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系図でみる近現代 第52回

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第52回後藤象二郎・吉田東洋














第52回 土佐藩参政・吉田東洋と後藤象二郎
      そして、後藤伯爵家三代、及び、後裔たち (2010.3.31記)


後藤象二郎は、歴史の教科書では、こう登場する。

『1867(慶応3)年、前年に同盟を結んだ薩長両藩は、ついに武力倒幕を決意した。
これに対し土佐藩はあくまで公武合体の立場をとり、
藩士の後藤象二郎坂本龍馬とが前藩主の山内豊信(容堂)を通して
将軍徳川慶喜に、倒幕派の機先を制して政権の返還をすすめた(※)。
慶喜もこの策を受け入れ、ついに10月14日、大政奉還の上表を朝廷に提出した。』


(※)将軍からいったん政権を朝廷に返させ、朝廷のもとに
徳川主導の諸藩の連合政権を樹立するという構想であった。



機先を制せられた倒幕派は、
12月9日、王政復古の大号令を発し、
天皇を中心とする新政府を樹立する。
(将軍、摂政・関白の廃止。天皇のもとに総裁・議定・参与の三職をおく。)

そして、参与には、

「薩摩藩からは、西郷隆盛大久保利通
土佐藩からは、後藤象二郎福岡孝弟らが任じられ、
まもなく、長州藩の木戸孝允広沢真臣がこれに加わった」


とある。


参与は、他にも公家や雄藩から数多く任じられたが、
後藤象二郎は、“維新の三傑”西郷・大久保・木戸にも、
ある意味、並び立つと言っても過言ではない、土佐を代表する存在であった。



[系図1 吉田東洋・後藤象二郎 家系図]


吉田東洋・後藤象二郎 家系図


土佐藩参政・吉田東洋と後藤象二郎

後藤家は、代々、馬廻り格の上士の家柄であった。

後藤象二郎の祖父にあたる後藤正澄には、
二男三女があったが、男子二人は早世し、
正澄自身も江戸勤番中に、病死してしまう。

そのため、正澄の妹が嫁いだ橋本家の次男を
後藤家の養子に迎え、後藤正晴とし、家を継がせた。
そして、正晴は、妻・もよ(大塚家)との間に、象二郎をもうけた。
[後藤象二郎は岩崎弥太郎より3歳年下、坂本龍馬より2歳年下]

また、正澄の三人の娘は皆、他家に嫁いだが、
そのうちの三女・琴が、吉田東洋の妻であった。

(「伯爵後藤象二郎」及び、下記参考文献をもとに、上記[系図1]を作成)


すなわち、後藤象二郎は、吉田東洋の妻の甥にあたり
(血縁的には、妻のいとこの子)、
父・正晴は、象二郎11歳の時に亡くなり、
義理の叔父である吉田東洋の薫陶を受けて育つに至った。


安政元(1854)年、17歳の時、象二郎は、
吉田東洋の仲介で、東洋の親戚、同格の馬廻りの家柄で、
藩の要職にあった寺田剛正(左右馬)の次女・磯子と結婚した。

二男二女(長男・貞馬は夭折)をもうけるも、
妻・磯子は慶応3(1867)年、若くして病死した。

のち、長女・早苗は、岩崎弥之助(三菱財閥第2代総帥/男爵)の妻、
次女・小苗は、大江卓(衆議院議員、社会運動家)の妻となった。
岩崎・大江ともに、土佐の出身であった。

また、次男・後藤猛太郎は、象二郎のあと、後藤伯爵家を継いだ。


なお、吉田東洋は、文久2(1862)年、土佐勤王党により、
暗殺されるが、11歳で遺児となった長男・吉田正春は、
のち、板垣退助らとともに、自由民権運動家として活躍。

その後、外務省理事官として、明治13年、井上馨外務卿の命により、
ペルシャ、トルコを訪問、帰国後、「回疆探検 ペルシャの旅」を著し、
ペルシャ方面の事情を紹介した最初の書として注目された。


[系図2 後藤象二郎家系図]

後藤象二郎家系図


後藤象二郎夫人(後妻)・雪子

後藤象二郎は、慶応年間、京都で奔走していた頃、
最初の妻・磯子の死と前後して、
芸者だった雪子と知り合い、維新の翌年、結婚した。

武士の出の象二郎が、町人の出の雪子と結婚するのは、
まだ、明治のごく初期では、そのままでは難しかったのか、
雪子は、岩崎弥太郎の養妹という形をとり、岩崎家から象二郎に嫁いだ。


『食道楽』の人 村井弦斎
『食道楽』の人 村井弦斎


上記評伝の人物・村井弦斎は、
明治の大ベストセラー小説「食道楽」の著者であり、“食育”の先駆者であった。

この村井弦斎の妻・多嘉子(明治33年結婚)が、雪子の姪にあたり、
すなわち、母・峯子がその姉であった。

(上記評伝、及び、下記参考文献をもとに、[系図2]を作成)


峯子は、京都出身で、禁裏御用達の瀬戸物商「富田屋」の井上源兵衛に嫁いだ。
しかし、夫は早世し、未亡人となって京都の四条寺町の大きな屋敷に住んでいた。
その後、四条木屋町にあった勤皇志士の本部が火事で焼けた時、
屋敷の離れが徴発され、そこに最初に乗り込んで来たのが、
土佐の志士・後藤象二郎の一行であった。

その縁で峯子の妹・雪子が後藤象二郎の後妻になり、
峯子も志士の一人であった肥前藩士・尾崎宇作と再婚したという。

尾崎の従兄弟(母同士が姉妹)は、大隈重信であった。

また、峯子と雪子の弟である井上竹次郎は歌舞伎座社長を務めた。


後藤象二郎は、雪子夫人との間に、二男四女(二人は夭折)をもうけ、
三女にあたる木末(こずえ)は若山鉉吉(海軍造船技師)に嫁ぎ、
五女・延子は、長与称吉(内科医/男爵)に嫁いだ。


明治25年、明治天皇が、4万坪ある東京高輪の後藤邸行幸のおりには、
象二郎・雪子夫妻、家族らに、謁を賜り、御下賜品もあった。
後藤象二郎、絶頂の時代であった。


後藤象二郎は、大法螺吹きであり、ブレの多い人物であったが、
過去を語る事無く、常に今日を説き、将来を語る人物であった。
豪快・奔放、しぶとく最後まで生き残るしたたかさは筋金入りであり、
一言で言えば、“豪傑”というのが、通り相場であった。

しかし、この奔放さが、子・孫の三世代に渡って受け継がれ、
“後藤象二郎”という名声や、伯爵家の威光も加わり、
度を越し、放蕩三昧の方向に、行ってしまうのであったが・・。



[続く]







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●後藤象二郎家系図 (人物解説リンク:ウィキペディアコトバンク
後藤正澄 土佐藩上士、馬廻り/後藤左近右衛門正澄/
藩の西山家の娘を娶り、二男三女をもうけるも、男子二人は夭折。
後藤正晴 土佐藩上士、馬廻り/後藤助右衛門正晴/後藤象二郎の父
橋本家より養子入り。妻・もよは大塚家の娘。
吉田東洋 土佐藩参政/妻・琴の甥が後藤象二郎/
文久2年4月8日、城中よりの帰途、土佐勤王党の那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助の
3人に襲撃され暗殺される。
吉田正春 外務省理事官、自由民権運動家/吉田東洋長男
11歳で父・東洋を、次いで母を失ったため、後藤家で養育された。
◆「回疆探検 ペルシャの旅
寺田剛正 土佐藩士、仕置役、佐幕派の指導者/通称・寺田左右馬
後藤象二郎 農商務相、逓信相、参議、土佐藩参政/伯爵
最初の妻・磯子との間に、貞馬(夭折)、早苗、小苗、猛太郎の二男二女をもうけ、
後妻・雪子との間には、木末、ますみ(夭折)、六弥、仲弥(夭折)、延子、五十子の
二男四女が生まれた。
後藤象二郎|近代日本人の肖像
後藤雪子 象二郎後妻、小畑平吉三女
後藤猛太郎 日本活動フィルム会社(日活の前身)初代社長/伯爵
象二郎次男、後藤家を継ぐ。
後藤六弥 象二郎三男
岩崎弥太郎 三菱財閥創業者/岩崎弥之助の兄
岩崎弥之助 三菱財閥第2代総帥、日本銀行第4代総裁/男爵
妻・早苗は後藤象二郎長女
大江卓 衆議院議員、東京株式取引所副会頭、内務官僚、京釜鉄道重役、社会運動家/
妻・小苗は後藤象二郎次女
若山鉉吉
(げんきち)
1856〜1899/海軍設計技師・造船技師、三井芝浦製作所長/
妻・木末(こずえ)は後藤象二郎三女/
フランスに留学し海軍技術研修に励み、帰国して海軍の機械関係の仕事に従事、
のち、独立して土木業を営んだ。
長与専斎 内務省衛生局長・中央衛生会長
長与専斎|近代日本人の肖像
長与称吉 内科医、大日本私立衛生会会頭/長与専斎長男/男爵
妻・延子は後藤象二郎五女
■関連:系図でみる近現代 第12回
成富公三郎 佐賀県士族・成富儀平次長男/
妻・五十子は後藤象二郎六女
井上竹次郎 1849〜1909/歌舞伎座社長/
株式の投機売買を試み、また歌舞伎座を継承し、劇界に名声を博した。
尾崎宇作(卯作) 尾崎家は肥前藩士八百石の家柄で、大隈家とは隣村同士だったため、
大隈重信とは、本当の兄弟のように親しく育った。
佐賀を出てからも、維新の志士として、ともに働いてきた間柄だったという。
大隈三井子 大隈重信の母/杉本牧太二女
大隈重信 首相、外相、早稲田大学創立者・総長/侯爵
大隈重信|近代日本人の肖像
村井弦斎 小説家、新聞記者、食育の先駆者/
村井弦斎
食道楽(上)」「食道楽 (下)








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●参考文献
伯爵後藤象二郎」大町桂月
後藤象二郎と近代日本」大橋昭夫
平成新修旧華族家系大成 (上巻)」霞会館
系図研究の基礎知識―家系にみる日本の歴史 第3巻 近世・近代」近藤安太郎
明治の人物誌」星新一
明治・大正・昭和華族事件録」千田稔
事典にのらない日本史有名人の子ども (別冊歴史読本88)
心に生きる日本人―歴史を彩る人物列伝」杉田幸三
龍馬を支えた女たち―「女性の視点」から歴史ドラマの主人公を考察
花々と星々と」犬養道子
幕末維新なるほど人物事典―100人のエピソードで激動の時代がよくわかる」泉秀樹
『食道楽』の人 村井弦斎」黒岩比佐子
「詳説日本史 改訂版」山川出版社
人事興信録

 
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