

| ●鹿内(しかない)家系図 | |
| 鹿内信隆 |
(1911~90)/初代フジサンケイグループ会議議長/ 北海道生まれ。1936(昭和11)年早大政経学部卒。 のちに早大総長になった恩師・阿部賢一(徳富蘇峰娘婿)の紹介で、 倉敷絹織(のちの倉敷レーヨン、現クラレ)に入社、菊池寅七専務の知遇を得て、 翌年、菊池が織物から金属、窯業の分野までカバーする三徳工業を創設、 その創立事務を手伝って同社の業務課長に抜擢された。その後、次女・英子と結婚、娘婿となった。 38年応召し、予備役召集第一回の幹部候補生として若松町の陸軍経理学校に進み、 のちに陸軍主計中尉となった。ここで、日清紡専務として軍との折衝にあたっていた桜田武や、 大日本再生製紙社長の水野成夫らと、需給計画の交渉を通じて知り合うことになる。 これが、信隆と財界人脈とを結ぶそもそもの機縁となった。 除隊後の43年、日産コンツェルン総帥で満州重工業開発総裁・鮎川義介が 資金的なバックアップをしていた日本電子工業創立に参画。 戦時下におけるこうした産軍複合人脈ともいうべきコネクションが、 戦後、信隆を日経連の初代専務理事に押し立てる培養土となった。 戦後の追放から復帰後、経済同友会の創立に参加し、中央労働委員として47年の2・1ゼネストなどに対応、 48年日経連専務理事兼事務局長となり、労働問題の青年将校的役割を果たした。 54年財界出資のニッポン放送設立に加わり専務、61年社長。 57年水野成夫と協力して富士テレビジョン(のちフジテレビ)を設立して専務、64年社長。68年産経新聞社長、 69年彫刻の森美術館館長、74年フジ・サンケイグループ5社会議議長、85年同最高顧問となったが、 88年長男春雄の死去でニッポン放送、フジ、産経会長に復帰した。90年死去。 |
| 鹿内春雄 |
(1945~88.4.16)/長男/第2代フジサンケイグループ会議議長/ 北海道生まれ。1960年信英から、春雄に改名。1967(昭和42)年ボストン大経営学部中退。 70年、ニッポン放送に入社(24歳)、その後、経団連名誉会長・植村甲午郎の秘書を3年間務め、 経営企画室長、副社長を経て、80年フジテレビ代表取締役副社長に就任。 84年に人気キャスター頼近美津子と再々婚。 85年には、父信隆の跡を継いでFCG(フジサンケイ・コミュニケーショングループ)会議議長に就任。 同時にフジテレビ、サンケイ新聞、ニッポン放送の代表取締役会長となった。 「陽性でひらめきの人」(フジ幹部)だった春雄はカリスマ経営者としてグループの結束力を一段と高めたが、 88年急性肝不全のため42歳の若さで急死した。 |
| 頼近美津子 | 春雄の妻・鹿内美津子/コンサートプランナー、元アナウンサー/ 父は米国籍を持つ日系2世。東京外語大英米語科卒業後、78(昭和53)年NHKに入局。 「ニュースワイド」「テレビファソラシド」を担当、その美貌と感じの良さで人気アナウンサーに。 81年退職してフジテレビへ移り、「小川宏ショー」のアシスタントで活躍。 84年結婚。88年夫を亡くし、90年二人の息子と共に渡米。 スミソニアンの美術館・博物館を日本に紹介する団体のボランティア・スタッフを務めた。 その後子育てに専念していたが、93年4月12年振りにNHKでテレビ出演。 96年NHK大河ドラマ「秀吉」に、お市の方役で出演。 同年12年振りにフジテレビに「来日直前!三大テノール」キャスターとして復帰。 現在、コンサートプランナーとしても活躍。 |
| 鹿内宏明 | (1945~)/次女・鹿内厚子の夫/第3代フジサンケイグループ会議議長/旧姓佐藤、佐藤家は代々医者の家系 東京の医者の息子で、父は一高で同級生だった福田元首相とは、親友の間柄。 東大法学部を卒業して、日本興業銀行勤務。 中学時代はサッカー部、東大時代はボート部で活躍したスポーツマン。 88年信隆に請われ興銀を退職し議長代行に就任。 89年議長に昇格。ニッポン放送・フジテレビ・産経新聞社会長職も兼務。 91年フジサンケイコーポレーション(後にグループ本社が社名)設立。会長兼社長に就任。 92年7月、日枝グループクーデターにより、全ての役職を解任される。 |
| 奈月ひろ子 (なずき) |
長女・鹿内寛子/女優(若柳菊→菊ひろ子→奈月ひろ子)/慶応大学法学部卒/ 在学中の65(昭和40)年松竹演劇部に入り、67年退社。 同年若柳菊の芸名で三隅研次監督「古都憂愁・姉いもうと」で映画デビュー。 続いて同監督の「なみだ川」に出演し、京都記者クラブ新人賞を受賞した。 69年菊ひろ子と改名して「代紋・地獄の盃」などに出演。 のち、71年の「暁の挑戦」を最後に映画から遠ざかり、 73年石川県能登の山林王の息子と結婚し、一女をもうけるも78年に離婚。 80年奈月ひろ子と改名してカムバック。以後は舞台を中心にテレビドラマなどにも出演。 |
| 鹿内植(つぎ) | 寛子の娘/フジテレビプロデューサー、「スローダンス」・「不機嫌なジーン」 |
| 佐藤大四郎 |
(1909~43)/昭和期の満州合作社運動の指導者 (※合作社:農村協同組合)/宏明の叔父/ 一校時代共産主義運動に関係し、地下に潜り放校。 1931年共産青年同盟に加盟、逮捕され、懲役2年(執行猶予5年)の判決を受けた。 33年保釈、翌年満州大連に渡り、橘樸(しらき)の思想的影響下にあった「満州評論」の編集責任者となる。 その後、橘・大塚譲三郎らと綏化県農事合作社を組織し、機関紙「農事合作社報」を創刊した。 その間、「橘樸著作集」の編集作業に着手。 また、満州及び蘇州・無錫・南京など中国各地方の合作社を視察した。 41年「満州評論」再建運動を開始したが、関東軍憲兵隊に捕えられ、 43年新京高等法院で満州国治安維持法(1941年制定)違反で徒刑12年の判決が下された。 なお、この年は満鉄調査部の一斉検挙が行われた年である。 43年5月奉天監獄で栄養失調のため死亡した。 |
| (肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク: |
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| その時々の話題の人物、あるいは、旧華族・皇族や、近現代に活躍した人物を、家系図やリンク等を交えてエピソード、系譜・閨閥などを書き留めていくページです。
内容は基本的に書籍、新聞・雑誌等の文献、ネット上の新聞社・出版社、人物に関する公式サイト等、TV番組なども、参考に描いております。また、家系図に登場される方からの情報の場合もあります。 人物解説リンクは正式・正統な人物事典であるコトバンクにリンクを貼っています。 |
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