

| ●郷・中島家系図 | |
| 臼井忠義 | 中島武市の実父/大垣藩士 |
| 中島源吉 | 中島武市の養父/米穀店を営むかたわら小作百姓をしていたが、武市が12歳の時、没 |
| 中島武市 |
帯広ガス、中島商事、日本劇場、帯広劇場各社長、ほくさん顧問、 日本国有鉄道自動車協力会名誉会長、帯広商工会議所会頭、帯広市議(議長) |
| 中島真一郎 | 産婦人科医(開業医) |
| 中島みゆき |
シンガーソングライター/本名・中島美雪/ 昭和50年「時代」で第10回ヤマハポピュラーソングコンテスト・グランプリ、 第6回世界歌謡際グランプリを獲得してデビュー。 「アザミ嬢のララバイ」「わかれうた」「悪女」「かなしみ笑い」「うらみ・ます」「浅い眠り」 「空と君のあいだに」「旅人のうた」などのヒット曲があり、“失恋歌の女王”の異名を持つ。 松任谷由美と並ぶニューミュージックの女王。 平成元年から10年間渋谷・シアター・コクーンでコンサートと舞台演劇を合体させた“夜会”を開催。 8年ベストアルバム「大吟醸」をリリース。 同年デビューからの全317曲を収録したCD-ROM「なみろむ」を発表。 13年シングル「地上の星」がNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX挑戦者たち」のテーマ曲となりヒット。 14年同曲がオリコンの連続チャートインの日本記録を樹立。 同年デビュー27年目にして初めてNHK「紅白歌合戦」出場を果たす。 15年1月「地上の星」が12年7月の発売から130週目にして初のオリコンチャート1位を獲得し、 5月には148週チャートインの日本記録を達成。 他のアルバムに「親愛なるものへ」「生きていてもいいですか」「グッバイガール」 「歌でしか言えない」「パラダイス・カフェ」「日―WINGS」「月―WINGS」など。 13年初のミステリー恋愛小説「Z/Z」を刊行。 他の著書に「愛が好きです」「女歌」「問う女」「中島みゆき全歌集」「ウィンター・ガーデン」などがある。 10年12月文部省国語審議会委員に抜擢された。 |
| 郷純造 |
1825~1910/大蔵官僚/男爵/ 1844(弘化1)年、江戸に出て旗本用人の若党となり、累進して1868(明治1)年には工兵差閲役頭取となる。 同年明治政府の会計局組頭となり、以後大蔵省にあって、明治7年大蔵大丞、14年国債局長、17年主税局長。 19年、松方正義の側近として、貨幣制度を始めとする財政金融制度の創設に力をふるい、初代大蔵次官となった。 21年退官。24年貴族院議員。 |
| 郷誠之助 |
1865~1942/日本経済連盟会会長、日本商工会議所会頭、貴族院議員/男爵/ 東大入学の翌年、明治17年ドイツのハイデルベルク大学に留学、 7年間にわたって、ヘーゲル、スペンサー、ミルなどを研究した。 23年帰国後、25年伊藤博文首相に産業統計に関する意見を具申し、農商務省の嘱託となる。 まもなく、陸奥宗光農商務相が辞任したため、嘱託を辞任。 28年日本運送社長となり、その再建を果たす。 その後、日本メリヤス取締役、日本鉛管社長、入山採炭社長、王子製紙取締役を歴任し、いずれも再建に成功。 特に入山採炭(のちの常磐炭鉱)の経営成功によって、その手腕を広く財界に知られるようになり、 続く王子製紙の整理でも新聞用紙を国産化する事に成功した。 43年日本醤油醸造経営には失敗したが、44年東京株式取引所の理事長に就任。 大正2年東京商業会議所特別議員、6年日本工業倶楽部の創立に参画し専務理事となった。 43年、貴族院議員になったが、直接政治に関わろうとせず、第2次山本内閣、清浦内閣への入閣要請を断った。 しかし、大正7年軍需委員会委員、8年臨時財政経済調査会委員などを引き受けた。 11年日本経済連盟会常務理事、昭和5年日本商工会議所会頭。 昭和に入っても、各会社整理に関わったが、特に、東京電燈の整理を中心とする電力問題に奔走した。 晩年は、内閣参議、大蔵省顧問のほか、 日本経済連盟・全国産業団体連合会・日本貿易振興会・日満実業協会の各会長を兼任。 数多くの経済政策に関する建議を行い、戦前日本の財界指導者として活躍した。 また、財界の集まり番町会の親分的リーダーであった。 父の死後、男爵を襲爵、明治44年から終生、貴族院議員を務めた。 「財界の政治経済史―井上準之助・郷誠之助・池田成彬の時代 「極道」小島直記 |
| 岩崎弥太郎 |
三菱財閥創始者 |
| 岩崎豊弥 | 郷純造四男、幼名・昌作/岩崎弥太郎の養子となる/ 娘婿は昭和天皇侍従長・入江相政 |
| 郷朔雄 | 七尾セメント取締役/郷純造九男/郷誠之助のあと男爵を継ぐ |
| 川崎八右衛門(二代目) | 川崎銀行頭取、日本火災会長、川崎定徳会会長/初代八右衛門三男・川崎金三郎/ 妻・幸子(こうこ)は郷誠之助の妹/ 大正8年、二代目川崎八右衛門を襲名 ■川崎財閥(※造船の川崎とは別/「川崎定徳」) |
| ●関連人物 | |
| 依田勉三 |
1853~1925/明治・大正期の北海道開拓者/ 伊豆国那賀国大沢村(現・静岡県賀茂郡松崎町)で、豪農善右衛門の3男に生まれた。 安政6(1859)年、叔父で教育家の土屋三餘に入門、人間平等や国家のために働く魂の教育を受けた。 横浜で英語を修めた後、慶応義塾で学ぶ(中退)。明治12年、従妹リクと結婚。 そのころ、「ケプロン報文」を読み開拓の志を建てた。 14年、北海道を踏査、翌15年1月、親族の出資で晩成社移民団を結成した。 同年夏、再び北海道に渡り、十勝国下帯広村(現・帯広市)を開墾予定地に決めた。 開けて16年4月10日、13戸27人が横浜から船で出発した。 苦しい旅で、目的地に全員が揃ったのは31日目であった。 帯広・十勝に移住したものの、開墾の労苦はさらに厳しくバッタの襲来、冷害、洪水など苦闘の連続であった。 しかし、それに屈することなく農畜産物以外の新しい事業も手がけた。 40余年間、人間愛に満ちた開拓事業を行い、そのほとんどは、失敗に終わったが、 それらは、十勝における諸産業の源流ともなった。 晩成社は勉三の死後6年にして解散。 戦後、北海道開拓神社に“農聖”“拓聖”として追加合祀された。 兄・依田佐二平は、明治23年第1回衆議院議員選挙に静岡7区より当選した。 「依田勉三の生涯」松山善三 「新しい風~若き日の依田勉三~ |
| (肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク: |
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| その時々の話題の人物、あるいは、旧華族・皇族や、近現代に活躍した人物を、家系図やリンク等を交えてエピソード、系譜・閨閥などを書き留めていくページです。
内容は基本的に書籍、新聞・雑誌等の文献、ネット上の新聞社・出版社、人物に関する公式サイト等、TV番組なども、参考に描いております。また、家系図に登場される方からの情報の場合もあります。 人物解説リンクは正式・正統な人物事典であるコトバンクにリンクを貼っています。 |
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