■細川家と千家との関係 細川忠興は、利休に茶の湯を学び、利休十哲の第一人者と呼ばれたほどの大名茶人であった。 利休が自刃後、その悲劇は家族におよび、利休の息子たちは諸国に難をのがれた。 長男・千道安は、秀吉の勘気が少しおさまった頃、堺に戻り、 千家再興を異母弟の千少庵が成し遂げるのを見定めたのち、 細川忠興を頼って豊前に赴き、忠興の茶頭(さとう)として 三百石の知行を与えられ豊前に安住の地を見出した。 そして、約400年の後、細川家と千家は、名実共に、師弟の関係ではなく、 血脈の繋がりを持つに至っている。 #1月7日、裏千家の初釜式が今日庵で始まり、16代千宗室家元がお点前を披露し、 京の政財界人らが初春の茶席を楽しんだ。 千家元が濃茶(こいちゃ)を練ると、すがすがしい香りが広がり、 招待客は茶碗を順に回して一服を堪能した。 初釜は13日まで続き、約三千二百人が招かれる。 表千家は10日、武者小路千家は12日から催される。 と、1月7日夕刊にありました。