年日本自由党に入党し4月の衆院選で福岡1区から当選。
以後、衆院選で10回当選。
吉田茂内閣の商工相と運輸相、岸内閣の副総理、池田内閣の通産相、佐藤内閣の法相を歴任し、42〜44年衆議院議長を務めた。
自由党内では、30年の民主党との“保守合同”を幹事長としてまとめ、合同後は自民党総務会長。
31年、緒方竹虎の死後、緒方派を継いだが、同年と35年の2度の総裁選に敗れ、47年暮れの総選挙を前に政界を退いた。
37〜50年、日本体育協会会長、51年から横綱審議会委員長を務めた。
◆石井光次郎 |
| 石井好子 |
シャンソン歌手、石井好子音楽事務所主宰、日本シャンソン協会会長/石井光次郎次女/
東京音楽学校(現・東京芸術大学)声楽専科卒/
結婚、離婚を経て、昭和20年ジャズ歌手としてデビュー。
25年アメリカ留学。その後フランスに渡り、27年シャンソン歌手としてパリの名門パスドックでデビュー。
ドイツ、スペインなど各地で歌い、モンマルトルのキャバレー、ナチュリスト専属を経て、30年帰国。
36年石井音楽事務所を設立し、52年に閉鎖するまで岸洋子、加藤登紀子らを育て、外国人歌手を多数招聘した。
63年12月には、日本人シャンソン歌手として初めて、パリ・オランピア劇場に出演。
平成2年同劇場で、日本人初のリサイタルを開く。
昭和38年以来、毎年7月14日に日比谷野外音楽堂で開催しているパリ祭に出演し、プロデューサーを務める。
また、エッセイストとしても知られ、「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる 」「装歌―マイ・ソング マイ・コスチューム 」、半生記「すべて歌にこめて―シャンソンと私 」、自伝「私は私 」など著書多数。
◆石井好子
「限りない想いを歌に―私の履歴書 」
「日本の貴婦人」稲木紫織
◆石井好子関連CD |
| 石井公一郎 |
ブリヂストンサイクル会長・社長、ブリヂストンタイヤ専務/石井光次郎長男/
古典芸能やカメラが好きな趣味人でもあった。
◆石井公一郎 |
| 石井荘太郎 |
石井事務所 |
| 石井大二郎 |
昭和海運会長・社長/石井光次郎次男 |
| 福沢諭吉 |
慶応義塾大学創立者、啓蒙思想家、教育者
■福沢諭吉|近代日本人の肖像 |
| 中上川才蔵 |
豊前中津藩士 |
中上川彦次郎
(なかみがわ) |
三井銀行理事、山陽鉄道社長、慶応義塾出版社社長/福沢諭吉の甥/
明治7年から英国に留学、井上馨の知遇をえて帰国後、工部省・外務省に勤務したが、明治14年の政変で辞職、慶応義塾出版社社長となり、「時事新報」を発行した。
21年山陽鉄道社長となったが、24年井上馨の推薦で経営危機に陥っていた三井銀行に入行、学卒の人材を採用するなど、同行の立て直しに尽力した。
鐘淵紡績・王子製紙・芝浦製作所など三井の工業部門の拡充にも力を注いだ。
■中上川彦次郎/三井史を彩る人々 |
| 朝吹英二 |
1849〜1918/三井呉服店専務理事、王子製紙会長、三井工業部専務理事/
妻・澄は中上川彦次郎の妹で福沢諭吉の姪/
村上姑南に漢学を学び、のち咸宜園で学ぶ。
明治3年福沢諭吉の暗殺を企てたが失敗、慶応義塾の玄関番となる。
5年同塾出版部主任となり、11年三菱商会に入社。13年貿易商会に転じ、取締役。
以後、鐘紡専務、三井呉服店専務理事などを経て、42年王子製紙会長、三井銀行監査役に就任するなど、三井系諸会社の要人として財界に重きをなした。
44年引退。自邸に茶室柴庵を設けるなど、茶人としても知られ、茶道、香道、国文学の蔵書1700点を母校慶応義塾に寄贈した。
◆「朝吹英二君伝―伝記・朝吹英二 」大西理平 |
| 朝吹常吉 |
1878〜1955/三越社長、帝国生命保険社長、千代田組(電気機器商社)相談役/英二の長男/
イギリスに留学ののち、明治34年日本銀行に入ったが、39年退社。
三井物産、鐘紡などに勤めた後、大正2年三越呉服店常務となり、14年帝国生命(朝日生命の前身)社長に就任。
その間、東京芝浦電気、王子製紙、台湾製糖など三井系の重役を兼務した。
昭和18年帝国生命社長を辞任、三越の社長、会長を一時務めた。
日本ロータリークラブや銀座交洵社の創設メンバーでもある。
磯子夫人とテニス普及にも尽力、大正11年には、日本庭球協会を創立した。
◆「回想朝吹常吉」朝吹磯子 |
長岡外史
(がいし) |
1858〜1933/陸軍中将、陸軍省軍務局長、衆議院議員(新正倶楽部)/
陸大1期卒後、参謀本部に入り、明治14年に尉官11人で兵術研究の月曜会を結成したが、6年後には会員が1678人にも増え、反山県・桂勢力として解散させられた。
日清戦争時は、大島混成旅団参謀、日露戦争時は参謀本部次長。
その後、41年軍務局長、42年中将、43年第13師団長、大正2年第16師団長を歴任し、5年予備役編入。
この間、新潟県高田の第13師団長時代、来日中のオーストリアのヒル少佐を招いてスキーの普及に努めた。
6年帝国飛行協会副会長となり、航空省の設置や羽田飛行場の建設などを提案して草創期のわが国、民間航空界に尽くす。
13年に衆院選に出馬して当選。また、名物のカイゼルひげは、安全カミソリの商標にもなった。
◆長岡外史 |
| 朝吹磯子 |
1889〜1985/歌人、テニス選手/スキーを日本に初めて取り入れた長岡外史陸軍中将の長女/
佐佐木信綱の竹柏会に入門して歌人として出発。
藤波会会員、「心の花」同人、十一日会会長として活躍。
また、大正15年に全関東庭球選手権大会の女子シングルス、同ダブルスに優勝するなど、日本女子テニス会の草分け的存在としても活躍した。
◆朝吹磯子 |
| 朝吹英一 |
1909〜1993/木琴奏者(マリンバ、ビブラフォン)、作曲家、日本木琴協会会長/
昭和8年三井信託入社、16年千代田組入社。
一方、中学生の時から木琴にひかれ、17歳の時JOAK(現・NHK)で木琴初放送。
6年米国に留学。12年ビブラフォン独奏を本邦初放送。
戦時中スチールギターを習い、カルア・カマアイナスという楽団を組織、戦時下にあって日比谷公会堂で7回の単独リサイタルを行い、コロムビアレコードに吹き込むなど華々しい活動を展開した。
戦後、25年に東京木琴クラブ(のち日本木琴協会)を創設し会長となる。
門下生は3000人以上を数え、平成元年現役引退。
また、ウェルクマイスターに作曲を師事。作品に「軽井沢の美人」「マリンバ名曲30選」「ファンタスティック・サウンド」などがある。
◆朝吹英一 |
| 朝吹英和 |
俳人/英一の長男/
◆朝吹英和
「句集 青きサーベル 」
「光の槍―朝吹英和句集 」 |
| 朝吹正二 |
万寿企業取締役/ |
| 朝吹正行 |
一級建築士、アサブキ・アンド・アーキテクツ代表取締役/正二の長男 |
| 朝吹三吉 |
1914〜2001/フランス文学者、翻訳家、慶應義塾大学名誉教授、ユネスコ事務局次長/
フランスに留学し、フランス象徴詩、特にランボーを研究する。
昭和28年、ジュネの「泥棒日記」を翻訳刊行した他、ボーヴォワールの「レ・マンダラン」「老い」などを翻訳。
日本が戦後初めて生んだ国際公務員の一人として、ユネスコ本部の文化部長としてパリに6年間勤務し活躍。
また、慶応義塾大学法学部教授も務めた。
◆朝吹三吉 |
| 朝吹京 |
ピアニスト(現・東京芸大出身)/石井光次郎長女 |
| 朝吹誠 |
ジャパン・インフォメーション・ネットワーク(JIN)社長、海外広報協会代表理事、慶応義塾大学法学部訪問教授/
ザ・フィンガーズ創始メンバー(ドラムス)/朝吹三吉長男/
9歳・12歳・15歳の時、渡仏しベルギー万博を見学し、スイスの夏期学校に学ぶ。
米国の大学留学中はNYやモントリオール万博を見学し、日本からの発信力の脆弱さを痛感。
一方、「宇宙船地球号」の著者であるバックミンスター・フラー教授に学び、同教授が発刊し地球規模問題を扱っていた「アースカタログ」を愛読、この事により、グローバル・コミュニケーションの重要性に目覚め、日本からの発信力の強化に携わるようになる。 |
| 朝吹亮二 |
詩人、フランス文学者、慶応義塾大学法学部教授/朝吹三吉次男/
平成2年、慶応義塾大学法学部助教授を経て、のち教授。
詩集に「終焉と王国―詩集」「封印せよその額に」「Opus 」「密室論」「朝吹亮二詩集 」「明るい箱 」がある。
◆朝吹亮二 |
| 朝吹剛 |
ストーンウェル(広告代理店)社長[会長は石井好子]/朝吹三吉三男 |
| 朝吹四郎 |
1915〜1988/建築家/
昭和14年千代田設計事務所を開設。26年朝吹一級建築士事務所を創設し、代表。
ニュージーランド、ベルギー、フィンランド、カンボジアなどの在日大使館を設計した。 |
| 朝吹登水子 |
1917〜2005/翻訳家、作家、フランス文学者/
昭和11〜14年ブッフェモン女学校(フランス)とパリ大学留学。
25年再渡仏、27年パリ・オートクチュールデザイナー資格をとる。
29年サガンの「悲しみよこんにちは 」、ボーヴォワールやディオールなどの本を翻訳。
52年小説「愛のむこう側」を発表。他に「ボーヴォワールとサガン」「もうひとつの愛 」「パリの男たち」などがある。
「愛のむこう側」は中国語とフランス語訳でも出版。
◆朝吹登水子
「私の東京物語―蘇る日々―わが家のアルバムから 」
「日本の貴婦人」稲木紫織 |
| アルベール・アルゴー |
絵画やアンティークを扱う美術商会を経営/朝吹登水子三番目の夫/ パリの国立理工科大学出身の研究者 |
| 朝吹由紀子 |
翻訳家/朝吹登水子二人目の夫との間の娘/
◆朝吹由紀子 |
| 由利公正 |
財政家、東京府知事、元老院議官、貴族院議員/子爵
維新前の名は、三岡八郎。五箇条の御誓文の原案を起草 |
| 藤山雷太 |
大日本製糖社長、東京商業会議所会頭、貴族院議員、藤山コンツェルン創始者
■藤山雷太|近代日本人の肖像 |
| 藤山愛一郎 |
衆議院議員(自民党)、外相、大日本製糖社長 |
池田成彬
(しげあき) |
1867〜1950/三井合名常務理事、日本銀行総裁/妻・艶子は中上川彦次郎の長女/
慶応義塾を経て、明治28年ハーバード大学を卒業。
帰国後、福沢諭吉の「時事新報」に入社するが、福沢と合わず退社。
同年三井銀行に入り、30年足利支店長、本店営業部長を経て、42年常務、大正8年以降、筆頭常務として君臨、同行を金融界のトップに押し上げた。
ドイツの金融コンツェルンを研究し、三井財閥の基礎を固めた。
昭和8年、団琢磨暗殺の後をうけて三井合名常務理事となり、持株公開、三井一族の引退など三井改革を推進。
11年定年制を設け、自ら退いた。12年日銀総裁に就任。
13年には、第1次近衛内閣の蔵相兼商工相を務め、16年枢密顧問官となる。
戦前、財界人のトップリーダーであり、また大御所的存在でもあった。
敗戦後、A級戦犯容疑者となり、また公職追放の指定を受け、第一線から退いたが、なお政財界に一定の影響力を保っていた。
■池田成彬/三井史を彩る人々
■池田成彬|近代日本の肖像
◆池田成彬
「財界回顧 」
「我、弁明せず。 」江上剛 |
| 藤原あき |
タレント、参議院議員、資生堂美容室顧問/中上川彦次郎三女 |
| 山本権兵衛 |
首相、海軍大将/伯爵 |
| 山本清 |
海軍中佐/伯爵 |
| 園田孝吉 |
横浜正金銀行頭取、第十五銀行頭取、ロンドン総領事/男爵 |
| 園田武彦 |
国際トーキー重役、帝国内燃機重役、貴族院議員/男爵 |
| 名取和作 |
富士電機製造社長、貴族院議員/息子に写真家・名取洋之助 |
| 尾崎三良(さぶろう) |
宮中顧問官、貴族院議員/男爵
■近現代・系図ワールド「土佐宿毛人脈」 |
| 尾崎洵盛(のぶもり) |
外交官、外務参事官、陶器研究家/男爵
◆「陶説注解 」 |
| 東園基文 |
宮内庁掌典長/子爵/
仙台・伊達家より養子入り、妻は北白川宮成久王第二王女・佐和子(明治天皇孫/第25回系図 参照) |
| 東園基政 |
いすゞ自動車理事/ |
| 牛山清人 |
ハリウッド化粧品創業者・社長/別名・ハリーウシヤマ |
メイ牛山
(メイウシヤマ) |
ハリウッドグループ代表、ハリウッド会長、美容家・美容研究家/本名・牛山マサコ/
昭和14年牛山清人と結婚。
平成19年12月13日死去。享年96
◆メイ牛山 |
| 牛山勝利 |
ハリウッド(旧ハリウッド化粧品)社長 |
| ジェニー牛山 |
ハリウッド美容専門学校校長/
◆ジェニー牛山 |
| 山中祥弘 |
ハリウッド美容専門学校理事長 |
藤原咲平
(さくへい) |
気象学者、中央気象台長、東京帝大教授/
“お天気博士”として一般にも親しまれ、独創的な渦巻きに関する研究が有名。
◆藤原咲平 |
| 新田次郎 |
作家・小説家/本名・藤原寛人/
信州の角間新田(かくましんでん)で育ち、ペンネームは“角間新田の次男坊”という意味。
◆新田次郎
「八甲田山死の彷徨」 |
| 藤原てい |
作家、エッセイスト/
昭和14年、新田次郎と結婚し、夫の転勤で18年満州に渡る。
終戦後、夫を残して3児と共に北朝鮮から引揚げ、その時の体験記「流れる星は生きている」を24年に刊行し、当時のベストセラーとなる。
◆藤原てい |
| 藤原正彦 |
数学者、文筆家/新田次郎次男 |
| 藤原美子 |
エッセイスト、翻訳家/正彦の妻/
◆藤原美子 |
| 藤原咲子 |
エッセイスト/正彦の妹/
◆藤原咲子
「父への恋文―新田次郎の娘に生まれて 」
「母への詫び状 - 新田次郎、藤原ていの娘に生まれて 」 |
| 牛場大蔵 |
細菌学者、慶応大学医学部教授、国家公安委員 |
| 牛場暁夫 |
慶応大学文学部教授/息子に慶応大学理工学部専任講師(生命情報学科)・牛場潤一/
◆牛場暁夫 |
| 野依範治 |
山国川揚水事業組合長/朝吹英二実弟、野依家に養子入り |
| 野依辰治 |
三井生命保険社長/妻は資生堂創業者・福原有信の娘・信/ |
| 野依次郎 |
樺太鉄道常務 |
| 塩川三四郎 |
芸備銀行取締役/
■塩川三四郎 (「歴史が眠る多摩霊園」) |
| 野依金城 |
鐘淵化学工業顧問 |
| 野依良治 |
ノーベル化学賞受賞者(平成13年)、理化学研究所理事長、名古屋大学特任教授/ |
| 大隈重信 |
首相、早稲田大学創立者/侯爵 |
| 松浦詮(まつらあきら) |
最後の平戸藩主、宮内省御用掛、貴族院議員/伯爵 |
| 大隈信常 |
早稲田大学名誉総長、衆議院議員/松浦詮五男、大隈家に養子入り/侯爵 |
| 大隈信幸 |
参議院議員、早稲田高等学校理事長 |
| 久原房之助 |
日立製作所創業、久原鉱業所(のちの日産グループ)創業者、政友会総裁、逓信相 |
| 五島慶太 |
東急創業者 |
| 五島昇 |
東急会長・社長、日本商工会議所会頭 |
| 濱口梧洞 |
ヤマサ醤油会長 |
| 濱口慎七郎 |
浜屋商事監査役 |
| ヒュー・パトリック |
コロンビア大学経済学部教授/
◆ヒュー・パトリック
「ポスト平成不況の日本経済―政策志向アプローチによる分析 」
「日本金融システムの危機と変貌 」 |