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系図でみる近現代 第46回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ~一柳子爵家 家系図 (※転載禁止)

第46回 建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズと、一柳子爵家。そして、メンソレータムと近江兄弟社 (08.10.22記)

米国人 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ


建築家ヴォーリズ(1880年生)は、明治の終わりから、昭和18年の38年間に、西洋の息吹を感じさせる多くの建築物を日本に残した。

その数は、1600に及ぶとされる。
代表的なものには、大丸心斎橋店、旧大同生命ビル、山の上ホテルなどがある。
(参照:「ヴォーリズ建築探訪」、「ヴォーリズ建築作品リスト」)


1941(昭和16)年、ヴォーリズは、日本に帰化し、日本名「一柳米来留」となった。

ひとつやなぎ めれる」と読むが、姓は妻の実家であり、下の名は、自身の英名「メレル」と、「国からたりて日本にまる」というところからきている。


ヴォーリズは、1905(明治38)年、24歳の時、YMCA(キリスト教青年会)からの派遣によって、来日。
キリスト教伝道の熱い思いを胸に秘め、滋賀県近江八幡に英語教師として赴任した。

しかし、教職は、わずか2年ほどで解職の憂き目にあったが、かえってそれが幸いして、以後、多方面な分野で活躍する事となった。

元来、建築家志望であったヴォーリズは、上記のように建築設計分野で、多大な功績を残したが、しかし、一般的には、こちらの名を聞く方が親しみがわくであろう。

それは、塗り薬メンソレータム

ヴォーリズは、メンソレータムをアメリカより導入し販売、後には製造をもを手がける近江兄弟社を創立した人物であった。
メンソレータムは、日本全国、一家に一つは必ずあるというほど、大ヒット商品となる。

そして、こうした事業で得た利益を社会に還元すべく、病院・学校・図書館や、出版・通信事業などの社会奉仕事業を次々に興し、ビジネスと社会奉仕が、互恵の関係を帯びながら、近江八幡を拠点として、近江兄弟社グループを形成していったのである。


ちなみに、先頃、破綻したリーマンブラザーズの社名は、その名の通り、リーマン兄弟の創業に由来するものであるが、近江兄弟社は、創業の地「近江」と、「人間みな兄弟」というキリストの教えに準じたものである。

また、現在、近江兄弟社は、メンソレータムではなく、「メンターム」の商標を使い、「メンソレータム」の商標を使っているのは、ロート製薬である。


旧大名家・一柳(ひとつやなぎ)子爵家


ヴォーリズは、1919(大正8)年、39歳で日本人女性と結婚した。
しかも、その相手とは、華族・子爵家の令嬢であった。

妻・一柳満喜子は、一柳末徳(すえのり)子爵の三女。

一柳家とは、明治以前は、播磨小野藩(現・兵庫県小野市)を治めた大名であり、昔で言えば、満喜子は殿様の娘、すなわち、お姫様であった。

しかし、満喜子は、長年アメリカに留学した経験を持つ洗練された女性で、母・栄子の影響を受け、クリスチャンになった人物であった。
そして、ある縁により、建築家であるヴォーリズの通訳兼アドバイザーとして仕えていた。

この繋がりに関しては、次回・第47回で述べる事にするが、当時、華族の令嬢が外国人と結婚することは、「社交界の特大事件」であった。

めでたく結ばれ、妻となった満喜子夫人はヴォーリズの良き理解者・協力者として、近江八幡に移り住み、あらゆる人々と訳隔てなく交流し、家事も自ら切り盛りした。

また、キリスト教の理念に基づき、幼稚園、女学校を開設し、教育者としても活躍、戦後は、小・中・高校と共に統合された近江兄弟社学園に発展した学園長を務めた。


余談であるが、近江兄弟社高校は、平成5年夏の甲子園に出場した。



昭和天皇「人間宣言」


ヴォーリズは、終戦直後、近衛文麿の密使として、昭和天皇を、戦犯第一人者として考えていたマッカーサー元帥に進言し、戦争責任を回避、昭和天皇を守る事に寄与したといわれる。

近衛文麿の極秘の依頼を受けて、近衛とマッカーサーの会見の設定、及び、天皇が連合軍が考えているような軍国主義者ではないという、近衛の意向を単身横浜キャンプに乗り込み、副官を通じて伝えた。

その結果、マッカーサー元帥の信頼を得る事となり、天皇に対する敬意を高くする用を果たした。

この事により、天皇は現人神(あらひとがみ)ではないという、いわゆる「人間宣言」が表明され、結果的には、天皇の戦争責任は回避される事になったという。


ヴォーリズは、クリスチャン及び、建築家・事業家として、多くの人脈を持つに至ったが、建築家として出入りしたある実業家一族との縁から、妻となる満喜子と出会った。
また、その妻が華族出身であるという事から、皇族・華族階級である日本の上流社会とも、親しく交流を持つに至ったのである。


1964(昭和39)年、ヴォーリズは、24歳で初めて足を踏み入れた近江八幡の地で、83歳の生涯を全うし永眠した。
また、満喜子夫人は、その5年後、天に召され、ともに北ノ庄の恒春園に眠る。
ちなみに、二人の間に子供はいなかった。


関連として、「系図でみる近現代 第47回」に続く。
ヴォーリズの妻・一柳満喜子の兄の名は、広岡恵三
そして、その婿養子に入った広岡家の妻の母の名を広岡浅子という。



メレル・ヴォーリズと一柳満喜子
メレル・ヴォーリズと一柳満喜子


そらのる

●ヴォーリズ・一柳家系図
九鬼隆都(たかひろ)
九鬼隆都
丹波綾部藩第9代藩主
九鬼隆備(たかとも)
九鬼隆備
丹波綾部藩第10代藩主(最後の藩主)/九鬼隆都長男/子爵
九鬼寧隆 旧・丹波綾部藩主家第11代/九鬼隆都七男/子爵
大田原富清
大田原富清
下野大田原藩第13代藩主/九鬼隆都二男/
九鬼隆義
九鬼隆義
摂津三田藩第13代藩主(最後の藩主)、貴族院議員/九鬼隆都三男/子爵
■関連:「松方家系図」、「上野家系図
建部秀隆
(たけべ)
旧・播磨林田藩主家当主/九鬼隆都六男/子爵/
妻は建部政醇五女・釥子/
■関連:「小栗上野介忠順 系図
一柳頼紹(よりつぐ) 伊予小松藩第9代藩主/娘・栄子は一柳末徳正室
一柳末彦(すえよし)
一柳末彦
播磨小野藩第10代藩主
一柳末徳(すえのり)
一柳末徳
播磨小野藩第11代藩主(最後の藩主)、貴族議員/子爵
丹波綾部藩主・九鬼隆都五男、一柳家に養子入り
一柳譲二 日本糊膠専務/末徳長男/
分家して一家を創立
広岡恵三 加島銀行頭取、大同生命社長/末徳二男、廣岡家に養子入り
一柳剛(ごう) 大正天皇ご学友/末徳三男
一柳末幸 陸軍主計中尉/子爵
森忠恕(ただやす) 旧播磨赤穂藩主家当主/妻・喜久子は一柳末徳二女、のち離婚/子爵
筏井寿夫
(いかだい)
中越汽船社長、東亜エナメル取締役/
妻は一柳末徳四女・智恵子
一柳満喜子
一柳満喜子
1884~1969/教育者、近江兄弟社学園長/子爵・一柳末徳三女/
クリスチャンの母・栄子の深い影響を受け育つ。
東京女子高等師範付属高女、神戸女学院を経て、米プリンマー女子大に学ぶ。
明治43年受洗。35歳で帰国。大正8年、近江兄弟社創立者ヴォーリズと結婚。
22年清友幼稚園、近江勤労女学校を開設、近江兄弟社学園に発展、終生宗教教育者として尽くした。
青い目の近江商人ヴォーリズ外伝―「信仰と事業の両立」を果たした師ゆかりの地を歩いて」岩原侑
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
1880~1964/近江兄弟社創業者・社長、建築家、キリスト教伝道者、社会事業家/
日本名・一柳米来留/
明治38年、キリスト教伝道のため来日、滋賀県近江八幡の
滋賀県立商業学校(現・八幡商)英語教師として赴任。
教師のかたわら聖書研究やテニスを教え、学校にYMCAをつくったが、
キリスト教反対者のため学校を解職された。
41年京都で設計監督業を始め、大同生命ビル、大阪・京都の大丸、
関西学院、神戸女学院、豊郷小学校などを設計した。
43年ヴォーリズ合名会社を設立、45年雑誌「湖畔の声」を創刊。
大正3年琵琶湖周辺を伝道するガリラヤ丸を進水させ、各地に教会を設立。
7年近江基督教慈善教化財団近江ミッションや結核治療の近江療養院を建てた。
8年旧小野藩主の血を引く華族・一柳満喜子と結婚。
昭和8年近江勤労女学校を設立、近江ミッションを近江兄弟社と改め、
メンソレータムの販売代理業を始め、ヴォーリズ合名を解散、近江セールズを設立。
16年には日本に帰化。19年製造も行う株式会社近江兄弟社とした。
戦後、22年近江兄弟社小学校、中学校、23年高等学校を開設。
33年近江八幡名誉市民となった。
著書に「吾家の設計」「失敗者の自叙伝」などがある。
関連本:ヴォーリズ
青い目の近江商人メレル・ヴォーリズ」岩原侑
ヴォーリズの西洋館―日本近代住宅の先駆 」山形政昭
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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