| ●中山家(藤原北家・花山院家庶流・羽林家/忠能に侯爵) | |
| 中山忠能(ただやす) |
幕末・維新期の公家/娘・慶子が明治天皇生母/侯爵 1861年、和宮降嫁の際、御用掛として江戸に赴く。幕末国事に尽くし、薩長両藩に倒幕の密勅を下す。 王政復古後、議定となり明治元年、輔弼、従一位・准大臣。翌2年神祇伯。 |
| 中山忠光 |
忠能七男/同母姉が中山慶子 国事を憂い、尊王倒幕に燃え、1864年、大和行幸を企図。天誅組首領として、 大和国五条代官所を襲撃したが、幕府軍に敗れ、落ち延び先の長州で、藩内佐幕派に暗殺される。 |
| ●柳原家(藤原北家・日野家庶流・名家/前光に伯爵) | |
| 柳原前光(さきみつ) |
明治期の官僚・政治家/父は公卿・柳原光愛(みつなる)、妹・愛子が大正天皇生母/伯爵 外務省に入り、日清修好条規の締結、台湾出兵後の日清交渉にあたる。 元老院議官となり刑法・治罪法審議に従事。のち、駐露公使・賞勲局総裁・元老院議長・ 枢密顧問官などを歴任。その間皇室典範制定に参画した。 |
| 柳原白蓮(びゃくれん) |
明治~昭和期の歌人/前光の次女/本名・燁子(あきこ)/ 「白蓮れんれん」 「恋ひ歌―宮崎龍介と柳原白蓮」 |
| ●九條家(藤原北家・嫡流のわかれ・摂家/道孝に公爵) | |
| 九條道孝 |
幕末期の公武合体派公卿/四女・節子(さだこ)は大正天皇妃(貞明皇后)・昭和天皇生母/公爵 1867年左大臣となるが、王政復古に際し、公武合体派として、一時参朝を止められた。 維新後、奥羽鎮撫総督・弾正尹・掌典長を務める。興福寺の再興や「孝明天皇紀」の編纂にも携わった。 |
| ●愛新覚羅家(清朝皇帝の姓。“愛新“は満州語で「金」を“覚羅”は由緒ある家柄の姓を意味する。) | |
| 愛新覚羅溥儀 |
1906~67/清朝“ラストエンペラー”(12代・宣統帝・’08~12)、満州国皇帝(康徳帝・’34~45)/ 3歳で即位、11年辛亥革命がおき翌年退位。以来、袁世凱の画策により皇帝を称し紫禁城内に住む。 ’24年馮玉祥(ふうぎょくしょう)の北京占領により一切の特権を奪われ、日本公使館へ逃げ込み、 日本の庇護のもと天津日本租界を転々とする。’31年満州事変以後、日本軍により長春に移され ’32年満州国国家元首(執政)、’34年皇帝。日本降伏の直後、臨江県で満州国解体と退位を宣言。 日本へ亡命しようとしたが、’45年8/19瀋陽でソ連軍により、逮捕、チタ、ハバロフスクに抑留される。 ’46年東京裁判に証人として出廷。’50年身柄は中国に引き渡され、’59年の特赦まで戦犯収容所。 出所後、北京に住み、人民政協会議の文史資料研究工作等に従事した。’67年北京で死去。 「わが半生―「満州国」皇帝の自伝」 |
| (肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク: |
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| ●藤原北家・閑院家 | |
| 嵯峨家 [正親町三條] (おおぎまちさんじょう) |
三條家庶流・大臣家 |
| 三條実房の三男・公氏(きんうじ)を祖とし、鎌倉時代初期に創立。 正親町三條実愛(さねなる)は倒幕派の公家として活躍し、1867年、 薩長両藩へ倒幕の密勅を伝達した。同年王政復古により新政府の議定となり、 内国事務総督・刑部卿・教部卿などを歴任した。 この間、明治3年に家名を正親町三條から菩提寺・二尊院のある京都・嵯峨野にちなんで、 嵯峨に改名。 改名の理由は長いから。 14年に嫡男・公勝(きんとう・浩の祖父/1863~1941)に、家督を譲る。 明治17年、公勝に伯爵。しかし、実愛は三條実美に「当家伯爵不満」、 のち実愛の維新の勲功により侯爵に(明治21年)。 |
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| 三條家 | 三條家嫡流・清華家 |
| 閑院の嫡流で、実行(さねゆき)が祖。 閑院流は、白河・鳥羽院政期の上皇・天皇の外戚の地位をほとんど独占し、 院近臣として権勢をふるった。 鳥羽上皇の重臣藤原実行は、八條とも三條とも号したが、 その子公教、孫実房と嫡流が三條高倉邸にちなんで三條と号し家名が定まった。 実房のあと嫡流は長男公房が継ぎ、三條と号したが、三男公氏も三條と称したので、 嫡流を転法輪(てんぽうりん)三條、公氏流を正親町三條とよんで区別した。 幕末・維新期、三條実万(さねつむ)・実美父子が尊攘派公家として有名だが、 実万は安政の大獄に連座。実美も七卿落ちの憂き目にあいながらも、 王政復古に尽力した筋金入りの勤王家。実美に公爵。 三條実輝(実美三男)は掌典長・御歌所長を務めた。 |
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| 姉小路家 (あねがこうじ) |
三條家庶流・羽林家 |
| 三條実房の二男・公宣(きんよし)が祖。 姉小路公知(きんさと)は幕末期、尊攘派の中心として活躍。 国事御用掛、国事参政をつとめたが、文久3年、宮中より退出の途中、 朔平門外で暗殺された。その子公義(きんとも)に伯爵。 |
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| ●濱口・茂木・鈴木家 | |
| 濱口吉右衛門(9代) (容所) |
1862~1913(大正2年)/衆議院議員3期(1896~1902)・進歩党・憲政本党、 貴族院議員(1907~13/多額納税者)/浩の母方祖父/ 濱口家は紀州の有力家であり、代々、日本橋に老舗の醤油・塩・紀州物産の問屋を構えていた。 9代吉右衛門は慶応義塾を出て、醤油醸造販売業、植林事業を営む。 のち、衆議員議員となり財政整理国本培養論を建策して重視される。/ 鐘淵紡績重役、富士瓦斯紡績・九州水力電気・高砂製糖社長、豊国銀行頭取、 朝鮮銀行幹事、濱口代表社員、猪苗代水力電気取締役等を歴任。 |
| 濱口吉兵衛 | 1868~1940/衆議院議員2期(1920~28)・立憲政友会/8代吉右衛門の三男・9代の弟/ 東京帝国大学法科大学に学び中途退学して欧米視察。日露戦争に出征、殊勲を立て陸軍歩兵中尉。 実業界に転じ、名声衰えたるヒゲタ醤油を再興、品質の吟味醸造方法の改良につとめて “ヒゲタ”をヤマサ印、亀甲萬印と共に醤油界におけるブランドとしての地位を確立させる。 明治後期、中央財界で活躍し、矢野恒太とともに第一生命を興した人物としても知られる。 大正9年より、衆議院議員をつとめ、銚子港整備大事業に取り組んだ。/ 銚子醤油・千葉県水産社長、濱口理事、武総銀行取締役、 第一相互貯蓄銀行・東京護謨工業・第一生命・豊国銀行・利根織物監査役等歴任。 |
| 濱口吉右衛門(10代) (乾太郎)(無悶)? |
1883~1946/銚子醤油・東濱植林社長/9代の長男、浩の伯父/ 米国エール大学に留学、帰国後、濱口合名会社員、先代没後、代表社員を経て、濱口商事社長。 浩が生まれた時、母・尚子(ひさこ・1896生)は18歳の若さであり、続いて妹達が生まれたため 小学校入学前から上大崎の濱口邸に引き取られ、祖母・糸子や伯父夫妻と暮らしていた。 溥傑との見合いはその「ルイの間」で行われた。 ※当時の浩の結婚を伝える新聞記事では、「吉左衛門」と書かれており、間違っているようです。 |
| 濱口吉兵衛 (麒蔵) |
1892生/銚子醤油会長、第一生命社長/ 10代吉右衛門の弟、濱口吉兵衛(叔父)家に養子入り・妻はその娘/浩の伯父 |
| 濱口吉右衛門(11代) (久常) |
1907生/S26年より銚子醤油社長/10代の長男、妻は野津侯爵家の長女 |
| 茂木新七 | 1914生/S49年より銚子醤油社長。社名をヒゲタ醤油に変更。/妻は濱口吉兵衛(麟蔵)の娘/ 茂木家はキッコーマン一族。 |
| 濱口吉右衛門(12代) (勝久) |
1936生/S62年よりヒゲタ醤油社長・現会長/11代の長男、妻は鈴木恭二の娘 |
| 鈴木恭二 | 元味の素会長・社長/鈴木家は味の素一族 |
| 濱口敏行 | ヒゲタ醤油社長/11代の次男 |
| ●野津・大原・正田家/ 関連:第11回・第12回 ※正田家は元々、群馬・館林で米穀問屋を営んでいたが、美智子皇后の4代前に、醤油醸造業に参入した。 野田や銚子より遅い創業だが、「亀甲正」の商標で大いに隆盛をみた。(醸造法は茂木家から教わったという) この時の当主の次男が分家して始めた製粉業が日清製粉に発展、「製粉王」と呼ばれるまでになった。 |
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| その時々の話題の人物、あるいは、旧華族・皇族や、近現代に活躍した人物を、家系図やリンク等を交えてエピソード、系譜・閨閥などを書き留めていくページです。
内容は基本的に書籍、新聞・雑誌等の文献、ネット上の新聞社・出版社、人物に関する公式サイト等、TV番組なども、参考に描いております。また、家系図に登場される方からの情報の場合もあります。 人物解説リンクは正式・正統な人物事典であるコトバンクにリンクを貼っています。 |
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