■創業家社長の終焉
2007年1月10日、
不二家埼玉工場で
消費期限切れ原料の使用が発覚、
他にも、ずさんな商品管理が相次いで露呈した。
「50年以上愛されてきたペコちゃんを傷つけた」と、
創業家の
藤井林太郎6代目社長が引責辞任し、取締役からも退任。
そして、藤井家以外から初めて、
桜井康文取締役が7代目社長に就任した。
この不祥事の背景には、同族経営が、
品質管理などで、基準を守らない内向きの体質を醸成、
内部統制に甘さがあったとの批判を踏まえ、
経営刷新として、残る創業家出身役員二人、
藤井正郎、
藤井義郎の兄弟(双子)を含む
桜井社長以外の5人の取締役全員が、
6月の株主総会で退任する見通しとなった。
■不二家の時間
子供の頃の良き思い出・・・
日曜夜7時から、「タケダ、タケダ、タケダ~」で始まる武田薬品提供、
「タケダアワー」に、胸ときめかせた。
ウルトラQ

に恐怖し、
ウルトラマン
、
キャプテンウルトラ
・・等、に心おどらせた。
7時半からは、不二家提供「不二家の時間」、
ポパイ
、
オバケのQ太郎、
パーマン、
怪物くん・・等、を楽しんだ。
それが終わると、「赤とんぼ」のBGMにのせて、寂しげな、
「
週刊新潮は明日発売で~す」というジングルが流れ、8時からは、
哀愁を帯びた人情ドラマ、渥美清の「
泣いてたまるか
」が始まった。
♪意地が涙を・・・泣いて、泣いてたまるかよ~~、通せんぼ~♪
(渥美清が亡くなった時、追悼番組は、“寅さん”一色で、
このドラマにほとんど触れていなかったのは、不満だった。)
ものごころつき出した頃には、日曜のさわやかな朝に、
ラジオから、はりのある声で、ロイ・ジェームス司会、
不二家歌謡ベストテンが、流れていた。
当時は、親しみやすい曲も多く、
この番組で、その週のヒット曲を把握できた。
そして、番組とともに、不二家のCM・商品が、頭にたたきこまれた。
♪ミルキーはママの味~♪、
ルックチョコレート、ノースキャロライナ、
「ピーチかオレンジかどっちがええですかいの~」不二家ネクター
ユーミン♪やさしさに~つつまれたなら~♪ ソフトエクレア・・・等々。
■藤井家6代社長の変遷(
不二家の歴史)
◆創業者
藤井林右衛門は、明治18年、愛知県の農家・岩田林七の末っ子に生まれ、
4歳の頃、近所の藤井家の養子となり、10歳で名古屋の商店に奉公。
明治33年横浜の銅鉄商に働き、主人の商売を譲り受け34年独立。
不二家を創業したのは明治43(1910)年。
横浜市元町に不二家洋菓子舗を構えたのが最初である。
大正元年渡米、1年間洋菓子や料理の技術を学んで帰国。
大正12年には東京・銀座にも進出、次いで大阪、京都とチェーン店を広げた。
昭和13年キャンディー、チョコレートを量産、株式会社に改組して社長。
昭和14年以降、日本を取り巻く戦況が深刻になる中、
贅沢菓子などの禁止令が実施され、さらに空襲によって支店や工場が次々と焼失。
最初の妻・
まさとの間に六男二女をもうけていたが、
三男は病没し、他の息子は出征、または召集がかかり、
残ったのは、病身で経営の第一線から既に退いていた長男・
善一郎のみであった。
◆終戦後、社業を立て直すのは容易な事ではなかった。
昭和23年、林右衛門は会長に退き、
次男
藤井誠司が2代目社長に就任。
しばらくは苦しい再建の日々が続いたが、
昭和26年、不二家再興と、その後の繁栄を決定付ける商品が世に出た。
翌年には、全国発売、そして大ヒットとなる。
それは、
ミルキー。
赤い箱には、ペコちゃんが描かれていた。
社長の誠司が日劇の舞台に並べてあった動物の張子をヒントに
作成した首振り人形ペコちゃんは、あっという間に
子供たちのアイドルになった。
昭和37年には、株式を公開、それに伴い、翌年の長者番付トップ10に、
藤井四兄弟が、揃い踏み。(トップは松下幸之助)
◆その後、昭和44年、3代目社長に四男
藤井総四郎が就任。
(2006年8月、TV番組「
世界バリバリ★バリュー」でその邸宅が紹介された)
昭和60年、4代目社長に六男
藤井和郎と続いた。
五男
藤井五郎は、歯に衣着せぬ物言いで、
“カミソリ五郎”と言われるような切れ者で、
総四郎とぶつかる事も多かった。
兄弟の中で、古くから林右衛門の右腕と言われ、
最も経営手腕を買われ、次期社長と目されていたが、
社長にならずに、会長となった。
しかし、この間の昭和57年、“最後の相場師”是川銀蔵による株買占め、
その後、仕手集団ビデオセラーに株が渡り、昭和61年、
米国の弁護士からビデオセラー保有株を米企業に売却するとの連絡が届き、
藤井家は約750億円もの資金を捻出して、株買戻しを余儀なくされた。
◆この時の資金工面での貢献、及び、
大株主となった銀行・生保との太いパイプから、
必然的に、
藤井俊一(五郎の長男)が平成元年、5代目社長に就いた。
社長は創業者の孫の代に、世代交代した。
俊一は父・五郎と同様、能力主義による人材登用など、
脱・同族経営を目指し、実行した。
しかし、平成3年、五郎が亡くなり、その4年後の
平成7年3月期の決算で経常赤字に転落する事が明らかになると、
任期途中での社長解任、取締役への降格となった。
◆6代目社長には、今回の問題で辞任した
藤井林太郎(誠司の長男)が就任、
3代目社長の総四郎が、“最高顧問”となり、取締役会に出席するようになった。
そして、平成15(2003)年、総四郎の息子二人が取締役に選任された。
(※この一連の解任劇に関しては、日経ビジネス2007年1月29日号
「不祥事の根源は12年前の1月23日にあり 不二家、諦めと停滞の果て」に詳しい。
検索すれば、ほぼそのままの文章が、いくつかのブログで読めるようです・・)
林太郎は元社長たちの意に沿うように、
ひたすら赤字削減のために邁進し、大規模な合理化に着手した。
この頃から、同族経営の弊害が目につくようになり、
社内の人心も荒廃していったという。
林太郎社長は雑誌「VALUE CREATOR」2006年10月号のインタビューで、
伝統を受け継ぎ、企業文化として保持していくために大切な事は、との問いに
「それは、お客さま第一、品質第一ということです。お客さまを裏切らない事です。
不二家の社是は
『愛と誠心(まごころ)と感謝をこめて、お客さまに愛される不二家になりましょう』
と、『品質第一』の二つです。」
と強調していたのだが。
■そして、山崎製パン(ヤマザキ)
苦境に陥った不二家に、2月初旬、
品質管理の技術支援で名乗りを上げたのが
山崎製パン。
その後、製販提携、そして、1/3超えの資本出資を決め、
筆頭株主に躍り出る見通しとなった。
株式銘柄コード2211が不二家(東証上場 昭和37年6月)、
続く2212が山崎製パン(東証上場 昭和37年7月)
主力は、前者が洋菓子、後者がパン。
今でこそ、パン食は当たり前となったが、元々は洋食。
すなわち、どちらも
「欧米か!」という共通点がある。
そして、実は他にも、共通点があった。
それは、
同族経営・・・
(次回
第36回へ続く)