近現代・系図ワールド
系図でみる近現代~夢・感動・人間!~

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系図でみる近現代 第50回

近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。

坂本龍馬 家系図 (※転載禁止)

第50回 系図でみる坂本龍馬人脈、土佐勤王党・海援隊。そして、龍馬の甥や姪・後裔たち(2010.2.8、2.17記)

坂本龍馬は、歴史の教科書では、 薩長連合(同盟)の仲介者、及び大政奉還の進言者として学ぶ。
「日本史」の中でも、特に有名で、人気の高い人物というのは、周知の事実である。

昨年(2009年)の9月、高知県立坂本龍馬記念館と、すぐ近くにある桂浜の龍馬像を訪れた。
シルバーウィークの最中という事もあったか、記念館にたどり着くまで、車は大渋滞。
また、以前、砂浜にあったであろう龍馬像も移動したのか、あの龍馬の顔を拝む頃には、
夕闇せまり、ナイスショットは、残念ながら撮れなかった。

既に、“坂本龍馬”は、大変な人気ぶり・人だかりであった。


2010年 NHK大河ドラマ「龍馬伝」


それは、明治15(1882)年、
郵便汽船三菱社長・岩崎弥太郎邸における、盛大なパーティから始まった。

壇上で挨拶を終えた弥太郎に、暴漢が襲いかかる。
難を逃れた弥太郎が、扉を開け部屋を出ると、
そこに、土佐の土陽新聞記者坂崎紫瀾(しらん)が待ちかまえていた。

弥太郎に初対面の挨拶を済ませると、やにわに、

実は、岩崎さんにある人物について、お伺いしたいと・・・

そして、

坂本龍馬という名前をご存知ですか!?

(弥太郎、懐かしさ半分・憎々しさ半分?の、少々遠い目をした不敵な苦笑い・・)

坂崎紫瀾は、たたみかけた。

15年前、徳川幕府を倒したがは、実は坂本龍馬という一介の浪士やった。
それだけじゃ、ありません。明治政府の枠組みを創ったのも、実は坂本龍馬。
ほんで・・、坂本龍馬がおらんかったら、岩崎弥太郎は三菱を創っちょらんかったと・・



かなり、大きく出たものであるが・・。
ちなみに、この坂崎紫瀾が、龍馬を主人公とする最初の小説、
汗血千里駒(かんけつせんりのこま)」を書き、
龍馬という存在を世に知らしめるきっかけとなった。

その後、幾人かが、龍馬研究や龍馬を題材に描き、
そして、司馬遼太郎が、昭和30年代後半から40年代にかけて、
それらの集大成として「竜馬がゆく」を書き上げた。


[系図1 郷士坂本家系図]



郷士坂本家

坂本家は、本家は才谷屋という商家であったが、龍馬の曾祖父の代に、
分家し、郷士の資格を得て初代となった。

龍馬の父・坂本八平は、白札(上士と郷士の中間に位置する身分)山本家の二男で、
坂本家の婿養子となり、郷士坂本家第3代となった。

龍馬の母方祖母・の父(曽祖父)は、万葉学者・歌人の井上好春であり、
源氏物語に造詣が深く、著書に「源氏物語雨夜の立聞」がある。
祖母・久も、歌人の父の薫陶を受けたか、和歌に堪能であった。

龍馬は坂本家の二男三女の末っ子として誕生した。
龍馬が生まれた時、長男・権平(郷士坂本家第4代)は22歳、長女・千鶴(ちづ)は19歳、
二女・(えい)は16、7歳(推定)で、いずれも親子ほど年の開きがあった。
そして、有名な姉、三女・乙女(とめ)は3歳年上で、龍馬と歳が近く、最も親しかった。


生母・は龍馬が12歳の時、亡くなり、14歳の時、
嫁ぎ先・川島家で夫に先立たれた伊與が後妻として入り、龍馬の継母となった。
なお、龍馬が14歳から小栗流剣法を学んだ土佐の日根野道場の師範代は、川島家の遠縁にあたる。

[系図2 白札武市家系図]



白札武市家

龍馬も参加する事になる土佐勤王党の盟主、
武市(たけち)半平太の武市家は、祖父・正久の代に白札となった。

半平太の叔母・菊子(父・正恒の妹)の夫・鹿持雅澄(かもち まさずみ)は、
土佐を代表する国学者であり、万葉集を研究大成し、「万葉集古義」を
著すという国民的事業を成し遂げた。

また、半平太の弟は、国学者・田内菜園(たのうち さいえん)に養子入り、
田内衛吉(えきち)となり、のち、土佐勤王党に参加した。
長姉・美多の夫と先妻との間の子・小笠原保馬も、いち早く土佐勤王党志士となった。

[系図3 土佐勤王党 坂本龍馬・武市半平太系図]



坂本龍馬と土佐勤王党盟主・武市半平太

龍馬と、6歳年上の半平太は縁戚関係にもあり、親しい間柄だった。

龍馬の父の実家・山本家と繋がる島村家の長兄の娘が、
半平太の妻・冨子という関係であった。

島村家からは、富子の弟、叔父、いとこなど、多くが土佐勤王党に参加した。
(大河ドラマ「龍馬伝」には、初回から島村衛吉(えきち)が登場している。)

龍馬も誘われて加盟したが、のち袂を分かち脱藩の道を歩む。

ほか、龍馬の兄の妻・千野の弟である川原塚茂太郎も土佐勤王党志士であった。
(こちらも、「龍馬伝」初回より登場。)

なお、父が山本家・母が島村家の出で、
龍馬・半平太、ともに近い縁戚関係にある沢辺琢磨(山本琢磨)は、
日本最初のキリスト教司祭となった人物である。

[系図4 海援隊 坂本龍馬・長岡謙吉系図]



坂本龍馬と海援隊

海援隊で、龍馬の秘書的役割を果たし、
「船中八策」の策定にも携わった長岡謙吉は、
父・孝純が、龍馬の継母・伊與の父の妹(叔母)の養子、
すなわち、謙吉は、伊與のいとこの息子に当り、龍馬とは縁戚関係にあった。

謙吉は、慶応3(1867)年から、海援隊に参加。
坂本龍馬に、西洋文明の知識を与えた画家・河田小龍に、学んだ知識人であった。
そして、龍馬亡きあとの第2代海援隊長となった。


また、龍馬の7歳年下の甥である高松太郎(のち坂本直/後述)は、
終始、龍馬と進退をともにし、海援隊の中堅幹部として活躍した。

のちに、龍馬の妻・お龍の妹・君枝と結婚する菅野覚兵衛(千屋寅之助)は、
長崎、馬関の間に、また、イカルス号事件の対応に活躍した。

なお、高松太郎・菅野覚兵衛の二人は、土佐勤王党志士でもあった。


海援隊旗
海援隊旗


余談であるが、上記「海援隊旗」をモチーフに、
社のマーク、及び、船の煙突にも描いた企業、
それは、海援隊の経理を担当した岩崎弥太郎が、基礎を築いた三菱、
すなわち、郵便汽船三菱から発展した日本郵船であった。

そして、現在、CMでお目にかからない日はない、
黄色あるいは、グレーの2本線をロゴマークとした、孫正義社長率いるあの企業も。

社名の由来・ロゴ|ソフトバンク

ソフトバンクは、ネット界の“維新”を、旗印とする!?



[系図5 龍馬の甥や姪・後裔たち系図]



龍馬の後裔たち

龍馬の母方曽祖父・井上好春には、三人の娘がおり、
長女・久は坂本八蔵に、次女・千代は郷士・高松益丞(ますのじょう)に嫁ぎ、
その息子高松順蔵が、龍馬の長姉・千鶴と結婚した。

また、井上好春三女は、家老山内下総の家来・鎌田(某)に嫁ぎ、
その系譜・清次郎が権平の娘・春猪と結婚し、坂本清次郎となった。

「龍馬伝」にも、初回より登場し、同居する8歳年下の姪・春猪は、
龍馬との関係は叔父・姪というより、兄妹のようで、
春猪に宛てた手紙もいくつかあり、龍馬は、春猪を妹のように可愛がった。


ほか、龍馬の姪、長姉・千鶴の長女・(しげ)は郷士・弘松宣晴と結婚し、
長男・弘松宣枝は、明治29年、龍馬の伝記小説「阪本龍馬」を書いた。


龍馬の甥・坂本直(高松太郎)

前述した茂の弟で、高松順蔵・千鶴夫妻の長男、海援隊士・高松太郎は、
龍馬の命を受けて蝦夷地との物資交流計画の実現に奔走した事もあった。
龍馬亡きあとの、慶応4年、箱館府が設けられ、
公家・清水谷公考(きんなる)が、府知事として赴任(総督に昇格)するや、権判事として随行した。
高松太郎は、蝦夷経営について建議し、物産と会計を担当、総督の実務をこなした。

のち函館は榎本武揚の軍に侵略されて青森に撤退、翌年4月、
官軍の江差奪還作戦に高松太郎も参加して、武勲を立てたが、
同年12月、権判事を免ぜられた。

明治4年、政府は嗣子を残さなかった龍馬の名跡が絶えるのを憂慮して、
高松太郎に坂本龍馬家の家督を継がせた。それ以来、坂本直と名乗った。
その後、東京府典事・宮内省雑掌・舎人などを歴任した。
しかし、明治22年、クリスチャンであったがため、「邪教」信者として免職となり、
高知に帰って弟・直寛の家に同居した。

龍馬の縁故ゆえ、封爵の内示があったというが、結局実現しなかった。


龍馬の甥・坂本直寛

坂本直の11歳年下の弟・坂本直寛は明治2年、
17歳の時、伯父・坂本権平の養子となった。

24歳で、立志学舎に籍を置き、自由民権論を高唱し、
馬場辰猪、植木枝盛と共に民権家三大論客として知られた。

明治17年高知県議、18年キリスト教に受洗。
20年、3大事件建白運動中、保安条例に触れて同志と共に投獄されたが、
信仰心を益々厚くし、以後、政治と伝道の両面に活躍する。

明治29年、北海道北見のクンネップ原野に移住し、農場「北光社」を創設し社長となる。
樺太・浦臼(うらうす)にも移住し、伝道と開拓に専念した。

35年、キリスト教系新聞「北辰日報」社長主筆、また、夕張炭鉱の鉱夫が中心となり、
日本の労働運動の先駆となる大日本労働至誠会が結成され、会長に選ばれるなど、
労働者の社会的地位の向上に活動した最も古い先覚者の一人であった。

旭川教会、さらに札幌に移り、各方面への伝道に益々尽力しようとしたが、
胃がんに冒され、後半生をキリスト教伝道一筋に生きた生涯を終えた。

龍馬の甥 坂本直寛の生涯
龍馬の甥 坂本直寛の生涯


坂本龍馬は幕末当時、京都にあふれている浪人たちを、
蝦夷地(北海道)に移住させ、開拓事業に従事させようとした。
龍馬はこの事業に大きな夢を抱いていたが、暗殺で、この計画は、はかなくも露と消えた。

しかし、龍馬の甥たちは、北海道に関わりを持ち、
龍馬の夢は後年、坂本一族の開拓移住という形で実現した。



龍馬の姪(乙女の子)?岡上菊栄

龍馬の姪 岡上菊栄の生涯」武井優/著 という本がある。

岡上菊栄(おかのうえ きくえ)は、社会保障制度のなかった時代、
身寄りのない子供達のために、母親代わりとしてその半生を捧げた人物。

明治22年から、教員として、21年間勤めたのち、
43年、高知慈善協会の育児施設「高知博愛園」に迎えられ、のち園長となった。
薄幸な孤児たちの母となって、80歳で死ぬ直前まで仕事を続け、
社会に送り出した子どもたちは、356人にのぼった。


龍馬の姉・乙女は、御典医・岡上新甫の後妻として、岡上家に入った。
長男・赦太郎(14歳で早世)をもうけ、岡上菊栄が生後2ヶ月の時、離婚したという。

ただ、岡上家には、前妻が亡くなったあと、婦喜という女性が奉公していた。
実は、この女性が、菊栄の母という説が通説になっているようである。
そのせいか、龍馬記念館には、一切、岡上菊栄の名前は登場していなかった(と思う)。


岡上菊栄は、高知県社会福祉事業界の功労者で、
今もその徳を慕われている事実に、変りはない。

おばあちゃんはここぞね―岡上菊栄の軌跡
おばあちゃんはここぞね―岡上菊栄の軌跡


坂本直寛の後裔たち

坂本直寛の婿養子・坂本弥太郎は、牧場や農場を経営し、
北海道製綱(マニラ麻を原料とするロープを製造)を創業するなどの実業家であった。

また、のち坂本龍馬家を継ぐ、直寛の長男・坂本直道は、
東大を出て、満鉄に務めた人物で、
戦前・戦後を通じて、国際問題に精通した論客であった。

敗戦直後、鳩山一郎(鳩山由紀夫首相祖父)が、旧立憲政友会を中心に
日本自由党を結成するが、その構想は軽井沢で、
別荘隣人の坂本直道と、鳩山が練ったものという。


坂本弥太郎の二男・坂本直行は、画家であり、
北海道の有名菓子メーカー「六花亭」の包装紙の花の絵でお馴染みである。

また、三男・坂本正幸は、稲に重大な被害を与えるいもち病の研究で知られ、
東北大学教授及び、東北大学農学研究所所長を務めた。


ほか、直寛の孫には、龍馬関連著書を多数持つ、“龍馬研究家”土居晴夫がおり、
この「系図でみる近現代 第50回」も、この方の著書に負うところが、大きい。
坂本龍馬の系譜 土居晴夫/著
坂本龍馬の系譜
図説坂本龍馬
図説坂本龍馬

2009年、龍馬の命日にあたる11月15日、
坂本竜馬自筆の手紙など、ゆかりの資料100点以上を展示した
北海道坂本龍馬記念館が、函館市にオープンした。

日経新聞によると、
「外観は、龍馬が京都で定宿にした寺田屋をイメージ。
龍馬が姉や姪にあてた手紙や、使用した湯飲み茶碗などを展示している。
坂本家の子孫・坂本登さん(72)が、
『北海道の開拓を目指していた竜馬の精神を学び、感じ取ってほしい』
とあいさつしてテープカットした。」との事。


確か、以前、TV番組で、歴史上の有名人の子孫が登場してくる番組に、
“坂本竜馬”の項で、登場されたのが、この方だった(と思う)。

その時、司会者から、龍馬に関する質問を受けて、

「皆さんのほうが、よくご存知だと思います。」


なるほど!!確かに。
それほど、坂本龍馬は知名度が高く、ファンが多いということ。



2010年、高知県立坂本龍馬記念館、桂浜など高知県は、益々、盛り上がりを見せるのであろう。

しかし、あの大渋滞では、まっこと、いかんぜよ!


龍馬伝 テレビドラマ相関図


そらのる

●坂本龍馬家系図
井上好春 国学者・歌人
坂本八平
(坂本直足)
坂本八平
郷士坂本家第3代当主/龍馬の父
坂本権平 郷士坂本家第4代当主/龍馬の兄
坂本龍馬(りょうま)
坂本龍馬
幕末の志士、海援隊長/
土佐勤王党に参加。脱藩して薩長同盟に奔走し、海援隊を組織。
土佐藩を大政奉還の建白に導く。「船中八策」は明治維新の基案。
慶応3年11月15日、京都近江屋で暗殺された。
坂本龍馬|近代日本人の肖像
坂本龍馬
龍(りょう)
(楢崎龍)
龍馬の妻、医師・楢崎将作の娘/
関連本
波枕 おりょう秘抄」鳥越碧
史料が語る坂本龍馬の妻お龍」鈴木かほる
龍馬の妻」阿井景子
高松順蔵 郷士、“安芸郡勤王志士の育ての親”
坂本直
坂本直
宮内省官吏、箱館府権判事、海援隊士、土佐勤王党志士/
高松順蔵長男/前名・高松太郎、小野淳輔/妻・留は長州藩士・瀬田友吉の四女
坂本龍馬家を継ぐ。
坂本直寛
坂本直寛
自由民権家、高知県議、北海道開拓者、キリスト教伝道者/高松順蔵二男/
前名・坂本南海男、高松習吉/
郷士坂本家を継ぐ。
坂本直寛
龍馬の甥 坂本直寛の生涯」土居晴夫
坂本清次郎 海援隊士/家老山内下総の家来・鎌田常吉(実清)の二男。
(「坂本龍馬の系譜」土居晴夫/著 の中で、井上好春との関係に関して“三女が嫁いだ鎌田某の孫”、
“三女が嫁いだ鎌田常吉の二男”と、矛盾する部分がある。)/
郷士坂本家に婿養子入り、のち妻と共に坂本家を離れ、姓を三好に改めた。
弘松宣晴(のぶはる) 郷士弘松家6代目当主/高松順蔵長女・茂の夫
弘松宣枝(のぶえ) 宣晴長男/明治29年、龍馬の伝記小説「阪本龍馬」を出版し、
7年後32歳で没。他、著書に「岩崎彌太郎」(明治32年出版)
坂本弥太郎 郷士坂本家第7代当主/直寛の長女・直意の夫、旧姓・浜武、坂本家に婿養子入り/
坂本直行
坂本直行
郷士坂本家第8代当主/山岳画家、随筆家/坂本弥太郎二男/
北海道の菓子メーカー六花亭の包装紙の花の絵は直行によるもの。
坂本直行
原野から見た山―坂本直行画文集
坂本正幸
坂本正幸
農学博士、東北大学教授・東北大学農学研究所所長/坂本弥太郎三男
坂本正幸教授還暦記念論文集
坂本登 郷士坂本家第9代当主
坂本直道 満鉄欧州事務所長、日仏同志会理事/
大正9年、東京帝大法学部政治学科を卒業、南満州鉄道に入社。
昭和4年秋から、フランスに駐在し、国際鉄道会議の要務をこなすなど活躍した。
その後、満州事変後の緊迫した国際情勢の中、情報収集のためパリに留まり、
国際連盟脱退後の日本の国際的空白を埋めるべく、
仏文雑誌「日仏文化」を発行するなどして、日仏文化交流に貢献した。
昭和15年6月帰国、翌16年満鉄退社。日米関係の悪化を憂慮して、
外相松岡洋右に「日米国交調整の急務とその対策私見」を起草し提出、
同時にその写しを軍部・政界の実力者にも送り、関係改善を訴えた。
その行動はやがて、要注意人物としてマークされるに至り、
一切を投げ捨て、軽井沢の山荘に隠棲し、敗戦後の祖国復興に想いを傾けた。
昭和25年から27年まで、電波監理委員会委員に就任し、
民間放送事業の認可を審議する仕事に携わる。
戦前・戦後を通じ、国際情勢収集に努め、戦後は、特に東南アジアへの
共産勢力の進出問題に取り組み、機会あるごとに、
「日本は自由世界のアジアの大国として、何をなさねばならないか」を説いた。
正力松太郎は、「維新回天の大業を成し遂げた、曽祖父坂本龍馬の憂国の士魂が、
一層磨きあげられて今日に生きている感がする」と評した。
著書に「激動するアジアの中の日本」、「中ソ国境紛争の背景」、
アフリカ―中ソの政治攻勢と経済援助」がある。
土居晴夫 龍馬研究家、東京龍馬会顧問、元神戸市職員/坂本直寛の孫
土居晴夫
図説坂本龍馬」小椋克己、土居晴夫
坂本龍馬とその一族
安芸喜代香
(あき きよか)
社会教育家、第16代高知県会議長、キリスト教高知教会長老/
坂本権平の3番目の妻・仲の妹・錠と安芸市郎の息子/
自由民権運動に従事。デモクラシー思想の普及伝播者として活躍。
岡上新甫(樹庵) 御典医/岡上菊栄の父
岡上菊栄 社会事業家、高知博愛園園長/5人の子の母
夫・岡上栄吾(小学校校長、郡役所勤務)は安岡家より養子入り
鹿持雅澄
(かもち まさずみ)
鹿持雅澄
国学者・歌人/
著書に「万葉集古義」22巻がある。
その他歌集「山斎集」「千首(ちうた)のくり言」、著述「万葉集人物伝」、
「万葉集名所考」「万葉集枕詞解」など多数。
鹿持菊子
鹿持菊子
鹿持雅澄の妻、武市半平太の叔母(父の妹)
武市正恒 白札郷士/半平太の父
武市半平太
武市瑞山
土佐勤王党盟主/号は瑞山/
5人きょうだい[弟・衛吉(田内)、長姉・美多(小笠原)、
次姉・奈美(山崎)、妹・琴(内村)]
武市半平太
田内衛吉
田内衛吉
土佐勤王党志士/武市半平太の弟、田内菜園に養子入り
田内菜園 国学者、教育者
小笠原保馬 土佐勤王党志士/半平太長姉・美多の夫・小笠原嘉助先妻の子
島村寿太郎(洲平) 土佐勤王党志士/武市富子の弟
島村寿之助(雅事)
島村寿之助
土佐勤王党志士/武市富子の叔父
島村真潮(外内)
島村真潮
土佐勤王党志士/衛吉の兄
島村衛吉(重険)
島村衛吉
土佐勤王党志士/
一瀬源兵衛
(かつせ)
土佐勤王党志士、全192名中3人の上士のうちの一人/
妻は武市富子の妹
沢辺琢磨
沢辺琢磨
日本人最初のキリスト教ギリシア正教会司祭/
/前名・山本数馬(山本琢磨)
沢辺琢磨|近代日本人の肖像
山本三治(さんじ) 土佐勤王党志士/のち桑津一兵衛/沢辺琢磨の弟
維新後、潮江村副戸長などを務めた。
長岡謙吉
長岡謙吉
第2代海援隊長/前名・今井純正/
父・孝純は長岡郡比江村医師永野玄龍の二男・玄泉(前名)、
医師今井家に男子がなく、養子入りした。
謙吉の甥(長姉の子)には、土佐勤王党志士・足達行蔵がいる。
菅野覚兵衛
菅野覚兵衛
海援隊士/前名・千屋寅之助/妻・君枝は龍馬の妻・おりょうの妹
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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●参考文献
坂本龍馬の系譜」土居晴夫
坂本龍馬とその一族」土居晴夫
坂本龍馬の後裔たち」中野文枝
高知県人名事典」高知市民図書館
土佐・人物ものがたり」高知新聞社
明治維新人名辞典
坂本龍馬読本」新人物往来社
「高知県立坂本龍馬記念館 案内図録」
歴史街道 2010年 02月号
「武市半平太と土佐勤王党」横田達雄
武市半平太伝―月と影と」松岡司
海援隊遺文―坂本龍馬と長岡謙吉」山田一郎
日本史有名人の子孫たち」新人物往来社/編
持丸長者[国家狂乱篇]―日本を動かした怪物たち」広瀬隆
龍馬の姪 岡上菊栄の生涯」武井優
日経新聞

●参考HP
北海道坂本龍馬記念館
asahi.com:北の龍馬たち 坂本家の人びと
●参考
高知県立坂本龍馬記念館